第749回 隠遁生活から再起をかけて

1、漢詩と詩人その12

『文選』に収録されている作品と詩人を紹介していきます。

ちなみに前回はこちら

2、公人としての来歴

今回ご紹介するのは応璩。

前回紹介した建安の七子の応瑒の弟にあたります。

魏の明帝、かの曹操の孫、曹叡に仕えて散騎侍郎という役職につきます。

名前の印象通り、当初は騎乗して王に付き従うのが職務だったもののようですが

当時は文書作成が主たる業務になっていたようです。

あまりにも正反対でびっくりですね。

続く斉王芳が帝位につくと侍中・大将軍長史に昇進したとのこと。

嘉平4 (252)に亡くなっているので、流行病で若くして没した兄よりだいぶ長生きしたようです。

3、百一詩

下流には処るべからず (卑賤の身分に長くいてはならない)

君子は厥の初めを慎む (優れた人物は物事のはじめを慎重にする)

名の高きこと宿より著れざれば (普段から名声が高くなければ)

用って侵誣を受け易し (誹謗中傷を受けやすい)

 前者に官を隳てて去るに (先頃官職を辞して)

人有りて我が閭に適る (私の住む村を訪れた者がいた)

田家には有所無く (農家にはもてなすものもなく)

醴を酌みて枯魚を焚く (あま酒と焼き魚の粗末な飲食を振る舞う)

 我に問う 何の功徳ありてか (彼は私に尋ねた。何の功徳があって)

三たび承明の廬に入る (三度も承明殿=帝の側に近侍していたのか)

占う所 此の土に於いてするは (吉凶を占ってこの土地を選んだのだろうか)

是を仁智の居と謂うか (仁智に優れた者にふさわしい居所だと思われたのか)

 文章は国を経めず(文書を作って国を治めることもせず)

筐篋には尺書無し(箱の中には1通の書簡すらない)

等を用てか才学を称せられ(学問の才を讃えられ)

往往にして歎誉せらるると(世間からは驚嘆されたのではなかったのか)

 席を避け跪きて自ら陳ぶらく(座席から転げ落ちて跪いて述べることには)

賤子 実に空虚なり(私は実に虚しい存在だ)

宋人 周客に遇うがごとく(価値のない石を後生大事にしていた宋の人が周からきた客にあって諭されたように)

慙愧して如く所靡しと(恥入って身の置き所もありません)

4、どこまでがリアル?

文意はとれましたでしょうか。

文選の編者は

架空の問答を通じて己の無能ぶりを自虐的に語る

と本作を評し、

背後には俗世を捨てた生き方への自負、

才能がないのに高位にいる者への批判も読み取り、

それを表現していた続編が本来あったのではないか、と推定しています。

これを受けて訳のニュアンスを変えて

訪問客が力のある主人公を叱咤激励しているようなものにしてみましたが

いかがでしょうか。

落ちぶれて田舎に引きこもっていた所を友人が訪ねてきて

過去の栄光を引き合いに出されて、一念発起する、

そんな物語が始まりそうな世界観です。

実際、応璩は皇帝にそば近く仕えていましたが

司馬一族が台頭し、実権を握っていくと

段々干されて、田舎に隠遁したのかもしれません。

日々鬱々としながらも、創作の世界では再起を図る物語りが編まれている、

そんな光景も浮かびますね。

宴会で上司をヨイショする漢詩よりはいいかな、と思ってしまいます。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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