見出し画像

無執着の境地へ

バガヴァッド・ギーター本読み会12回目②

zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。

振り返るとひとつ抜けていたので、12②としました^^

科学で解くバガヴァッド・ギーター



本は“科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修”を使っています。

第1回が始まったのは2023年9/14でした。

現在は34回目が終わり、五章の行為の放棄に進みました。

順番に読みたい人が読み、最後に2分程度感想や気づきを話して終わります。

ここには私が本読み会の中で印象的だったところを書き残しています。共感いただけたらとっても嬉しいです♪


第二章サーンキヤ・ヨーガ


サーンキヤ・ヨーガ、
絶対的な《一》イチなるものに《ヨガ》合一する智慧のことでしたね


1.私のヨガとの出会い



ヨーガ(ヨガ)というと、肉体のポーズ、呼吸法というインドのエクササイズだと、想像するのが一般的ではないでしょうか?


ヨガって流行ってますよね。いろんな種類のヨガがあり、そこで多くの人がヨガしたり、これからやってみたい人、関心を寄せている人も多いのではないでしょうか。

私のヨガとの出会いは、単に肉体としてのエクササイズでした。

スポーツクラブのスタジオであった、フィットネスヨガでした。

いえ!それより前の10年前、22歳の頃にヨガというものを初体験しました。

その時の感想は、「私にはヨガは合わないなぁ、もうやることはないだろうなぁ」でした!笑

そして、結婚してから再びエクササイズとしてのフィットネスヨガに出会い、腰痛から解放、身体が軽い、気持ちも軽やかで穏やかなのに気づき、今度は「私にはヨガは合ってる」でした!笑


こうなったらもうやめられないです。笑
ヨガがあることが当たり前の習慣へと変わっていきました。


2.ヨーガの境地とは

二章48節
執着を捨て成功と不成功と平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して、諸々の行為をなせ。ヨーガは平等の境地(サマトヴァ)であると言われている。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


ヨガのあとに、身体だけでなく、心も軽くニュートラルに感じるのは、この辺りにヒントがありそうです。


私たちの思考は休むことなく働き、悩みとなる思考とは2つに揺れる考え、


愛と憎、損得、成功と失敗、善悪、良い悪い、病気と健康、生と死など、


これを二極の対立感情といいます。


そこには、こうあってほしい!これを避けたい!こうすべきである!すべきではない!という過去の記憶を元にした価値観を頼りにしています。


それに対する結果への期待は執着となり、叶えばラッキーかもしれませんが、思い通りでなければガッカリです。


ヨーガの平等の境地とは、そもそも成功も失敗もなかった、損も得もない、といったような二極の境界線が無くなる、無くならなくても限りなく薄くなった状態。


あれもいいし、これもいい、あってもいいし、なくてもいいし、無くなってもいい、という心の状態です。


確かに、病気になったことで、健康の有り難さがわかる、人の温かさに触れる、当たり前の日常が輝く、そんな人の方が病気は治っていきますし、


たとえ肉体を脱ぐこととなっても、安らかに旅立たれることとなるかと思います。


生も死もひと続きとして、死んでも死なない魂、真我で生きることになるからです。


3.心のケアとしてのヨガ

ヨーガ・スートラ一章2節
心の作用を止滅することが、ヨーガである。

インテグラル・ヨーガ

穏やかな心の状態でいるためには、心はケアしないといけないということを知っていましたか?


私は知りませんでした。


毎日、歯を磨いたり、顔を洗ったりするように、心というものもケアしないと、苦悩という垢がたまります。

イライラやクヨクヨ状態は、結果に対する期待と関係があります。二極対立する思いは“重い”のです。笑


過去の結果が今であり、未来を決めているのも今。今、何を感じていますか?何を思っていますか?

二章49節
結果を動機とするものは哀れである。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


結果にこだわらないフリは無理があります。それは心に蓋をするようなもの。


何も考えないようにして何も感じないようにするというのは、結果的に身体に症状として現れる可能性も。いわゆる心が原因で病気を引き起こす心身症っていうやつです。


私自身も結果にこだわらないフリをしてしまい、身体に症状として現れてたことがあります。ギックリ腰や咳喘息、更年期障害がそうかと思います。


みなさんにも心当たりはありますか?

4.幸せの処方箋

カルマヨーガは、楽しかろうと苦しかろうと行為とその結果を他人のせいにすることなどせずに、自分がその結果に対して正面から立ち向かうこと。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

束縛されている者は解放を求める。しかし、束縛されているにもかかわらず、それを自覚していない者は解放を求めない。

科学で解くバガヴァッド・ギーター



アドラー心理学の学びで、自分軸で考えるというのを学びました。


他人のせいでやれないは、私はやりたくない。

不安や心配は、自己責任回避。
後悔は、執着。

突きつけられとなかなか厳しいですね。

ですが、他人や環境に振り回される私の幸せを、自分で人生の道をハンドリングできることは幸せの近道。

悪いあの人がいて、そのせいでかわいそうな私、それを終わりにしませんか?

私は終わりにしましたよ。そのやり方の一つとして、カルマヨーガも良いです。


目の前のことに集中して淡々とこなす、結果は良いもの悪いもないもの、行為の結果を神さまへ捧げる、これがカルマヨーガ、行為のヨーガです。

結果に束縛されていると気づいたら、それは自由への切符を手に入れたということです。あとは、それを使うかどうかです。


結局は自分で自分を決めつけて縛っていたのかもしれません。


5.無執着の境地へ

二章52節
汝が自分中心の執着から生じる迷妄を克服した時、汝はこれまで聞いた(経験した)ことと、これから聞く(経験する)であろうことを区別しない。無執着の境地(ニルヴェーダム)に達するのだ。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


これは良い、これは悪い。それは幻で本当ではないなぁと気づいたなら、それは真実を見ることができたこと。


私が学んだヨガセラピストコースで、師匠は「人生で大変だったことは、迷妄の幕に、真実を見るための穴が開けられたんだよ」と、聞いたときは目から鱗でした。


確かに、それがあって今がある。あのことがあって自分の才能が開いた、強くなった、人脈が広がった、人の優しさを知れた、真の道に繋がった!などと思えたから、


苦悩というのも自分が作り出した幻であって、その中で幻を相手に一人芝居のように、もがいているようなもの。

受け取り方はいかようにも変わるし変えられる。まずは自分を大切に向き合うこと、癒すことが大切だと思います。

この世界は実在していると信じる思いと「自分が」とか「自分のもの」と言う思いとが執着を生じさせるのである。心が迷いから脱却したとき、真我が光輝く。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


この世界は実在しているのかどうか?
リアリティを感じて遊んでいるのでしょうか?


この世界というのは、自分が見たいように見たい世界を設定して創造している、ロールプレイングゲーム。


真のプレイヤーは観照者である真我!
心が揺れる水面では、その輝きを知ることもできないでしょう。


由紀子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?