第757回 巧みに立身を遂げた先に見えるもの
1、漢詩と詩人その14
『文選』に収録されている作品と詩人を紹介していきます。
ちなみに前回はこちら
2、三代かけて最高位に
今回ご紹介するのは何劭(かしょう)。
陳国陽夏、現在の河南省の出身です。
祖父の何 夔(かき)は曹操・曹丕の二代に仕え
父の何曾は魏の曹叡に仕えるも、司馬一族と親しく、司馬炎が晋王となると丞相や三公となって立身出世を遂げます。
何劭自身は司馬炎と幼なじみで、散騎常侍、尚書左僕射を経て三公の一つである太宰になります。
本書では
常に要職にありながら権力闘争のなかを巧みに遊泳し、天寿を全うした
と評されています。
3、遊仙詩
青青たり陵上の松 (青々とした丘の上の松と)
亭亭たい高山の柏 (高くそびえ立つ山の上の柏)
光色 冬夏に茂り (季節を問わずその光彩は輝き)
根柢 凋落すること無し (根もとに葉を落とすことはない)
吉士は貞心を懐き (立派な人物は節度を保ち)
物に悟りて遠く託せんことを思う(外界の事物を見て悟り、俗界から遠くに身を託そうとする)
志を玄雲の際に揚げ (天の果てにある黒雲に志を掲げ)
目を流して巌石を矚る (視線は岩を見る)
羨む 昔 王子喬の (周の時代の仙人、王子喬はなんと羨ましいことか)
道を友として 伊洛を発し(道を得た仙人たちを友として都を捨て)
迢遞として峻岳を陵ぎ (はるか遠くの山を目指して)
連翩として飛鶴を御するを(軽やかに飛ぶ鶴たちを操っている)
跡を抗げて万里に遺てん (世俗の世界を超えてすでに万里となり)
豈に生民の楽しみを恋わんや(どうして庶人の楽しみを恋しく思うだろうか)
長く懷いて仙類を慕う(長いこと仙人たちを慕う心が高まり)
眇然として 心 綿邈たり(その心は遠く高く、細やかに続いていく)
4、高位になるとそれはそれでストレス
いかがだったでしょうか。
私のあやしい訳文でも大意は掴めるのではないでしょうか。
要は古の賢人のように世俗を捨てた仙人の暮らしをしたい、という感情を吐露している、ということなのでしょう。
父祖の代から、魏から晋への王朝交代時期を超えて、高位を得た人物が
漢詩の世界ではしがらみのない、自由な仙人の世界に憧れている、
矛盾しているようで本音を文学で表現しているのか、
当時の教養ある人物はかくあるべし、というパフォーマンス的な意味合いが強いものなのか、
それは私には判断できません。
しかし、『晉書卷三十三 列傳第三』に記された彼のひととなりをみると
衣装も派手で、食事も豪勢。
とても仙人に憧れている人とは思えません。
逆に政局の荒波に揉まれたストレスを贅沢で発散している、
しかしそれ自体に疲れて、自由の身に憧れている、
そんな姿も想像できるでしょうか。
そう考えると1800年も前の人物ですが、ちょっとだけ親近感がわきますね。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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