第846回 突如現れた巨大な覆屋

1、ほんとに実現するのか

本日は文化財担当者会議の一環で多賀城跡を視察してきました。

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実は宮城県多賀城市では古代陸奥国府である、多賀城の創建1300年の2024年に向けて復元を進める国特別史跡「多賀城跡」の南門(正門)復元工事を実施しているのです。


史跡公有化を進め、計画的に発掘調査をして調査がなされてきた多賀城跡に

突如として現れた巨大な覆屋に、知らず通りかかった方は驚いたことでしょう。

建物の高さは14mもあり、しかも地下の遺構を守るために盛り土がなされているので、より際立って高く見えるのです。

2、中央の出先から地方の心の拠り所へ

多賀城とは、宮城県の多賀城跡調査研究所のWebによると

神亀(じんき)元年(724)、大野東人(おおののあずまびと)によって創建された奈良・平安時代の陸奥国の国府であり、行政の中心地でした。また、奈良時代には鎮守府も置かれ、軍事の中心でもありました。

https://www.thm.pref.miyagi.jp/kenkyusyo/explanation_tagajoato.html

と紹介されています。

改修、兵乱、地震などを経て大きく分けて4段階の改変を得てはいますが、

当地域を支配する圧倒的威圧感をもった城であったことは間違いありません。

実は中央の出先、支配の象徴としてあまり好きにはなれませんが、

政治の表舞台として歴史的な情報が満載の遺跡であることは間違いありません。

なかでも正面を飾る門は花形でしょうから、復元された暁には街のシンボル、地元の誇りとなっていくことでしょう。


3、古代の夢をのせて

一応内部の様子も写真を撮影しましたが、

もう直ぐ立柱式を実施し、それに合わせて一般公開もするらしいので

まだ上げないでおきます。

現在は基壇部分が仕上がり、礎石が据えられた状態で、安定させるために一ヶ月ほど様子を見ているところだという説明がありました。

南門跡では礎石が据えられていた痕跡である、根石という小さな石が集まった様子は確認されましたが、礎石自体は動かされて残っていなかったようです。

というのも周囲には大きなアルコール砂岩の石が転がっており、

今回の復元についても同様の石材で構築する、ということでした。

今だけ、のポイントとしては、

復元建物といえど、防火耐震については現代の基準をクリアする必要があります。

そのため、見えないところで現代的な技法が使われている、ということを確認できることが挙げられるでしょうか。

2022年までに門は完成、23年に門に取り付く築地塀が造られるとのこと

このあたりの景観は一気に変わりそうです。

一方で南門の直ぐそばには「壺の碑」と呼ばれる石碑があり、

多賀城がいつ創建されたか、恵美朝狩によって修築されたことなどが刻まれています。

江戸時代から仙台藩が史跡の保護に取り組み、

松尾芭蕉が感涙した光景がよく残っていますが

この南門の復元に合わせて大きく変わってしまうとのこと。

古代の景観を復元するために、残っていた近世の景観が失われてしまう、

よくあることかもしれませんが、なんだかスッキリしませんね。

多くの人々の期待と夢をのせて、建物の復元は着々と進んでいきます。

これからも段階に応じて公開の機会も増えることでしょう。

注視しつつ、おりに触れご紹介できればと思います。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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