第1366回 江戸の狛犬 その3
1、水戸徳川藩邸から
参考文献は引き続きこちら。
今回ご紹介するのは墨田区向島の牛嶋神社。
水戸徳川家の小梅邸跡地、隅田公園に隣接しています。
もともと向島5丁目というより北側に所在していたところ、
関東大震災後の区画整理で移転してきたとのこと。
社殿と神輿庫は昭和初期の建築として評価され、区の登録有形文化財に指定されています。
2、狛犬だらけの境内
そしてこの神社にはなんと4対もの狛犬像が。
まずは昭和7年お生まれの一対。
関東大震災後の復興事業が契機、という他でも見るパターン。
台座も含めると3m以上はあろうという圧巻の狛犬さま。
まずはその両足の筋骨隆々ぶりが目を引きます。
頭の上には宝珠こそないものの、大きな耳が特徴的です。
後頭部が螺髪状になっている以外は、流線型の毛並み表現。
尾は左右に広がる唐草状になっていますね。
続いては享保14年(1729)お生まれの一対。
台座を含めても高さ1mほどの小ぶりな像です。
どこか愛嬌のある風情を感じます。
例によって頭の上に別材の様な宝珠が(吽像は欠失)。
耳は垂れ下がって、上を見上げているので吽像は特に鼻筋に皺がよっています。
胴部の毛並みも簡略化され、後頭部から伸びる、一部唐草状の毛以外はつるっとしている印象。
尾の表現も控えめ。
一方、文政10年(1827)年生まれの狛犬は岩塊上に屹立するタイプ。
吽像は子狛犬を従え、立派なふぐりまで表現されているので、雌雄の別をはっきりさせるタイプなのですね。
毛並みの表現は立体的かつ流線型で、動きを感じます。
頭上の宝珠はありませんが、鼻の下の髭が印象的です。
最後の文化8年(1811)生まれの像はもっとも残存状態が悪いですね。
前脚に鱗状に丸く盛り上がった表現が見られ、
阿像の方は尾の残存状況もよく、表現も丁寧にされていることが確認できます。
こちらは頭の上の宝珠の痕跡もしっかり残っています。
それにしても、
「この神社にはもう狛犬があるから他の何かを寄進しよう」
じゃなくて次々建立しちゃうのは不思議ですね。
文化と文政なんて10年そこらしか離れていないのに。
それだけ狛犬に寄せる思いが大きかった、ということでしょうかね。
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