第1051回 脚色された人物伝より物言わぬ土木建築物の方が近代の精神を表すか

1、地域振興事務所から

長岡地域振興局 地域整備部で発行しているパンフレットに触れる機会があったので本日はこちらをご紹介します。

2、隧道と鉄橋

【円上寺隧道】
 “日本最古”の総コンクリート製水路トンネルとのこと。

大正4年(1915)完成といいますから、ゆうに100年を越えていますね。

このトンネルがあるのは新潟県長岡市。

日本有数の大河、信濃川の支流が流れ込み、「円上寺潟」を形成する湿地帯がありました。

享保初年(1716)頃には本間屋数右衛門らが「悪水抜き」を幕府に請願したとありますから300年前からの干拓の歴史があります。

本間屋と言うくらいですから、越後国守護代の本間家に連なる一族なのでしょう。

実際にまずは信濃川から分水路を引いて日本海に直接流すという大工事に着手がされたのが 明治3年(1870)。

分水路に通水が行われたのが大正11年(1922)。

並行して干潟の水を直接日本海に流すのがこの隧道です。

こちらも工事着工は大正2年です。

パンフレットでは坑口構造の希少性が紹介されていました。

坑口構造のことは隧道ポータルとも呼ばれ、大正初期までは付け柱・笠石・帯石など化粧積みがなされ、安全祈願の意味を込めていることがわかります。

これは神社にある鳥居を意識したものなので「鳥居型」と呼ばれ希少性が高いようです。


また興味深いのは完成時に掲げられた題額に「惟徳被生民」との文言があるそうです。

これは中国北宋時代の宰相韓琦を称えた欧陽脩の言葉から採られたものだといいますから、大正時代の人はなんと教養深いのでしょう。
 
【旧浦村鉄橋】

北越鉄道により1898年に設置されたこの鉄橋は鉄骨を英国から輸入する珍しいスタイルで話題に。

これが複線化により新鉄橋が新設されることになり、1952年に県に払い下げられました。

その後はなんと道路橋として分割されました。

信濃川に架かる『越路橋』、渋海川に架かる『岩田橋』『不動沢橋』。

そのうち後者2橋は現役とのこと。

これらの橋がかかる渋海川はあばれ川で、移設費用を住民が負担することを申し出るほど必要とされていたようです。

『越路橋』は新しい橋が開通した1989年に撤去工事に着手されますが、公園内に移設されることになります。

移設工事の竣工式では記念品として橋の鋼材を再利用した包丁が50が販売され(1本15000円)たといいますから、その発想に驚きです。

2019年 土木学会選奨 土木遺産に認定されました。

3、先人に恥じない技術を

いかがだったでしょうか。

県の土木関係の部署として、積極的に情報発信していることが

ホームページからで大いに伝わってきます。

明治の干拓事業は全国的に進められた国策ですし、

当時の土木技術は精緻だったのかよく残っていますよね。

当町にある明治のレンガ構造物も地震のたびに状況確認をしにいきますが

よくもっているな、と関心してしまいます。

西欧技術を取り入れ、並々ならぬ意志で技術を学ぼうとした当時の技術者たちの心意気が伝わるようです。

そして時代を経るごとに精神は堕落し、安易な土木構造物を量産するようになるのでしょうか。

つい先日ご紹介した江戸城の例でも

石垣が修復のたびに安価な材料に置き換わっていることが記載されていました。

https://note.com/tunawataridori/n/n245f5d8eda85

後の世に笑われない仕事をしていきたいものです。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
  

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