第797回 世界情勢を知らずして何の郷土史学ぞ

1、職場にご恵送シリーズ72

本日は

仙臺郷土研究 復刊45巻第1号

をご紹介します。

なんと昭和6年1月の発行から通巻300号となり、第1号を復刊して掲載した、とのこと。

戦時中の物資不足や、創立当時のメンバーが高齢化したことなどから途中休刊を挟み、昭和51年からは継続してきたというから驚きですね。

継続すること、しかも多くの人の手に受け継がれてきたことは素晴らしいです。

2、志高くありたい

復刊の冒頭を飾るのは

阿刀田令造 郷土研究私見

この方はは創刊当時の会長。

旧制第二高等学校(現在の東北大学)第九代校長を勤めた西洋史学者で、

昭和5年の2月9日に現在の名取市中田小学校で行った講演会の内容を精査したもののようです。
       
ちなみに創刊当時の役員名簿を見ると

『仙台郷土誌夜話』で知られる郷土史家三原良吉、

東北地方の民家研究で知られる東北大学の建築史家小倉強の名前が。

会員は小学校や師範学校の教員の名前が目立ちます。

ちなみに大條伊達氏の伊達宗雄も女子師範学校の肩書で名を連ねています。

考古学分野では喜田貞吉が黒塚について報告しています。

さて、阿刀田氏の論考の中身ですが、郷土史研究とはどうあるべきか、ということが本旨のようです。

郷土史研究の必要性については

 習慣・風俗・制度・言語・口碑・伝説・里謡には独創のものも、伝播のものもあろうが、いずれにしても其所に郷土人の加工がある。加工せられつつ支持せられたものに相違ないから、長い時に渡りて郷土人の合作と見做していい。わたしはかかる合作によってのみはじめて郷土人の真の生活を知ることができると思っている。
7,80年前のものであれば、豆腐の値段をつけた小遣い帳であっても尊い資料だ

寺証文から家族構成が知られ、名子・水呑・被官という文言が見られることから農奴のようなものがあったのかもしれない、という指摘をしています。

契約講、婚礼、葬儀、盆踊りなどは口承で伝えられるもので、記録にとどめて置かねばならぬ。

なんとも勇気づけられるお言葉ばかり。

郷土で語りづかれたこと自体に価値がある、というスタンスには首肯しかありません。

一方で苦言も見えます。

郷土史の陥りやすい弊害として、地域の事件や人物を大きく誇張しすぎることを挙げています。比較研究を行ったうえで、国の歴史全体にどう落とし込むかを考えなくてはいけないと指摘します。

ことさらに是を避け遮二無二偉人と高め、大事件として取り扱い、常に最大級をもって遇するがごときは、歴史は真実を語るの基礎観念を顛するものであって、むしろ歴史を損いつつあるものといわねばならぬ。

「米一升の値段をしらないで何の経済学ぞ」という非難に通じるという表現をしています。

当時の流行句でしょうか。

郷土愛が過ぎて他者を貶めるようなことはあってはいけませんよね。

鏡面に映して己の形態を知り、他者と比して己の内面が見えてくる。郷土が判ることによって家庭が判る。国史が判ることによって郷土の歴史が判る。世界史が判ることによって国史が判る。

こういう、「修身斉家治国平天下」に通じるような表現、好きです。

幼年のものには鼻をつくようにわが郷土をもって迫ることなく、山も河もわが郷のというより先にわが自然の、という観念を喚起し、将来うるわしい追憶に値するよう、環境を好良なる条件においてやることでなければならぬ。
少年の世界を護りつつ郷土教育を行へ、焦りてはいけない。

地域の小学校に出向いて郷土教育に向き合う身としては耳の痛い言葉ばかりです。

3、時代は変わっても

いかがだったでしょうか。

今から90年も前のこと。

西洋史が専門の大学教授が地域の有志を募って郷土史研究会を設立、

その物語だけでも私には心に響きます。

郷土の歴史に関心のある層がこれだけいたのかと。

今はどこもこのような研究会は少子高齢化や他の問題で運営が厳しくなっていることと推察します。

まず、社会科の教員でも地域史に関心のある層が少なくなっていると実感しています。

学芸員が出向いて教える、という形だけでなく一緒に調べていきましょう、

みたいな形に持っていくのが理想ですよね。

まだまだ道は遠いなぁ。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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