幸福(スカ)は寂静の中
バガヴァッド・ギーター本読み会14回目
zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。
本は“科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修”を使っています。
第1回が始まったのは2023年9/14でした。この14回目は2023年の最後の回でした。
現在は36回目が終わり、五章の行為の放棄の途中です。
順番に読みたい人が読み、最後に2分程度感想や気づきをシェアして終わります。
「パス!」もありなのですが、パスの権利を行使した人は今のところないです。笑
ここには私が本読み会の中で印象的だったところを書き残しています。共感いただけたらとっても嬉しいです♪
第二章サーンキヤ・ヨーガ
サーンキヤ・ヨーガ、
絶対的な《一》イチなるものに《ヨガ》合一する智慧のことでしたね↓
今回も感覚器官をコントロールすることを、クリシュナ神は主人公の戦士アルジュナに口すっぱく語られています。苦笑
1.地上に降りたクリシュナ神
「我」というのは、クリシュナ神である神様のこと。
それはヨガでは絶対者ブラーフマンのこと。
神様が人間の姿になって地上に降りて、クリシュナ神に権化(アヴァタラ)したということなので「我に」と言ってるわけです。
世界が乱れたら、バランスを取りに権化され降りてくる、なんだかロマンチックです。
2.執着から怒りへ
感覚器官を満足させたいと思うのは、何か足りないという不足感覚があるから。
何もなくても幸せだなぁ、と感じることありませんか?
安心してボーッとできる時間は、そんな時かもしれません。
なんか退屈だなぁ、刺激がほしいなぁ、あれが欲しい、これが欲しいと思う時、私たちの心の様子はどのようにうごくのでしょうか。
3.執着から怒りへ
人が苦悩へと落ちるのは、色と金とプライドと、私の師匠(木村慧心先生)も言っていました。
色は人間関係やセックス、金は富や財産や物、プライドは地位や肩書や名誉や権力や競合。
たとえば恋をして大好きな彼や彼女を想う時、人は幸せを感じます。
そして、付き合いたいなぁ、結婚したいと思うのは当然の流れです。
しかし、絶対に彼でないと嫌なの!と、彼女の自由を束縛、幸せに対して視野が狭い時、
相手の気持ちはこちらに向いてなかったのを知ったら、どんな気持ちになるでしょうか。(絶対あきらめない?笑)
彼の浮気が発覚したなんて時は、思い通りでない相手の姿に、もう絶対許せない!裏切られたー!離婚よ!別れる!キーっと、、、。
はい、そうですね。
執着は怒りに変わります。
4.怒りの副作用は破滅
破滅する!?
怖いですねー
もう、副反応とか良いことを連想する柔らかい表現やめましょ笑
怒りの副作用は破滅ですから。怖
迷妄というのは、
あーなって、こーなって、どーなって、
私はいったいどうしたらいいの!
不安で妄想が膨らみ現実が見れなくなった状態のことです。世界一可哀想な悲劇のヒロインを演じてます。
妄想の中で思考がフル回転しています。ありもしないこともあったように感じたり、あることもなかったことにしてしまったり、なので記憶が混乱するのは仕方ないです。
記憶というのは、出来事プラス自分の感情もくっついているので、ありのままには見れない状態。
理智の働きの混乱とは、
冷静に物事が見れなくなった状態です。
視野が狭くてなってる。
もし、あなたの周りにこんな友人がいたら、「まあまあ落ち着いて♨️」と言って、お茶でも飲みながら話をまずゆっくり聞いてあげましょう♪
冷静な判断ができないと感情にませて行動してしまい、後から冷静になった時に、「しまった!」と、本来の自分の道からそれてしまうかも知れません。それが破滅ということですね。
5.リラックスでリセット
はい、そうだと思います。
クリシュナ神さま。
執着→怒り→迷妄→記憶混乱→理智の消失(冷静さを失い正しい決断ができず)し行動→破滅
どんな時もリラックスした状態を保てるかどうか?
心揺れる出来事はあって当たり前。
世は諸行無常、そんな風に思っておくことも無駄に心配や不安を増大させないコツかなぁと思います。
揺れて当たり前、でもリセット&リラックスできる状態に自分がいつでもなれることが、不動であることを目指すよりは簡単だしオススメします。
私はヨガを実践し教えているので、ヨガは今ここに意識を向け続けるマインドフルネス。
ありもしない過去や未来への心配や不安で、引きずり回された心をストレスから、身を離すことできるのでオススメになります。
ストレスから身を離すことで、身体の緊張も緩みリラックスできます。
リラックスできたら、こっちのもの!
破滅の道からの離脱が可能です。
怖い夢を見て、パッと目が覚める。
「あ、夢か」「よかった」
これです。笑
6.幸福(スカ)は寂静の中
私は肉体であり、人生の目的は富と権力と地位であり、感覚器官の満足が幸せであると思っているならば、心が静かになり、寂静(シャンティ)には遠いでしょう。
なぜなら、肉体は永遠ではありませんし、感覚器官の満足は慣れますし、より強い刺激を求めていくことになるので、終わりがありません。
それを求めるのはなぜ?
外に意識を向けたいという思いが、
自分の内にあるから。
ヨガの講義の中ではこんなお話を聞いたことがあります。
目の悪いお婆さんが落とした針を明るい家の前で探していました。通りがかりの者が一緒に探しましたが見つかりません。「お婆さん、針はどこで落としたんですか?」と尋ねたら、お婆さんは「家の中です。家の中は暗いので明るい外で探しています」と。
感覚器官を満足させる明るい場所をいくら探しても、大切なもの幸福(スカ)は見つからないかも知れません。
大切なものほど暗くて見えにくい心の中に、キラリと光る探し物のスカという針はあるのだと思います。
静慮し寂静(シャンティ)の状態を、まずは日常で習慣にしてみましょう。
初心者はコントロールするということ、肉体や呼吸の客観視から始めるというのもうなずけます。
私と私でないものを識別し、観照者に立つ。
それには、繰り返しの練習(アビヤーサ)しかないです。
オーム、シャンティ、シャンティ。寂静。
由紀子
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