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手紙をひらく雨の午後

本棚を整理している時、手紙の入った箱を見つけた。懐かしい。そう思って、1枚ずつ開く。

部活の先輩や仲間からもらったもの。
家族からもらったもの。
友達からもらったもの。
職場を辞めた先輩からもらったもの。
過去の自分からもらったもの。

時間を忘れて読みふける。やっぱり手紙はいいな。一言一言に、その人と一緒に過ごした思い出がつまっている。部活の先輩からもらった手紙は、あの頃、泣きながら読んだ。もう二度とあの頼りになる背中を見ることができないと思うと、涙が止まらなかった。友達からは案外しゃべると面白いやつ、なんて嬉しい言葉をもらった。
自分宛への手紙は読んでて恥ずかしい。小学生の頃書いたものだ。自分を変えて新しい自分になれたでしょうか、とか。変わったといえばそうだし、でも根っこの部分はちっとも変わっていない。



働き始めてしばらく経った頃。私より少し歳下の男の子が入院していた時、下げられた食器と一緒に、手紙が添えられていたことがある。

──いつもうますぎ、ありがとう、最高のめしでした。小さいメモいっぱいに、お世辞にも上手とはいえない大きな字で、そう書かれていた。

その頃はちょうど、仕事をやめたくてたまらない時期だった。嬉しくて嬉しくて、泣いてしまった。誰のために何のために仕事をしているのか、分からなくなってしまいそうな自分の、心の支えになった。

手紙は何通も届いた。母ちゃんのめしより美味い、なんて書かれていたこともあって笑ってしまった。いつもにこにこと音楽を聴いている顔が印象的な男の子だった。

退院したと聞いた時、正直寂しかった。でも、美味しくて栄養のあるご飯をたくさん食べて、元気に退院できるよう手助けするのが私の仕事だから。心からおめでとう、本当に良かったね、とお祝いをした。


私に自分の仕事に誇りを持っていい、と教えてくれたのはあの男の子だった。
今でも手紙は大事に取ってある。仕事がしんどくて嫌になってしまった時、辛いことがあった時、読み返してはたくさんの励ましをもらっている。


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