第534回 松島の名所シリーズ①

1、松島の景観を楽しむポイント

昼休みに思い立って紹介した

松島四大観の一つ、扇谷(おおぎだに)が

思ったより好評価を頂いたので

本日はこれをもう少し詳しく紹介したいと思います。

余談ですが、鎌倉には扇谷とかいて「おおぎがやつ」と読む有名な地がありますが、特に関係はなさそうです。

と言いつつ松島は鎌倉を模して整備されていったところがあると思われますので、これはまたの機会に詳述していきます。

2、四大観とは

舟山万年という仙台藩の儒学者が文政年間(1818〜31)に著した『塩松勝譜』の中で

松島湾を眺めるのに適した四つの展望台を選びました。

それが、富山、大高森、多聞山、そして扇谷でした。

せっかく四つなのだから、四天王と対応させられればよかったのですが、

本来北方の守護者である多聞天の名をつけた多聞山は南側にありますし、

他の3地点には四天王と絡められそうな文物はなさそうです。

3、扇谷の現在

扇谷があるのは現在の行政区分でいうと松島町と利府町の境に近いところで、四大観のうちの西側にあたります。

ちょうど松島湾が扇を広げたような形で眺められることからその名で呼ばれるようになりました。

なぜか山頂には達磨堂があります。

町内には臨済宗妙心寺の拠点である瑞巌寺をはじめ、禅寺が多いので

禅宗の開祖である達磨大師を祀ること自体は不自然ではありませんかね。

特に瑞巌寺101世の鵬雲禅師はこの地をこよなく愛し、墓所に選んだとされています。

その塔は金翅塔と呼ばれ、法灯を受け継いだ僧侶達に大切に守られています。

麓には海無量寺という瑞巌寺の末寺がありましたが、今はもう廃寺となっています。

そう、達磨大師と松島の話でいうと、

「松島」の地名由来の一説も絡んでくるんですよ。

なんでも聖徳太子が達磨大師が日本に招来されることをこの地で待ったから

「待つ島」→「松島」

というね。

もうどこから突っ込んだらいいかわからない…

諸説あるものの史実の達磨大師は5世紀後半から6世紀前半の人で

574年に生まれた聖徳太子とは微妙に同時代人ではないんですよね。

いくら松島が古来からの霊場だからといって6世紀まで遡る文物は皆無ですし、聖徳太子が陸奥を訪れていることなんてありません。

むしろ大和国から出たことあったのかな?

こんな荒唐無稽な話でもまことしやかに地元では語られていたということでしょうか。

もう少し信憑性が高い地名由来譚もありますので、それはまた次の機会に。

4、ぜひ貴方にこの紅葉を見せたい

いかがだったでしょうか。

東西南北に合わせてなにか4つを選ぶ、という発想が大好きな日本人。

機会があったら残り3つもご紹介しますね。

ちなみに扇谷は紅葉の名所でもあるのですが、

先頃の台風19号の接近に伴う豪雨で、

展望台の下まで行ける車道が陥没したりしていますので

しばらくは車でのお越しは避けた方が無難です。

といいつつ、JRの駅からは歩くとそれなりに距離がありますし、

交通量の多い国道脇を歩いて行くことになるので

こちらもあまりオススメできません。

なんとか紅葉の見頃になるまでには復旧させたいところです。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


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