第187回 リーダー論を考えてみた

1、典型的な二人のリーダー

項羽と劉邦。

今から2200年以上も前、

紀元前3世紀の古代中国で繰り広げられた

典型的な二人の人物による覇権争い。

音声メディアVoicyにおいて、サウザーさん(@Fist_of_Phoenix)が例えに出していたので、少し掘り下げてみたくなりました。

2、リーダーを生む社会背景

当時の中国は秦の始皇帝というカリスマを失って、社会が乱れていました。

以前のnoteでほとんど虚構だと否定されていましたが、まだアップデートできていないのでこれまでの知識で少し語りたいと思います。

労働に駆り出され都を目指す一群の中に、陳勝と呉広という人物がいました。

折しも天候が悪く、決められた期日までに到着できそうもなく、このまま死罪になるくらいならと一発逆転を狙って蜂起します。

その時唱えたのが

王侯将相いずくんぞ種あらんや

出自に囚われず時勢に乗って立身出世を目指そうという思想がすでにこの時代に生まれていたのが驚きです。

この思想を体現したのが劉邦という男。

任侠の親分といった存在で、人柄だけで頭角を表したような人物で、なぜか優れた人物が集まってきて彼を支えます。

3、英雄とは

一方の項羽は、秦に滅ぼされた楚の国の将軍の家系。

幼少の頃から

文字は自分の字が書ければ十分、剣術は一人しか相手できないからつまらない、といって兵法を修めたという逸話が残るほど上昇志向が強い人物でした。

その才覚に一目置かれつつも怖れられ、人から距離を置かれるタイプ。

群雄割拠を経て、天下がこの二人に集約されても、劉邦は度々戦に敗れます。

項羽からしてみれば、なんど叩きのめしても這い上がってくる不気味な相手。

ついに形成は逆転し、垓下という城に追い詰められます。その最期は多くの文人たちによって描かれる名場面です。

結局、個人的に才覚のある人物ではなく、人望に優れた者が皇帝になる、という歴史は中国では何度も繰り返されます。

蜀漢の劉備しかり、北宋の趙匡胤しかり。

日本のリーダーにはそのようなタイプはいるでしょうか。

源頼朝や織田信長はどちらかというと他人を信用せず、自らの決断を重視するタイプに思えますが、どうでしょう。

彼の国と我が国の国民性の違いもあるかもしれませんね。

みなさんはどう思われますか。

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