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最良の言葉を探して

バガヴァッド・ギーター本読み会9回目

zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。


本は“科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修”を使っています。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

現在は33回目が終わり、次回は五章〜です。


振り返ってみると、
第1回目は2023年9/14でした😊


一節ずつ振り返るのではなく、本読み会で進んだところ毎に、個人的に印象的だったところを記しています。

私の世界観はこんな感じなのです。。。


第二章サーンキヤ・ヨーガ

サーンキヤ・ヨーガって何

この第二章はサーンキヤ・ヨーガとあるので、サーンキヤ哲学のことかと思ったら違いました。

私の中でその区別がついていなかったのです。

《サーンキヤ学派》インド哲学の学派のひとつで、現代では六派哲学の1つに数えられる。世界の根源として、精神原理であるプルシャと物質原理であるプラクリティという、2つの究極的実体原理を想定する。厳密な二元論であり、世界はプルシャの観照を契機に、プラクリティから展開して生じると考えた

Wikipediaより

もう少しわかりやすく。
純粋意識(プルシャ)と根本自性(プラクリティ)に分かれている。
この純粋意識(プルシャ)は観照者で、すべての生き物の存在にあるので、たくさんある。

《ヴェーダーンタ哲学》聖師シャンカラチャールヤ大師は、絶対者ブラーフマンという1つの実在原理しか認めず、それ以外の根本自性は真実在のものではない。この世界は夢のごとくのものであり、魔術師が演出する奇術のごとくの迷妄(マーヤー)であるとされている。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


この世で存在する唯一無二の普遍なるものが、万所に未顕現で偏在している。

それ以外は変化し続けるもの。
つまり。。。まぼろし〜。
これが聖師シャンカラーチャールヤの説いた一元論ですね。


バガヴァッドギーターのクリシュナ神は一元論をアルジュナに説いています。サーンキヤ哲学を使っているが、それではないということです。

サーンキヤは数を表し唯一のもの《一》イチなるもの。絶対的な智慧を表し、


ヴェーダーンタでは絶対者ブラフマン。そしてそれ以外は幻。


真我、それ、自在神、イーシュヴァラ、純粋意識。。。さまざまな呼び名


ヨーガとは、今ではポーズとか呼吸法や瞑想を意味しますが、もともとは、結びつける、結合する、合一という意味になります。


《一》イチなる絶対存在に結びつける智慧が、サーンキヤ・ヨーガということですね!


伝えることの難しさ

二章29節
あるものは驚くべきものとして真我をかいま見る。他のものは驚くべきものとして真我のことを語る。また他のものも驚くべきものとして真我について聞く事はある。しかし、見聞きし語ったとしても、真の意味で誰も真我のことを知らないのだ。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


自分の体験を話す。
感動の体験を聞く。

しかし、本当のところはやはりわからない。

美味しいお料理の話を聞いても、
美味しいと聞いたレシピを見ても、
味はわからないですよね。

最後は自分で登らないといけない、
ハシゴの上へ。

その美味しいお料理を味わうことでしか、真実はわからない。


人と比べる必要もなく、人の話も参考になると思いますが、何より自分がそう感じたという体験が大切なのだと思います。


最良の言葉で表すとしたら

仏陀は「シューンヤ、シューンヤ」とおっしゃられた。このシューンヤという言葉は、無を意味する言葉である。しかし、これは絶対的な無ではなく、人の心にとって無のように見える。これが心と言葉とでできる真我についての最良の説明であろう。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


《一》イチなるものは現すことができない。それは私たちから見ると、まるで《空》のよう。

何もないように見えることは、すべてがある。


小さな私という認知を遥かに超えた存在を現すことは見えないことに等しいのかもしれない。


いつも当たり前にありながら、自分の目で自分を見ることができないように、すでに私たちは《一》なる存在なのに。


1つから生まれた私の意識はあなたも私もあの人も、あれもこれも。


あなたという鏡を通して私を見なさい、感じなさい、わかりなさい。



未顕現が生と死の間のみ顕現してる。
これをもう一度かみしめたいと思います。

由紀子

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