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いま息づく命の営み

バガヴァッド・ギーター本読み会12回目

zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。


本は“科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修”を使っています。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


始まりはパッと頭に浮かんだ思いつき。
それに友達が賛同してくれて、第1回が始まったのは2023年9/14でした。


現在は34回目が終わり、五章の行為の放棄に進みました。


いま半分ぐらいなので、2年近くはかかりそうです。


私が本読み会の中で印象的だったところを書き残しています。共感いただけたらとっても嬉しいです。


第二章サーンキヤ・ヨーガ

サーンキヤ・ヨーガってなんだったかなぁー

絶対的な《一》イチなるものに《ヨガ》合一する智慧のことでしたね

1.儀礼と信仰心は別のもの

二章43節
愚者たちは、世俗の欲望を溢れるほどに、持ち合わせ、天国におもむくことだけを究極の目標とし、信仰心と言うものを全く知らずにいる。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

あなたの天国のイメージってなんでしょうか。

お花が好きなひとならお花畑かもしれないし、お酒が好きなひとは究極の美味しいお酒があるところ?男性なら若い美女がいるところで、女性ならイケメンの若い男性のいるイメージでしょうか?笑

神社に参拝し何拍手をするのがいいのか、お賽銭はいくらがいいのか、儀礼についてあれこれ決まりがあり、それに則って行う目的が、「私が幸せでありますように、健康でお金がたまりますように、〇〇に合格しますように」ですか?

儀礼の目的が私的願望の成就を願うためのものであれば、それは本物の信仰心なのでしょうか。

2.五感の満足は期間限定

水汲みの桶のロープが、自然に井戸の中に引き込まれてゆくように、人の心は、世俗の享楽に向けて、自然に引き寄せられていく。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

肉体が若く、感覚器官の働きが、まだ敏感のときには、感覚器官を喜ばせれば、手軽に満足が得られるのでこれが最も簡単な生き方となる。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


ここでは、感覚器官を喜ばせることに否定的ですが、私としてはこの肉体に備わった五感を満足させることも喜びであると思います。


ただ、幸せの刺激って長続きしないものです。残念ながら。


期間限定スイーツが注目され行列ができるのも、今だけという特別感が価値を上げてますよね。毎日が限定スイーツのデザートなら、その特別感や幸福感も薄れていきます。ガッカリですね。

そして、確かに年を重ねていくことで、喜びの対象も変化していませんか?ガッツリコッテリの食事に、今や内臓がついていかない。汗


五感は外界を見るために開く窓であると、ヨガ哲学では言われています。

五感を感じることは、今ここに意識を留めておく便利な道具になりますが、真の幸福感や本当の私とはまた別のものなのです。


3.善いも超えていけ

私たちの中にある3つのバランス、
それを徳性(グナ)といいます。ざっくりといえば、

善性(サットヴァ)清浄と誠実さ
動性(ラジャス)活動と欲望
暗性(タマス)怠惰で不活発


これらは、バランスであり変化するものです。どれが良い悪いはないのですが、ヨガをする上では善性が優位であることが、健やかで生きやすいとも言われいます。


いまあなたの状態は、3つのうちどれが優位になっていますか?


社会で活動する上では、動性も必要ですし、休息し眠るには暗性も必要だと思います。


しかし、病気に直結しやすいのは、動性と暗性が過剰な場合が多いので、そこは調整が必要かと思います。

3種の徳性を超越し、心の中からすべての欲望を拭いさらねばならない。心に欲望を抱かず、二極の対立感情にとらわれなければ、心は平静なのである。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

私たち人間の努力の大部分は、欲しいものを手に入れることと、将来のためにそれを保存することに向けられている。

科学で解くバガヴァッド・ギーター



善性であっても、それは欲望を満足させる行為の元にあり、それも最終的には超えていくことは、四次元から五次元にいくような、そんな感覚かなと思います。


善いも悪いもないよねーってやつです。


4.結果への期待が心を揺らす

二章47節
行為の結果を動機として行為してはならない。同時に無為にとらわれてもならない。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


個人的には自分を律する物差しにしてきたところです。


私たちの心を揺らすのはいったいなんでしょうか。心の揺れは苦悩です。

これは自分にとって、損か得か?
役に立つのか立たないのか?
成功か失敗なのか?
愛と憎しみ、病気と健康、良い悪い?


そういった結果に対する期待が、意識的にも無意識的にも思考が働くからです。


失敗してはいけないと思えば身体に力が入るし、成果を出さなければ、せっかく苦労して〇〇したのにという思いは、損したくない、恥をかきたくない、馬鹿にされたくない、尊敬されたい、良い人でいたい、などなど。


これは無意識であれば、記憶と潜在意識からのものであるので、まあ、、、仕方ないかと。


でも、もう今日から変わることができます!なんちゃって!笑

5.ただ目の前のことを淡々と


目の前のことが良いことなのか、悪いことなのか、すぐには判断がつかないことってありませんか?

長い目で見た時に、良いと思っていたことが後に問題となったり、悪いと思っていたことも乗り越えてみれば、結果として良いと思えるようなことに変化していることに気づくことは多くあると思います。


近視眼的にものをみているのか、俯瞰して見るのか、それには練習も必要です。


目の前のことを自分の都合を入れずに、淡々とやってきた経験があなたにはありますか?

全てに中庸である事は黄金律である。喜びすぎず、悲しみすぎずに生きる。結果に執着しないことが心を冷静で安定した状態にさせ、仕事に注意力を集中させ、十分な報酬を手に入れることを可能にさせている。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

利己的な目的を持たない行為が生命のかよわぬ行為になる事は決してない。むしろ利己的な行為よりもさらに生き生きとした行為になる。また宿命論とも関係する事は無い。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


6.いま息づく命の営み

これはChieさんの画集の表紙。
絵の題名はcentering

ChieArtさん画集



これを見た時に、損得や善悪など、対立する心に揺れていない私の本質を表しているように思えました。


こうでなければならない、これをしてはいけない、利己的ではいけない、、、。


その思考とは本当の私とはまた別の物であり、思考もエゴを強化するものにもなります。

私の本質とは思考やエゴの向こうにある、良いも悪いも合わせたこのような光そのもの。いのちの輝き。

それをいつも見つめてほしい。
それをいつも見つけに行ってほしい。


五感という窓から、本当の私は見ています。

今、味わい、
今、この匂いを感じる、
今、目に入る光が眩しく、
今、肌に触れる感覚は温かく、
今、聞こえる音に耳を澄ます。

528Hzの音楽を久しぶりに浴びるように音浴し思考のない状態。シンギングリンの倍音に委ねる。


音と一体になる。
センタリングされる。


カルマヨガとは、最初は目の前のことを淡々と行う練習だと思います。しかし、本当のカルマヨガとは、思考の向こう側のことと思います。


ご飯が美味しいなぁ。
ぐっすり眠れた幸せ。
日が眩しく目覚めの朝の幸せ。


どれくらい、いま息づく命の営みを感じていますか?


由紀子

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