いつか愛の海に抱かれる日まで
バガヴァッド・ギーター本読み会15回目
zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。
本は“科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修”を使っています。
第1回が始まったのは2023年9/14でした。
現在は36回目が終わり、五章の行為の放棄の途中です。
1年以上かかりそうです。秋にオフ会をしようかなと思っているところです😊
順番に読みたい人が読み、最後に2分程度感想や気づきをシェアして終わります。
ここには私が本読み会の中で印象的だったところを書き残しています。共感いただけたらとっても嬉しいです♪
第二章サーンキヤ・ヨーガ
サーンキヤ・ヨーガ、絶対的な《一》イチなるものに《ヨガ》合一する智慧のことでしたね。
私なりの考察もありますが、よろしければ参考にご覧ください。↓
1.私は川であり海でもある
山から川へ川から河口へ海へと、絶えず水は海へと注がれているのに、海は平然とその水を受け入れ続け、
そして、悠然と大海原へと水は混ざって、どこからが川の水だったのかはもうわからなくなり、川だったものは海というひとつになる。
自分自身が、いつかは海に流れ込む川だと想像してみる。
上流であろうが下流であろうが、同時に存在した、ひとつの川である。
この上流というのが過去だとし、海に注がれるところが未来だとしても、私という川は時間を超えて同時に存在している。
そんな私という個としての絶え間なく流れる川も、いつかは大きな海へと注がれるのならば、私たちは川であり海でもある。
そして海の水も水蒸気となり、雨となって森へそして川となりまた海へ。
結局はひとつのもの。
私という存在は有限であり、つながりのない分離した小さな存在だという思いは、とっても孤独で寂しく不安だと思いが湧き上がります。
2.すべてを超えて存在する
zoomのグループレッスンでは、ヨーガスートラを毎週一節づつお話して、瞑想の題材にしています。
参考にしている本のうちの一つが、向井田みおさんのヨーガスートラです。言葉の表現がわかりやすくて好きです。
ちょうど、この時にテーマにしていたのが、ヨーガスートラ三章53節でした。
種類、特徴、場所に分かれているように見えていることを、私という存在に置き換えてみます。
今の私の中に、過去の私もいるし、未来の私も潜在的に存在している。5歳の私も、10歳の私も、20歳の私も、今の私の中にある。
流れる川が上流も下流も同時に存在しているように、私という存在は過去〜未来まで同時に形と場所は違っても、私を照らす永遠不変の魂の光は、今ここにあり続ける。
その変わらない魂という命は、海に流れてゆき、いづれは一体化する水のようなものではないかなぁと思います。
川の流れは静かだったり、激しいこともあれば、水が濁ることもあるし、清らかであることも、魚や動物や植物が遊びに来たりもする。
時間や場所や特徴を飛び越えて、ずっと存在しつづける水の本質のように、自分自身の本質もそのようなものだとおもえれば、
まるで不完全であり離れているように見えたとしても、いつかは大海へ注ぐ川。
そう思えば、寛ぎをもってその不完全さや変化を眺めていられるように感じます。
3.決して汚されることはない私
「自分の存在は不完全である。」
そう思うのであれば、足りない不足感を満たす思いにかられるのだと思います。
でも普通はこの感覚ですよね。それは仕方ないところもあるかなぁとも思います。
自分の存在は完成されたものであると悟ったら、魂の成長のための経験というのは必要なくなりますよね。
たとえ清濁合わせ飲んでも不動でいられるような人は、自分の本質は決して汚されるものではない、いつかは海のような大元に帰る意識であり命であると信じている、悟った人だと思います。
これは祝詞教室での学びからも共通するなあと感じたことです。
外からの不浄によっても、決して私という心(命、本質)は汚されない。なぜなら神さまと同じものが自分の中にあるから、という六根清浄。
決して汚されることのない、清らかさが自分であると思っていること。
『万物の霊と同体である』
『成す所、願ひとして成就せぬということなし』
すべてが一つである。
大きな営みのなかにあると思えれば、内側の自分の思いが外に現れるというのも納得です。
4.いつか愛の海に抱かれるまで
私という限定された思いが心を揺らす。
星野道夫さんの『長い旅の途上』を読んだ後だったので、この辺りはとても胸に響きました。
圧倒的な大自然の中に身を置いた時に、私という存在が自然を保護したり支配するものではないという思いが伝わりました。
満天星空の極寒の雪原の中で、自分も捕食される側でもあることを悟ると、大自然の一部であることを、なにかわからない大いなる意思や時の中で生かされているのを感じました。
この世を旅立たれた御霊は、必ず大海という大きな愛の海に抱かれて安らかであることを信じています。
自分という川もいつか大海と一体となる。その日まで、精一杯生きていきましょう。
由紀子
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