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TCG未経験だけど、TVアニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』を全部観る(ドーマ編)

 ご無沙汰しております。あまりに進捗の報告がないため、最初のnoteを投稿してからフォローいただいた遊戯王関連のX(Twitter)アカウントからのフォローが外されていましたが、ずっと水面下で観てたんですよ。ホントに。

 これまでの『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』といえば、原作漫画でも屈指の人気を誇る「バトルシティ編」の途中にアニオリを挟み、一企業の重役5名が徒党を組んで自社の社長にダル絡みしてきた挙げ句、アニメから生えてきた海馬の弟が出てくる大混乱ぶりで、いくらアニオリと言えどここまで大胆な展開を加えてくるので油断ならないな……となったのがなんと昨年の9月ということで、自分の過去のテキストが鈍重な鑑賞ペースを物語るいい記録となっている。

 道中いろいろあったものの、アニメの「バトルシティ編」も無事完結。原作漫画のベストバウトが、アニメーションと声優の熱演、劇伴といったスパイスが加わり蘇る。白熱する決勝トーナメントは、それこそ(ノア編とは比べ物にならないほどに)夢中で話数を重ねていった。

 原作ではバトルシティ編が終わると物語の完結へと導く最終章が始まるものの、アニメ版はどこか様子がおかしい。またしてもアニメが原作漫画の当時の進行に追いついてしまったのか、次なるアニオリ大長編「ドーマ編」がスタート。その話数なんと39話、実に3クールもの間お茶の間に届けられた新編は、その中身もまたこれまでのエピソードとは一線を画すものであった。

 バトルシティでの激闘を経て、三枚の神のカードを手にした遊戯。ついに名もなきファラオの記憶の扉が開かれるのか、と思った矢先、謎の石版は凍結し、現実世界にはカードのモンスターが実体化して暴れ出す。その夜、遊戯が双六に預けた神のカードを何者かが奪っていく。その裏には、闇遊戯=名もなきファラオを知る謎の男ダーツとその配下たちによる陰謀が隠されていた。

 今回敵対するのは、有史以前から人類史の裏側に登場していたという秘密結社ドーマ。そのトップに君臨するダーツは表向きは会社CEOであり、海馬コーポレーションを買い占めるほどの莫大な資産を有している。その正体はなんと海底に沈んだアトランティスの王であり、「オレイカルコス」の神の力を復活させることで今の世界を破壊し、新しい世界を作り出すことを目的として物語に参戦。あまりにスケールの大きすぎる野望の前に、「デュエルモンスターズたちは実在する」という巨大なアニオリ設定すらも霞んで見えるほど。

 ダーツが遊戯たちを狙うのは、オレイカルコスの神を復活させる為の生贄にすることと、闇遊戯=ファラオと闘うこと。そのためにドーマの三銃士を差し向け、城之内や海馬、舞もその闘いに巻き込まれていく。

 ダーツや三銃士が所有し、かつこのドーマ編のダークな展開を印象付けたのは、「オレイカルコスの結界」というカード。専用BGMも相まって幾度となく出現するこのフィールド魔法、「自分のフィールド上に存在するモンスターは攻撃力が500ポイントアップ」「魔法・トラップカードのゾーンにモンスターを配置可能」という破格のチート性能を有し、その上で負けたデュエリストの魂が奪われるという、理不尽を絵に書いたような魔のカードとなっている。事実、キングオブデュエリストとなった遊戯も一方的に不利を押し付けられ、幾度となく苦戦。負けた方が魂を奪われるという制約が、物語にこれまでにない緊張感を注いでいた。

 そのプレッシャーが影響したのか、遊戯・海馬・城之内は精神的な強さを試されるような苦戦を何度も強いられることとなる。海馬コーポレーションが製造した兵器によって弟の命を奪われたアメルダが海馬に迫り、あるいは城之内はドーマに洗脳された舞との闘いにて苦渋の決断を迫られる。だが、二人は己の信念を曲げることなく、戦い抜くだけの心を有した真のデュエリスト。意外にも脆かったのは、我らがファラオだった、という展開がドーマ編の白眉であり、賛否の分水嶺となったことだろう。

 三銃士の一人ラフェールとのデュエルにおいて、闇遊戯は表遊戯の制止を振り切りオレイカルコスの結界を発動するも敗北し、表遊戯の魂を奪われてしまう。そのことへの動揺を隠せないまま、インセクター羽蛾と激突。その際の結末が「ニコニコ動画のアレ」なのだけれど、その実まったく笑えないシーンなのだと10数年後に知ることになるとは思わなんだ。

 かくして、闇遊戯は精神的にも最も追い詰められる格好となり、視聴者としても苦しい展開が続く。常に冷静で、ライフが0になるその瞬間まで諦めない、その確固たる信念が観る者を魅了し続けてきた彼の、目を背けたくなるような醜態。半身を奪われた原因が自分の心の弱さにあり、それを何度も目の当たりにさせられ、その焦燥感は過剰な死体蹴りにまで発展させてしまう。最強のデュエリストの称号を得たばかりの彼に対する過酷な運命の連続は、アニメ全体に重苦しい余韻を残すこととなった。

 しかし、実を言えば、この展開は原作漫画にはなかった要素を拡大したものとして受け取ることもできる、苦しいながらも意欲的な挑戦といえるのではないだろうか。作中、表遊戯は闇遊戯に憧れ、彼のような真のデュエリストになりたいと思うようになり、最終的には対等な決闘を行うところまで成長する。つまり、表遊戯→闇遊戯への心情が幾度となく描かれ、その想いが武藤遊戯その人の成長を促すことがドラマの根底に描かれており、その集大成が最終話で結実する、というのが流れである。

 その一方で、闇遊戯にとっては半身であり、「相棒」と呼ぶ表遊戯のことをいかに大切に想っているか、についても描かれていないわけではないが、直接的な台詞やシチュエーションで言及される機会は上述の関係性に比べれば控えめであり、その要素をフィーチャーしたのがドーマ編のあの重苦しい展開の目的だとすれば、苦味も込みで飲み込めよう。

 闇遊戯=ファラオもまた一人の人間である。大事な半身を奪われれば焦り、怒り、憔悴する。そのことを執拗に描き、精神を崖際まで追い詰めることで、闇遊戯もまた遊戯に対する大きな感情を抱いていることを浮き彫りにする。実にサディスティックな試みではあるが、周囲から王と呼ばれ、事実偉大な人物である彼の最大の弱点が武藤遊戯の不在である、という視点は、ドーマ編が最も鮮明に描き出した景色に他ならない。

 相棒の魂を取り返すため、ダーツとの闘いに挑む遊戯。因縁の相手ラフェールとの再戦において、遊戯はかつての自分の過ち(オレイカルコスの結界を使ったこと)を悔いており、それに頼らずに勝利すると宣言。今度はラフェールが結界を使用し、彼自身が己の心の闇と向き合う結果となった。

 そう、心の闇。作中で何度も用いられ、それ自体が全体のテーマの如く語られたこの言葉は、人間誰しもが持つ普遍的なものであり、強敵であるダーツや三銃士、闇遊戯ですらも例外ではない。己の弱さや苦い過去と向き合い、それを受け入れない限り、真の勝利は得られない。闇遊戯はそのことを悟り、ラフェールに辛くも勝利。かつての失敗を乗り越え、相手の心の闇も背負うと宣言した王の復活はおなじみの劇伴とセットで放たれ、ラフェールの闇を晴らすことに成功する。

 そしてダーツとの最終決戦において、なんと本作は原作の最終章の展開を暗示する、という驚きの展開に出る。オレイカルコスのチート能力を総動員し、ライフ20000、攻撃力∞というふざけた状況を用意したダーツは、なおもファラオの心を揺さぶってくる。タッグデュエルの相方である海馬も倒され、後ろで見守る仲間たちも意識を失う。そんな状況でお前に何が残っているのか?と問うダーツ。心理的な揺らぎに、一度は諦めそうになる闇遊戯。だが、三千年の眠りから目覚め、武藤遊戯の身体を借りて現世を生きる彼は、空っぽではなかった。

 今の闇遊戯=ファラオを仲間と慕う者が、ライバルと認める者がいる。彼は現代の日本で、確かに「」を結んでいる。この絆こそが後に「アテム」の名へと導いたことは、原作既読の方ならすぐに察せられる。その絆によって今の彼が在ることこそが、『遊戯王』という物語の何よりの肯定へと繋がる。

 さらに終盤では、闇遊戯と表遊戯との間にいずれ訪れるであろう「別れ」を意識させる直接的な台詞があり、それがそのままクライマックスの展開を言い当てているところも、挑戦的なのだ。いずれ二人の遊戯は離れ離れになり、一人で戦わなければならない時が来る。そのことに自ら気づくのが原作版の遊戯なれば、アニメ版ではこのドーマ編で先んじて闇遊戯がその姿勢を見せ、終盤の展開につなげる、といった構造が採択されたのではないだろうか。ダーツを倒すため、そして自分が今を生き抜くための在り方を貫き通すため、闇遊戯もまた一人で立ち向かう。その背中を見た表遊戯が、後にエジプトで最終決戦に挑む。原作漫画のテーマを先取りすることで『遊戯王』とは何か、にスポットライトを当てる。長く苦しい闘いの先に、美しいテーマの結実があったことを思えば、これまでの苦労も浮かばれる。

 ただ、こうした美しい着地に辿り着くまでに、この章はいかんせん長すぎた。ダークで仄暗い展開が続き、デュエルもオレイカルコスを筆頭に理不尽を相手に押し付ける局面が多く、最終戦はインフレにインフレを重ねてばかりで高橋和希先生のゲームメイクにはどうしても劣る。また、回想シーンの繰り返しにより全体的に話運びが鈍重で、クライマックスではよりその傾向が顕著になるのも辛いところであった。

 そして最大の難点は、このドーマ編から最終章のエジプト編に繋がる展開になっておらず、次回予告で「KCグランプリ」なる未知の展開が続くと知った時の、残念にも程がある製作事情である。これで「闘いの儀」へと進む流れであれば、どれだけ綺麗だっただろうか。どうやらまだまだ、このアニメとの付き合いは続くらしい。

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