見出し画像

誰もが道の途上


バガヴァッド・ギーター本読み会13回目

zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


本は“科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修”を使っています。

第1回が始まったのは2023年9/14でした。

現在は35回目が終わり、五章の行為の放棄に進みました。

順番に読みたい人が読み、最後に2分程度感想や気づきを話して終わります。

ここには私が本読み会の中で印象的だったところを書き残しています。共感いただけたらとっても嬉しいです♪


第二章サーンキヤ・ヨーガ


サーンキヤ・ヨーガ、
絶対的な《一》イチなるものに《ヨガ》合一する智慧のことでしたね↓


1.感覚器官の満足に浸る


不動の智慧が確立(スティタプラジナ)した人とはどんな人物なのでしょうか。
クリシュナ神よ、教えてください!

二章55節
心の中にあるすべての欲望を捨て、真我が(外界の何ものにも依存せず)、自己自身においてのみ満足する時、その人物は不動の智慧が確立した人物(スティタプラジナ)と呼ばれるのである。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

と、いうことらしいです。
果たしてそんなことできるのでしょうか。

私達が外界の物や者を集めること、刺激を受けることが幸せなんだ!と思うならば、それは難しいです。


疲れた時に飲む一杯の美味しいコーヒー、甘いチョコレートの味が口いっぱいに広がる至福のひととき、、、


感覚器官の満足に浸ることは、そんなに悪いことなのでしょうか?


「それでなければダメなのよ。」
「あれがないと困る。」
「これじゃないと嫌。」

確かに、幸せが特定の物のあるなしであれば、これほど不安定なものはなさそうですね。


そして、ひとつでよかったものが、もっともっととさらに多くを求めるとなれば、キリがありませんし、

運良く手に入れたならば、今度はそれを失う恐れや不安というのも同時に生まれますから。


ですが、世の中には感覚器官を惹きつける魅力的なものがたくさんあり、なかなか難しそうです。


感覚器官とは、五感。
視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚のことです。


美しい風景や絵、好きなハーブや花の香り、新鮮で旬の食材、心地の良いシンギングリンや三線やライアーの音色、肌触りの良い衣類。


これらは私の好みの対象物なのですが、本当に五感を満たす欲望は悪いことなのでしょうか?シツコイ?笑


2.幸不幸を決めているのは誰か

二章56節
不幸にあっても、心が惑わされず、快楽を切望することもなく、愛着、恐怖、怒りに囚われないものは、不動の智慧が確立した。聖者と呼ばれるのだ。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

五感を満足させるものとの接触によって快感を得られれば幸せ。


反対に不快感や思うようなものでなかったり、不足感があれば不幸。


マイナスに感情が揺らされると、人はプラスに変換したくなるもの。


苦痛と喜び、失敗と成功、損したら取り返そうとするような感じ。負けたら勝とうとする、復讐というのもそういうことかも。


この二つに揺れる価値観のことを二極の対立感情といい、それは揺れ続けるシーソーのようで、心は休むことがない状態。


そもそも、その価値観は本当でしょうか?それは誰がいつ決めたのでしょう。


私の好きは誰かの嫌いかもしれないし、誰かの悪いは私の良いかもしれません。


自分の幸不幸の元となっている価値観が崩壊すると、さまざまな見方ができ幸不幸もひとつとなるのではないでしょうか。

確かに、あのことがあったことで、こういうことができるようになったと、コインの裏表を見ることができれば、心の揺れは小さくなります。


3.あってもなくても無くなっても

二章58節
亀が頭や手足を甲羅の中に全て引っ込めるように、感覚器官の対象物から感覚器官の働きを全て引き離す時、その人物の智慧は不動のものとなっているのだ。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


感覚器官を満足させるものから身を離すって、つまんないと思いませんでしたか?


五感を通して私達は外側を観て繋がっています。

これは私にとってなんだろうか?
世界はどういうところなんだろうか?


明るい日差しの差込む部屋には、電灯は不要ですよね。


もし「自分の中に幸せがあるんだ、いつでも安心と安らぎと共に生きているんだ、私は一人ではない」そんな風に思っている人は、外側のものを渇望することはないと思います。


なので五感を満足させる対象物との付き合い方が上手だと思います。

「これも良いし、
あれも良いよね。
なかったらなかったで良いし、
無くなって問題ない。」


そんな境地だと、外側のものに自分の幸せを求めて引きずり回されないと思います。つまり依存せず自立した状態。


4.欲望に終わりはない

二章60節
人の心をかき乱す諸々の感覚器官の働きは、信仰修行に熱心に努力する洞察力のある人物の心さえも、力ずくで引きずり去っていくのだ。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

ヨガ好きな人は要注意です!
または、何かストイックに取り組む人は要注意です。笑


ヨギーや、ヨギーニの中には、
食事を菜食にしたり断食したりする人も一定数いるかなと思います。


なぜなら、アシュターンガヨガのヤマの一つ目がアヒムサー(非暴力)だから。


それは五感のうちのひとつ、味覚のコントロール。


だとしても、食を変えることで心も精神も変わりますので、五感が研ぎ澄まされていくのがわかります。


その時は身体も軽くなりますし、感覚が繊細になりました。超感覚が目覚めるような感じです。

ヨーガ行者は超自然的力を獲得したことを誇り得意になる。感覚器官に関連する欲望が精神的誇りに変わり、神に近い人物として崇拝されることや、富や名声や安楽を得ることを要求するようになる。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


「私は人とは違う」
「私は特別」
「私はヨガしてるから」

こういう感覚があったら要注意です。
赤信号ですね。笑


5.誰もが道の途上

それぞれのストーリーがあり、学びがあり、それぞれの場所で尊いんです。


それぞれが特別な人。
それぞれが人と違ってるんです。
それが素晴らしいです。


その内在する存在である真我に違いはありません。みんな同じなんです。


そして、「ヨガしてるから」は、
いつか「ヨガしてるのに、なぜ?」に変わりますから。それは意識か外を向いているから。


不動の智慧が確立(スティタプラジナ)は、自分のうちなる真我に気づいて意識していること。安心と満足が内側にある。


なので、五感を惹きつける対象物から身を離すことが自由にできる、それが自然と無理なく。


俗世は感覚器官を惹きつけるもので溢れていますが、せっかく俗世に生まれたなら、それに引きづられずに楽しみたいですよね。


変化するもの中に変化しない私がいると軸足を持っていれば、いいんじゃないかな。自分の本質はなんだったかと。


さまざまな在り方があり、誰もが到達する道、不動の智慧への道の途上です。



由紀子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?