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女の子らしい、ってなんだ。

女の子らしい、身振りって何だろう。

たとえば、ぶりっ子走りと言われる走り方。

椅子に座ったときには、足を閉じる。

大股で歩かない。

女の子らしいものって何だろう。

レース、フリル、パステルカラー、華奢なもの?


私たちが生活する、社会の中には、求められた『らしさ』がある。

『男らしさ』『女らしさ』、はたまた『こどもらしさ』

なんとなく、決められたその『らしさ』によって、行動が制限されてくる。もちろん、それは強制ではない。でも、これが普通だよ、当たり前だよと、押し付けられるその『らしさ』によって行動、振る舞いが方向づけられること、それはその振る舞い、行動をする者の人生をも大きく左右するものなのだ。

女の子には、女の子らしさを、男の子には男の子らしさを。

もちろん性別が違うし、体の構造も違うから、一見正しいように思える。

肉体のつくりに合わせて、振る舞いを変えることはとても合理的なように思えるけれど、体の構造、筋肉などのちがいによってだけ、振る舞いが方向づけられてしまうというのは、すこし疑問を抱いてしまう。

例えば、歌舞伎の女形。

女形という役を演じるためのコツは、なるべく交差させること。左側にあるものは、右手で、右側にあるものは右手でとると、女らしく見える。また、女形は幼少期から、女の子の着物を着せられたり、立ち振る舞い、髪形などおんなのこのようにそだてられるのだ。

漢字の「女」という字体は、人が体をくねらせて手足を交差した姿を現す象形文字からきているという。『セクシィ・ギャルの大研究 上野千鶴子』

この交差するという仕草に、女らしさを感じるのはなぜか。

それは、手足を体の前で交差するということは、防衛体制で、自分を守っているその姿、それに弱弱しさを感じ、それを女らしいととらえるのだ。

話は少しそれたが、歌舞伎の女形は、『女らしさ』を具現化したもので、つまり、小さいころから、繰り返し訓練をして、体の使い方を習得した。つまり、女性も、日常的に女の子らしく、という習慣により、女の子らしさを会得したのだ。

『第二の性』で、ボーヴォワールの

「On ne naît pas femme:on le devient. (人は女に生まれるのではない。女になるのだ)」



という言葉が身に染みる。

いわゆる『女性らしさ』というのは、社会的に作られたルールにすぎず、その型にはめさせられているものなのだ。


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