第656回 忠義を信じられない詩人

1、漢詩と詩人その6

ちょっと間が空いてしまったこの企画。

『文選』に収録されている作品と詩人を紹介していきます。

前回までようやく江南の名族、謝氏の詩人が続いていましたが

今回は曹植の三良詩を取り上げます。

2、豆とまめがら

曹植はかの『三国志』の大英雄曹操の五男とされています。

父も兄である曹丕も文学の才能に恵まれていましたが

この連載でも取り上げた謝霊運が「八斗の才」天下の才能8割を集めたほどだと評していますし、

南北朝時代、梁の鍾嶸が編纂した文学評論書『詩品』の中で

123人の詩人がランクづけされている中で最上位の上品(13人)の一人に名が上がっています。

本人は詩人として名を残すよりも、政治的に力を発揮したいと考えていたようですが、

皇帝となった兄に警戒され、冷遇されたまま41歳で世を去りました。

兄との関係を示すエピソードとして

七歩歩く間に詩作せよ

と命じられて詩を詠んだという逸話が知られています。

『文選』には25首が採録されていることからも評価のほどがわかりますね。

3、三良の詩

功名は為すべからず

忠義は我の安んずる所なり

秦穆 先に下世し

三臣 皆な自ら残(そこな)う

生ける時は栄楽を等しくし

既に没しては憂患を同じくす

誰か言う身を捨つるは易しと

身を殺すは誠に独り難し

涕(なみだ)をとりて君の墓に登り

穴に臨みて天を仰いで歎く

長夜 なんぞ冥々たる

一たび往きて復た還らず

黄鳥 為に悲鳴す

哀しいかな 肺肝を傷ましむ

4、不遇の彼が詠むからこそ味がある

今回はこれまでと違って逐語訳しなくても大意は掴めそうな感じです。

これまでのように情景に自らの気持ちを投影するような詩ではなく、

歴史上の物語に題材をとったものです。

三行目の秦の穆公というのは

春秋時代、曹植の時代からでも700年以上前の名君で

彼が亡くなった時に多くの家臣が後を追って殉死したため、国力が衰えたとされています。

中でも子車奄息・子車仲行・子車鍼虎の三兄弟を「三良」と呼ぶようです。

既に孔子がまとめたとも言われる『詩経』には同じ題材を扱った「黄鳥」という詩がありますので、よく知られていたエピソードなのでしょう。

「黄鳥」はコウライウグイスで、その鳴き声は大切な人の死を悼む悲嘆の象徴とされます。

最後の句にある肺肝を傷ましむ、というのは

『礼記』の中にもある、親の死を悼むあまり

腎を傷ない、肝を乾かし、肺を焦がす

という表現があることから

悲しみがあまりに過ぎると内臓を痛めると信じられていたことがわかります。

兄に野心を疑われ、政治的な活躍の場を与えられない曹植の身の上を思いつつこの詩を読むとなんともいえない気持ちになりますね。

忠義を尽くし命を捨てる覚悟があることをアピールしているのか

逆に生ける時は共に楽しみ、死する時は悲しみを共有する

そんな生き方ができない自分を皮肉っているのか

妄想は膨らみますね。

だから漢詩は面白い。


さて今回も最後にPRタイムとさせていただきます。

来る3月1日にイベントをやります。

宮城県松島町で歴史講演会。

テーマは近代。

すでに50名を超える申し込みをいただいておりますが、

マックスで100名程度は入るハコなので

ご興味のある方はぜひご連絡ください。

鉄道や建築の話がメインとなりますので

今までの常連さんとは違った客層の方からも申し込みをいただいています。

このnoteにコメントでもいいですし、

TwitterでもFacebookでもなんでも連絡いただけると嬉しいです。

さらにお時間ある方は講演会終了後オフ会に参加しませんか?

まったりご飯かお酒を味わいながら歴史の話ができればと思います。

連絡お待ちしております。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?