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ルッキズムとは何だろう?

かわいいね、美人だね。といった「容姿を評価することは言ってはいけない」というのが世界のスタンダードな教育方針になっていることをご存じだろうか。

人の見た目をネガティブに表現したり、貶したりすることが、タブーとされているということは割と一般的であると思う。

しかし、人の見た目を褒めたりすることが失礼に値するということが理解されにくい。

先日、あるコミュニティのなかで、美しいや可愛いなどと女性に対して褒めることも失礼に値するのではないかという意見が出たのだ。しかし、その場にいた多くの方があまり理解できていない様子。褒めることはよいことだと疑わない方が多くいた。

ポジティブであれ、ネガティブであれ、人の容姿を品評することに派生する差別のことをルッキズムと呼ぶ。

ルッキズムを詳しく定義づけをしておこう。

ルッキズム(英 lookisim)とは、容姿で人間の素質を判断することで、身体的に魅力的ではないと思われる人々に対する差別のことである。

そのため人種的差別的発言やネガティブな発言をすることが不適切であるということは理解しやすいし大衆に受け入れられやすい考え方であると思う。

しかし、他人をきれいだね。細いね。肌がきれいだね。白いね。などどいうプラスと思われる表現がタブーであるということはあまりすんなりとは受け入れられないのである。

たてた仮説の一つとしては、誰もが褒められることがうれしいと思われているため、人の美醜について簡単に言及してしまうのではないかということである。

勝手に、自分の努力の及ばないことで容姿をジャッジされることによって、自分は、他者から品評されていい存在だと、知らず知らずのうちに刷り込まれてしまう。それによって、自己肯定感が下がるおそれがあるのだ。
高い価値をつけられても、低い価値をつけられても、他者に勝手に評価されていい自分という認識をしてしまうのだ。

それまで対等に接していたつもりなのに、上から目線で容姿をジャッジされることで、その関係は対等ではなくなる。

例えば、ビジネスの場では、能力を評価してほしいのであって、容姿やスタイル、美醜は関係ない。

見ず知らずの人から、一方的に下された容姿評価が自分の価値をさげたり、あげたりすると思わされてしまう。

人格から性的価値を引きはがして評価しているように感じる。

わかりにくい人には、君っておいしそうだね、って言われたらどう思うか、問いかけてみると理解しやすいかもしれない。

なるほど、自分が望んでもいないのに、食べるものとして評価されている。これほど気持ちの悪いものはあるまい。

望まれている場面で、

例えば今日の髪型がいまいち決まらなかった、と落ち込んでいる人に対して、いや、そんなことないよ。似合ってる。決まってるよ。と褒めることはとても良いことなのではないかと思う。

しかし、だれも望んでいないところで、例えば初対面で、きれいですね、細くてモデルのようですね。などと褒めてしまうのは不適切と思う。

だれも望んでいない場面で突然見た目を褒められることは、一方的にジャッジされているように感じる恐れがあるからである。自分の中のものさし、基準で他人を判断するのは失礼に値するのではないか。

自分は単なるコミュニケーションと思っていたとしても、相手はそのコミュニケーションを求めておらず、もっと有意義な話をしたいと感じているのかもしれない。

私の場合は、初対面で外見のこと特に容姿について言及された場合、不快な気持ちになるし、話題に困って容姿に言及したのかな、などと考えてしまう。中身が薄っぺらいなとも感じてしまうかもしれない。

私のことに言及すると、容姿のことを褒められるよりもその他のもっと楽しいことを話したい。

褒められがちなのが女性であることを考えると、女の存在価値は魅力があることだ、女の魅力は性的魅力であると考えられているように思われる。

容姿に言及することは、その人が背景にある様々なことを推察する能力がなく、話せる内容もないような薄っぺらい人間だと自己紹介しているようなもの。
他人の外見に対してすぐに言葉に出すということは、他人に及ぼすかもしれない影響を全く考えずに思ったことをすぐに口に出してしまう人というレッテルを張ってしまう手伝いをしてしまうかもしれない。

仲が良く、親しい間柄であったり、本人が望んでいると確信が持てるとき以外は、外見や容姿に対してコメントするのは控えたほうが良いのではないだろうか。

どうしてもいいな、と思ったとき、そしてそれを伝えたいと思ったときは、容姿や外見について褒めるのではなく、洋服や髪飾りなどアクセサリーなどをほめるのはどうだろうか。

もちろんそれは褒められてとてもうれしいと感じる。だってそれはその本人のセンスによるものだから。自分のセンスがいいと褒められてうれしくない人はまずいないだろう。誰も悲しませることはない。


褒め方にも気をつかっていくことで、人間関係がもっと円滑になり、大切になっていきそうですね。

読んでいただきありがとうございました。






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