第902回 多賀城はまだまだ調査中

1、地山をみただけでちょっと嬉しい

本日は久しぶりに発掘調査の現地説明会に行ってきました。

https://www.thm.pref.miyagi.jp/kenkyusyo/index.html

多賀城跡第94次調査ということで

宮城県の多賀城跡調査研究所の主催です。

新型コロナ感染症対策として、午前・午後に分けただけでなく、

10〜20名くらいの少人数に分散させ密集を避ける配慮がされていました。

万が一に備えて参加者が追跡できるようにしっかりとした受付をしていたのも

今までにない形でした。

必要な手は全て打った上で、という気概を感じましたね。

説明会資料に付番されており、午後の遅い時間に行った私が98番ということは

おおよそ100名の参加があったということになりそうです。

2、古代の多賀城と中世へ

94次ということから分かるとおり、国の特別史跡に指定されている多賀城跡では昭和44年から継続的に発掘調査が行われており、

現在は多賀城の中心的な施設である政庁跡より北側を重点的に調査しているとのこと。

何でも多賀城市が多目的広場として整備する計画があるとのことで、その事前調査という位置づけのようです。

これまでの調査で政庁跡を取り囲む築地塀を挟んで、すぐ北側にも立派な多物が並んでいることが明らかになっていましたが、

今回の調査で時期は明確ではありませんでしたが

さらに北側へ掘立柱建物が並んでいたことがわかりました。

柱の穴は一辺が1.2m〜1.6mもある規模の大きなもので、

年代を特定するような遺物の出土はありませんでしたが

古代の建物であることは間違いないようです。

調査担当者さんによると、火災で焼け落ちた痕跡はない、ということで

伊治公呰麻呂の乱で焼かれた第2期ではないだろうとのこと。

奈良時代の創建から貞観大地震からの復興を経て、中世に衰退する長い歴史のなかで

特定ができないのはちょっと残念です。

ただ、今年は半分しか掘っていないので、来年残り半分掘れば時期を特定できる遺物も出土するかもしれませんね。

一方調査区の南端には東西18mもある大きな掘り込みが見つかり、

これが埋められた土の中から11世紀後半の白磁碗が出土したことは特筆に値します。

なぜかというと白磁の碗はいうまでもなく、中国から輸入された高級品。

11世紀前半にはすでに政治的な中心としての役割を終えていたとされる多賀城跡でもこのような高級品を使う身分の人がいたということが明らかになったからです。

同じ土層から素焼きの土器皿が出土しているのもすごくいいです。

こういう皿は盃だったり、灯明皿だったりと比較的数多く、実用的で、しかも短期間だけしか使われないと考えられるので

年代を決める物差しとしても非常に重要です。

ただこれまでこの11世紀後半という時期の資料はすごく少なかったので

ミヤギの当時のことを知るための良好な資料となることは請け合いです。

裏も見たいとわがまま言って、じっくり観察してきました。

3、歩けおろじー

いかがだったでしょうか。

結構内容的には地味で玄人向けだったかもしれませんが、

多賀城周辺では毎年このような調査の積み重ねがあって

多賀城全体の変遷や地区ごとの性格などを明らかにしていっているので

見学者の方達もわかっている方が多いのかもしれません。

そうせっかく遠くの駐車場に車を停めたのだからと

軽く散策してみましたが、

空堀の跡に覆屋をかけて展示していたことを初めて知りました。

図面上でイメージしていた姿と実際に歩いてみたのとでは

やはり印象が大きく違いますね。

多賀城跡、まだまだ全体像を把握するには時間がかかりそうです。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?