見出し画像

第637回 某刀剣ゲームでも登場する姥切の本歌とは

1、日本刀レビュー31

月末に4号まとめて自宅のポストに届いているこの雑誌。

今回は珍しく不在票になっていたと思ったらこんなおまけが付いていました。

おまけってやっぱり嬉しいですよね。

さて、週刊『日本刀』のレビュー今回もやっていきますよ。

ちなみに前回はこちら。

2、作品よりも人

巻頭の【日本刀ファイル】は本作長義。

備前長船派の刀匠で、正宗十哲の一人に数えられる名工です。

新刀の巨匠、堀川国広によって作られた写し「山姥切国広」が有名で

本歌と写しがともに重要文化財に指定される例は他にないとのこと。

掲載作は北条氏直から下野国(栃木県)館林城主長尾顕長が下賜されたことから世にでるようになります。

豊臣秀吉の小田原征伐が始まろうとするとき、顕長は国広に写しを作らせます。

討死して刀も失われてしまうことを恐れて、ということだったのでしょうか。

その想いが62字という異例の銘文を刻ませたのかもしれません。

顕長が天正14年に氏直から下賜されたことと、本作長義の作刀であること、国広が銘を彫ったことが刻銘に刻まれています。

その後はどのような経路を辿ったかは不明ですが本阿弥家の手から

尾張徳川家に伝わることになります。

またこのパターンか、とも思いますが、徳川御三家の力で散逸を防ぎ

現代まで伝承してこれたのは、尾張徳川家あってのことでしょう。

【刀剣人物伝】は赤松政則。

珍しく室町時代からの登場です。

赤松家は足利将軍家の創業を助け、「四職」として重要視されてきた家柄。

嘉吉の乱で一時期没落するも、

家臣たちの抜群の働き(南朝から神璽を取り返した)によって再興を許されます。

その時の当主が政則です。

彼は家臣の統制の一環として自ら作刀に臨み、その刀を下賜するという行動にでます。

現代にも8振りが現存しているという政則の作刀。

芸術としての刀工を行う江戸時代の殿様たちとは一線を画す職人技ですね。

【日本刀匠伝】は包平。

古備前派の一人として数多くの名刀を世に出してきました。

中でも傑作は「大包平」

姫路城主池田輝政の愛刀で、

一国に替え難いほどの宝

と称えたほどです。

代々池田家に受け継がれ、現在では東京国立博物館に所蔵されています。

門外不出を固く守られ、明治天皇も、マッカーサーも断念したというエピソードが伝えられています。

黒川古文化研究所には徳川家宣から柳沢吉保が賜ったとされる太刀が所蔵されていますし、

公家の鷹司家や豊後臼杵藩稲葉家にも包平の太刀が伝わっています。

藤原保昌の懐剣も包平だったとか。

所有者のエピソードは多いですが、刀匠としての物語は全然ありませんね。

気を取り直して

【現代の日本刀カルチャー】では

刀剣展示最前線と題して、東京両国の刀剣博物館と福岡県の福岡市博物館、大阪府の石切劔箭神社の展示方法を紹介しています。

最後に【日本刀BASIC】と題して金工技術が紹介されていたのは

非常に興味深い物でした。

彫りの技法が明快に図解されており、これは何かの解説で活用できそうだと感じます。

3、戦う刀匠

いかがだったでしょうか。

いつも1番興味深い【日本刀匠伝】が少し掘り下げが足りないように感じて残念でしたが

やはり一介の職人である刀匠の伝承はなかなか残っていないものなのでしょうか。

【刀剣人物伝】で登場した赤松政則に作刀を教えた長船派の勝光・宗光兄弟は彼ら自身も戦場に出ていたようです。

刀の使われる現場を見て作刀に活かしていたのか

自らの作刀地である長船を外敵から守るため、という意識がたかかったのか、

興味は尽きませんね。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?