第1144回 日本古来の動物は

1、花の次は動物

以前縄文時代にどんな植物があったのか、という話題について、

磯野直秀さんという慶應義塾大学の先生の論文を紹介しながら触れたことがありました。

出前授業の感想文・アンケートを集約する、という仕事をしている中で思い出して、

ネコはどうだったのか

という疑問が湧いたので、同じ磯野先生の論文を探してきました。

磯野直秀2007「明治前動物渡来年表」『慶應義塾大学日吉紀要』自然科学No.41

2、珍しい動物は外交にも

最古の渡来動物の記録はなんと推古天皇の時代。西暦でいうと598年に新羅よりカササギとクジャクが持ち帰られたとのこと。

翌年には百済からラクダ・ロバ・ヒツジ・白雉が

さらに西暦618年位は高句麗からもラクダが献上されたと『日本書紀』には記載されているそうです。

ヒトコブラクダは西アジア原産で現在ではアフリカでの飼育が中心。フタコブラクダは中央アジア原産で、現在ではモンゴル高原でも生息していますから

朝鮮半島を経て日本へ送られてきたのは後者の可能性が高いのでしょう。

大化三年(647)にはオウムが、西暦671年には水牛が同様に献上されています。

日本にはいない、珍しい動物として珍重されたからこそ、贈り物として特筆され、わざわざ歴史書に記載されることになったのでしょうね。

天長元年(824)になるとチン(狆)という愛玩用の犬種が渤海国から献上されたと『日本紀略』にあるとのこと。

そしてようやく登場するネコは

寛平元年(889)の『宇多天皇御記』に大宰少弐がネコを献上した記録があるとのこと。

ここでようやく本命のネコが登場します。

大宰府という中国や朝鮮半島との交渉の窓口になる役所の高級官僚である少弐であれば舶来の珍重動物としてネコを入手できたということでしょうか。

時代は降って承安元年(1171)年には『百錬抄』に平清盛が後白河院の御所にジャコウネコを連れて行ったとの記事が。

嘉禄二年(1226)には藤原定家が日記『明月記』に「生麝」(ジャコウネコ)をみて「猫に似たり」と記しているとのこと。

希少な高級コーヒーであるコピ・ルアクで知られるジャコウネコの説明で使われているところを見ると、この頃になるとかなり「ネコ」自体はありふれた動物になっていたのかもしれません。

さらに時代は降って慶長七年(1602)には現在のベトナム北部にあった交趾という国からトラとゾウとクジャクが徳川家康に献上されます。

身近な例だと

慶長14年(1609)に完成した瑞巌寺本堂のふすま絵に「トラ」が描かれているのですが、マンガチックなネコのような愛くるしい表情で描かれており、

よく案内で説明していたときに

日本でまだトラを見たことある人が少なかったからデフォルメされているんですね、

と軽く流していましたが、文献に初めて登場するのがこのくらいの年代だったことを知って安心しました。

象が現在のベトナムにあたる広南からやってきたのは享保13年(1729)のこと。

つがいでやってきましたが、長崎でメスは死んでしまい、

オスだけが江戸にやってきます。

時の将軍徳川吉宗の上覧もあり、この像は1742年までは生存したとのこと。

1772年にはヤマアラシが、1780年にはワニがやってきます。

1799年には北海道で捉えられたシロクマも江戸に送られていたといいます。

鳥類は数があまりにも多いので割愛しますが、観賞用として好まれていたことがよくわかるリストです。

3、猫と稲作

いかがだったでしょうか。

ネコのことを調べようとして論文を見ましたが、ラクダやヤマアラシなどが思ったより古くから渡来しており、江戸時代には見世物としても興業が賑わうほどだったとは驚きでした。

ちなみに発掘調査の成果としては弥生時代からネコが飼われていたことが確かめられています。

ネコは愛玩用だけでなく、穀物を狙うネズミ退治の役割も担っていたので

稲作が盛んになる弥生時代当初から渡来していた、という考え方は魅力的ですね。


この論考のおかげで次に子どもたちの前で、縄文時代や江戸時代の動物事情もある程度自信持って語ることができそうです。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



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