第748回 戦後政治の生き証人は文化財をどう見ていくのか

1、国会会議録検索システム

を使って「文化財」という言葉が国会でどう語られてきたのかを

戦後の第一回国会から少しずつみてきたこのコーナー。

ちなみに前回はこちら。

2、第10回国会 衆議院 予算委員会 第18号 昭和26年2月22日

前回ご紹介した会議録後は松江市を国際観光都市に認定する件や

福井県の丸岡城における台風被害からの復旧工事に国庫補助を行うことなどが議論されていましたが、

次に取り上げたいのは正倉院の話題。

質問したのはなんとかの中曽根康弘。

予算案の中に鉄筋コンクリート造の新たな収蔵庫を作って宝物を収納しようという事業が入っていたようで、

当初計画していたものより、物価の高騰のあおりを受けて縮小を余儀なくされたようです。

そこから話題を変えて中曽根氏が質問したのは当時の皇太子、今の上皇陛下の教育について。

新聞報道で、アメリカとイギリスどちらに行きたいか、と尋ねられた際にイギリス、と答えたという情報を得たことから、

誰の影響でそのような考え方になったのか、という趣旨の質問です。

政府の事務局としては、特にどなたからの暗示ということではなく、ご本人のお考えです、

と無難に答えていましたが、

これなどはどのような意図をもってなされた質問なのか深読みしたくなりますね。

とりあえずここは深掘りせずに

さらに質問は続きます。

とある世界大会に出席して、日本の皇室制度があまり理解されていないことを肌で感じた、という中曽根氏。

中には本当に天上から降って来たのか、と尋ねる人さえいたと言います。

誤解をとき、正しく理解してもらうためにも、積極的に世界の人士にまじわるきかいをもうけるべきた、との論調です。

対する事務局の回答はというと、

現在では問題となっていない、将来の課題とする、

とはぐらかされて終わっています。

ここでもそれ以上追求してしないのはどういうわけでしょうか。

ちょっと物足りなさを感じてしまいますね。

3、発言の裏を読みたくなる

中曽根康弘は昭和22年に初当選を遂げたばかりの33歳の新進気鋭の若手議員。

元々内務官僚出身で、自主憲法制定や再軍備を標榜する反吉田派として知られていました。

前項であげた皇室に関する質問も自身の政治的位置を表明するような発言だったのかもしれません。

後に靖国神社参拝や防衛費の1%枠撤廃などの復古調の政治姿勢が左派勢力から批判され

右翼片肺や軍国主義者などと揶揄される伏線になっていたのかもしれません。

政治家のちょっとした発言から漏れる本音や後の展開を知っているからこそ分かる部分など、

また別な視点から国会の会議録を眺めて見るのも面白いかもしれませんね。

今後もどんな政治家が文化財に関連する質疑を繰り広げてくれるのか、楽しみにしていきたいと思います。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


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