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いちどでは足りなかった「TAR/ター」

ケイト・ブランシェットが指揮者を演じる、それだけの予備知識で映画「TAR/ ター」を観た。ザワつく余韻がおさまらないし、リディア・ターの内面にもう少し迫りたい。リピートの前に、気になったことの一部を記録しておく。

ターの音楽的嗜好は冒頭の授業のシーンから明確だった。
学生が選んだ無調の現代音楽をチューニングの最中のようだと言い放ち、彼にバッハを勧める。学生はそれに反論しつつ(バッハのミソジニーがどうのこうの……いまどきの音大生はこんな御託を並べるのか?嫌だ嫌だ)ひたすら貧乏ゆすりをしている。ターはその太腿をガシッと押さえて説き伏せようとするが失敗、学生は怒って教室を出てしまう。

(指揮者の仲間のマーク・ストロング(役名忘れた)が、雑音にたいする感性について何か語っていたのだが、あれは鍵になりそうだ。なんと言っていたのだろう?)

ターのオケで欠員が出たのでオーディションをすることになる。ターも審査員のひとりだが、審査の前に知っている顔を見てしまう。以前に講演したときに話しかけてきた若い女。ターは演奏の音よりも、その女の靴音でチェリストを選ぶ。

オケの副指揮者は、ノック式のボールペンをカチカチやる癖が強い。
ターが部屋に入った瞬間にボールペンを構えるが、彼がそれから目を離した隙にターは自分のポケットに隠す。副指揮者は、ターが新入りのチェリストをひいきしているというを口にして、解任される。

自宅で作曲していると、向かいの部屋からチャイムのようなピンポーンという音がたびたび聞こえる。その部屋の女が何度かやってきて仕事の邪魔になるが、そのうち女の年老いた母が死に、介護してきた女は刑務所?に送られる。その後、女の遺族が、ターの部屋から聞こえるピアノやレコードが騒音だと苦情を言いにくる。

新天地のオケでヘッドホンを装着してから指揮を始めるター。無神経に曲にかぶさるナレーション

バッハに象徴されるターにとって絶対的正義の「音楽」と、その対極にある雑音雑念。ターは潔癖症のようにあらゆる雑音を取り除こうとするが、ふたをすることでそれは逆に反響し増幅する。その恐怖がただごとではなかった。

余談だが、オリヴァー・サックス『音楽嗜好症』によれば、聴力の異常で音そのものが遮断されたとしても、脳は聴覚からの刺激に飢えてみずから幻聴を聞いてしまうそうだ。

聞きたい音だけを聞くという夢は、おそらく叶わない。

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