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凍った時に備えて用意しておいたぜ、別の「窓口」をよぉ……。

 twitterにも大寒波がやってきた。ただいま、アカウント凍結祭りが絶賛実施中である。

 イーロンくんとtwitterJPの連携が上手く取れてないからだとか、マシュマロを使っていた人は危ないだとか、いろんな情報が錯綜している。そしてお約束のように「我々はmixiや個人サイトの時代に帰るのだ……」というインターネット老人仕草がバズる。そういえば、アクセスカウンターのサービスって生きているのだろうか。今の若い世代に「キリ番」という概念をどう説明したらいいのだろうか。そんなことをふと考えるくらいには、インターネットに身を置き過ぎていた。

 奇しくもこの凍結祭りの数日前に、「twitterを始めて5年になりましたよ!」という通知が来た。元々LINE以外のSNSを積極的に利用しておらず、学生時代に開設したfacebookアカウントも月に一回ログインすればいい程に枯らしており、おそらくtwitterが最も日常に紐づいたSNSサービスになるだろう。元来不器用ゆえに複数のアカウントを使い分けるということもできず、この一張羅のアカウントだけが頼りの身としては、今回の凍結祭りには「恐怖」以外の感情が存在していない。時間が経つごとに減っていくフォロワーの数は、いずれ自分に訪れるかもしれない凍結へのカウントダウンのようだ。

 無論、前述のLINEもそうだし、今ここで駄文をまき散らしているnoteも、discordのアカウントだってある。Twitterだけが拠り所というわけではない。ただ、インターネットにおける「私」の名刺は、やはりtwitterになるのだろう。実を言うと、私のSNS遍歴としてはnoteが先にあり、自分の書いたテキストがtwitterなる見知らぬ大海でシェアされていると知って、読んでくださった方に御礼を言うべく慌てて登録したのが今のアカウントだ。元よりインターネットでの繋がりに積極的でなかった自分の意識を広げてくれたのがこれまた『バーフバリ』だった……という話は5億回くらいしてきたので今回は割愛するけれど、要は急場の連絡用として作ったものに5年も依存していた、ということだ。

 5年。5年もやっていれば、「私」を表す表現としては、親から貰った顔と名前よりもこのアカウント名の方が広く知れ渡っているかもしれない。たとえ今私が死んだとしても、余程のことがない限りはアカウントという情報やこれまで投稿してきた文章がネ↑ット↓の海(CV:田中敦子)を漂い、遺る。エヴァの旧劇場版におけるユイさんの言葉じゃないけれど、私という人間が生きていた証が、電子情報として存在し続けるのだ。結婚し子孫を残すという世間一般のレールから外れてしまった身としては、もうこれしか世界に爪痕を残す方法がない。

 だからこそ、恐怖している。東京で出会った映画仲間の皆、アイドルをプロデュースする同僚各位、同じ趣味を持つブロガーの皆……。そういった人たちと私を繋いできたのは青い鳥のSNSで、twitterを失えばもう二度と言葉を交わせなくなるんじゃないかという人が、たくさんいる。誰かの呟きに癒され、笑ったりして紡いできた日常が、ある日を境に変容する。それを想えば、どんどん恐怖が増していく。友達だと思っていた人との繋がりはある日パタリと途切れ、「フォロワーが1減った」という事象に言語化される。それほどか細い絆に、救われて生きてきたのだ。

 ……という相談を友人にしたところ、彼はかつて「サービス停止によって村を追い出された過去」を持っており、私とは全然面構えが違っていた。曰く、これも繰り返されてきたインターネットの歴史であり、また新たな新天地で暮らしていくのだ、と。彼はすでに、何名かの相互にdiscordのアカウントを緊急連絡先として通知しており、「あっちが凍ったらこっちで」というDMと共に、それを私にも明け渡してくれた。なんというか、有事の際に対する備えがしっかりしていて、こういう人間が災害時もたくましく生き残るし、仕事もデキるんだろうな、と思った。ちなみに彼は、数か月後には一児の父になるらしい。

 備えあれば患いなし。というわけで私も、か細い絆を繋ぎとめる手段として別の「窓口」を置いておこうと思う。イーロンくんから見捨てられても、私にたどり着いてもらえるように。


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