第840回 歌枕としての松島13
1、第85段から第91段まで
今週もやってまいりましたこの企画。
ついに近代の詩人まで到達しました。
あと9人どうしよう。
何はともあれ
Twitterで毎日呟いている #松島百人一首 を一週間分ご紹介します。
Wikiレベルですが作者の経歴の紹介と
個人的な感想を付け足しています。
また【私訳】はあくまでも素人の私の解釈なので
間違いなどありましたらご指摘いただけると嬉しいです。
2、ついに近代和歌の世界へ
第85段 島の名のまつとなのりてなく虫の声はちとせの秋もつかせし
菅江真澄
【私訳】
島の名前と同じ松虫の声を聞くと、千年の時もあっという間に過ぎてしまいそうだ。
菅江真澄は江戸時代後期の博物学者で、各地へ旅して様々な記録を残した人物です。
松島を訪れた時の話が、『菅江真澄遊覧記』に記載されていて、
この歌もそこから抜粋されています。
松は寿命が長いおめでたい植物で、1000年もの間、景観を形成してきたかのように思われていましますが、
実際の松島の松はそれほど太いものはなく、幾度となく薪にされたりしているので意外と年月が経っていないのです。
第86段 やそ島の最中の影や何ばかり月見崎の名にはあひけん
春永逸史
【私訳】
数多い島々の中に見えるあの影はなんとも言えない美しさだろう。月見ヶ崎の名にふさわしい。
春永も江戸時代の記録を残した人物で『陸奥の名所栞』という書物に松島の描写が見えます。
あまりに暑さが続いていますので、そろそろ秋のお月見が恋しくなってきませんか?
第87段 真玉つく雄島松むら雨を浴みゆう日もさすか松の千露に
伊藤左千夫
【私訳】
雄島に生える松の木が雨を浴びて夕日輝く様は、さすが千年の長寿をもたらす玉露というにふさわしい。
正岡子規の意思を受け継ぐ明治の詩人で、多くの後進たちを育てています。
こちらも松の寿命が長いことにあやかって、寿命が伸びるような効能が玉露に期待されていたのでしょうか。
実は松葉を煎じて飲むと胃腸に良いらしいです。非常に苦くてなかなか飲めないようですが。
第88段 政宗の追腹きりし侍に少年らしきものは居らじか
齋藤茂吉
【私訳】
伊達政宗に殉じて追腹を切った侍にまだ少年だったものはいたのだろうか
伊藤左千夫の薫陶を受け、のちに文化勲章をもらうほど歌の世界を広げた人物として評価されています。
あえてイレギュラーな歌を選びました。
松島の瑞巌寺は歴代藩主の御位牌が安置されていますが、殉死した家臣達の御位牌も隣の部屋に安置されています。
死出の旅路を共にしようとした家臣達の心意気を、
残された人が汲み取って位牌も側近くに置かせてもらったのでしょうか。
第89段 ふたたびはあひがたからむ初秋の月松島の島々に照る
岡麓
【私訳】
再び見ることは難しいだろう、この初秋の月が松島の島々に照る様は
伊藤左千夫と知己だった縁で正岡子規に師事。斎藤茂吉とも交流があったようです。
初秋の月が松島の島々を照らす様をみて、これに匹敵する景観はもう見れないだろうと最上級の絶賛をしてくれています。
第90段 八百八島うかぶ内海あをあをと禅寺の庭に古りし灯籠
結城哀草果
斎藤茂吉の弟子で、地元山形で生涯暮らしながら詩作を続けています。
もちろん松島も実際に見ているのでしょう。
青々としている海を見ていたかと思うと、急に寺の庭にある灯籠の話題になるのが独特の感性ですよね。
【私訳】
808もの島があると言われている松島の湾は青々としているし、禅寺の庭には古くから伝わる灯籠が立っている。
第91段 松島の島々のまに光る海しづかに暑く日はかたむきて
佐藤佐太郎
地元宮城出身の歌人。彼も斎藤茂吉の弟子でした。
上京し、岩波書店に勤めがら詩作に励み、研究書の編纂にも取り組んでいます。
この歌なんか現在の残暑厳しい様子を的確に表現してくれているようです。
3、地元の偉人
いかがだったでしょうか。
江戸時代後期の旅行家も含まれますが、明治以降の和歌について、単語さえ難しいモノでなければ訳も必要ないくらい明確ですよね。
やっぱり近い時代の作品であればあるほど思考回路が近かったり、感情的に理解しやすいのかもしれません。
近代で言うとやはり斎藤茂吉の影響は大きいですね。
斎藤茂吉が東北出身ということもあり、弟子達も多くはミヤギ各地の名所を探して和歌を作っています。
そして夏真っ盛りだと、秋の名月を詠んだ歌をみて、もう少しの辛抱か、
と気持ちを新たにするので効果的です。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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