見出し画像

第888回 土木遺産に夢もふくらむ

1、こんな時こそ社会科見学

娘が学校でダムについて学んだと話していたので

実物を見せようと、一番近くにあった鳴子ダムを訪れました。

国内初、日本人だけの手によって造られたアーチダム

を売りにしているようです。

現地の管理所には自由にみれらる資料室もあり、

各所の説明パネルも充実しています。

画像2

公式Webサイトも情報盛り沢山ですが、要点と個人的に気になったところをご紹介します。

2、人と水の歴史

高さは94.5m、30階建てのビルに相当します。

ダムの上に立って下を見下ろすこともでき、なかなかの圧巻でした。

貯水機能は3500立方メートル。

25mプールの93,000杯分といいますから想像を絶しますね。

水害対策、下流域での水田用水、水力発電と多様な役割を担っているとのこと。

画像4

(国交省東北地方整備局鳴子ダム管理所発行のパンフレットより)

その歴史は昭和10年(1935)に江合川流域の首長たちが県に陳情したことから始まる、と紹介されていました。

まず江合川(えあいがわ)について少し説明をしますと、

宮城県北東部に位置する荒雄岳を源流とし、

かつて松尾芭蕉も通った出羽仙台街道沿いを流れます。

伊達政宗が一時居城とした岩出山の扇状地を形成し、

世界農業遺産にも認定された大崎耕土を潤しています。

かつては何度も氾濫を繰り返し、

近くは昭和22年(1947)のカスリン台風、翌年のアイオン台風、さらに翌年のキティ台風でも大きな被害を受けたそうです。

ようやく建設工事が着工されたのが昭和27年、5年の歳月を経て完成を見、

60年以上にわたって流域の人々の暮らしを守っていることになります。

そして、冒頭に挙げた「日本人だけの手で」という部分。

現地の解説板によると、鳴子ダムの直前に建設された宮崎県の上椎葉ダムは設計及び施工管理にアメリカ人技術者の協力を仰いでいたそうです。

アーチ式のダムは三次元解析を含め、最適形状を求めるために多大な労力を必要とするそうで、

鳴子の場合は日本人がアメリカから取り寄せたマニュアルを訳しながら自力で行ったとのこと。

裏を返せば明治のお雇い外国人の時代から長きにわたって

海外の技術者の力を借りて行なってきた土木工事の技術がようやく根付いたということになります。

画像1

鳴子ダムの管理所内で開放されている資料室内の器材類。

個々の詳しい説明はありませんが、ちょっとワクワクしますね。

画像3

屋外に展示されているバルブも重厚感にあふれています。

3、土木遺産にすっかり魅了

想像していた以上に楽しめたダム見学。

近代土木遺産はダイナミックな魅力に溢れていますね。

本来であればダムカードというコレクター心をくすぐる企画もあったのですが、

新型コロナ感染症対策として10月中は配布を休止しているとのこと。

再開したらまた訪れてみたいところです。

その頃には紅葉も楽しめそうですね。

またレポートします。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?