第365回 平成の10大ニュース考古学編 後編
1、特別な日にこそ普段通りに
みなさん「退位礼正殿の儀」ご覧になりましたか?
まずはこの歴史的な瞬間をリアルで感じることができたことを
寿ぎましょう。
伝国璽とか剣とか勾玉とか
歴史好きをワクワクさせる要素が盛りだくさんありましたね!
TLをつらつら眺めていると
どうすごしたらいいかわからないから大晦日みたいに年越しそばを
なんてネタが流れてきて、ほっこりします。
かくいう私もなんだかそわそわして、気持ちが落ち着きません。
こんな時にいつものルーティーンがあると没頭できていいですよね。
私にとっては、このnoteという場所がそれだったりします。
2、私が選ぶ話題はこちら
というわけで、平成最後のnoteとして昨日の続きを。
⑥十三湊の繁栄
青森県は津軽半島にある十三湖(じゅうさんこ)に面した港の跡です。
平成3〜5年(1991〜93)に行われた発掘調査では
『廻船式目』に三津七湊の一つとして数えられた中世の港町の姿が明らかにされました。
博多や堺にも引けを取らない栄えた街並みが良好に残っているとのことで話題になりました。
個人的にも学生時代に少しだけ関連遺跡の調査に加わったことがあるので
思い入れの深い遺跡です。
中世は日本海を挟んだ大陸との交易がとても盛んな時代で、
太平洋側がなんとなく表であるかのような現代の認識を改めようと
研究室には南北を逆転させた地図が貼られていたことを思い出します。
⑦杉山城問題
杉山城とは埼玉県嵐山町に所在する中世城郭です。
平成14〜18年に発掘調査が行われましたが、出土遺物の年代15世紀後葉から16世紀前葉であったことから議論が起こりました。
この年代をそのまま地域史に当てはめると山内上杉氏時代に築城されたことになります。
ですが、発掘が行われる前、地表に残る堀や土塁の研究(縄張り研究)の観点からは後北条氏のものであるとされてきたからです。
この件に関しては以前noteでも触れたことがありましたね。
未だ結論は出ていませんが、研究が深化したという点で、後々まで語り継がれる成果だったのではないかと思います。
⑧西南戦争跡の調査
明治時代の遺跡からも一つ。
平成20年から熊本市などが行った発掘調査で、陣地が構築されたことを示す塹壕跡や、薬莢の出土状況から、これまで不明確だった戦闘の詳細が分かってきました。
上記リンクは 齋藤達志2014「西南戦争戦史の再考」『防衛研究所ニュース』2014年11月号 のPDFデータです。
明治時代でも考古学的手法が有効だと示されたという点で貴重な成果といえるでしょう。
⑨富山県木舟城跡で地震の痕跡を発見
この城は天正年間に上杉氏と織田氏との境界で戦場になったくらいで、それほど知名度が高いわけではありません。
なぜ取り上げるかというと
天正13年に発生した大地震で倒壊、その際の痕跡が調査で明らかにされているというところが注目されたから。
当時福岡町(現在は高岡市)が平成8年から13年まで行なった調査で城下町を含めた土地利用の様子が明らかにされました。
そして、地震に伴う液状化現象によって引き起こされた噴砂や地すべりの痕跡が見出されたことが特筆されます。
東日本大震災の復旧復興事業に伴う発掘調査で、次々に地震や津波の痕跡が見出されていることを目の当たりにすると、もっと考古学の成果を社会に還元していくべきだという想いに駆られますね。
3、最後の一つは…
いかがだったでしょうか?
10大ニュースと言いながら、9個しかないじゃないか、
というご指摘もあろうかと思います。
最後の一つはみなさんが「これぞ」と思うものをお選びください。
という形はいかがでしょうか。
今回、平成になってから調査が実施されたもの、という縛りを設けたため、
泣く泣く除外した遺跡も多くありました。
吉野ヶ里遺跡も、纏向遺跡も、上野原遺跡、朝倉氏館跡、志苔館跡も学術的にも大きな成果をあげるとともに、一般向けの普及という点でも史跡整備が進み馴染みぶかいものとなっているものがあります。
さらに古代から中世については、京都、奈良、鎌倉の都市部では継続的に調査が行われてきたので、平成になってからの調査という条件では取り上げられませんでした。
また平成の後半、特に東日本大震災後に行われた発掘調査はまだ評価が定まっていない部分もあり、今回は取り上げませんでした。
それでも前編後編合わせて9件のトッピックを紹介しましたので
平成の時代に考古学があげた成果の概要はご紹介できたのではないかと思います。
ぜひ皆さんが10番目に入れたいと思う話題があれば教えていただきたいと思います。
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