ウルトラマンの舞台がスゴいことになっている。『NEW GENERATION THE LIVE ウルトラマントリガー編』
ウルトラマンの舞台がヤバいことになっているらしい。『ウルトラマンブレーザー』1話の衝撃で界隈が騒然としている中、前々から聞いていたそんな噂がマジだったと、知ってしまった。
ウルトラマン、ひいては円谷プロは以前からリアルイベントを盛んに行っていて、ヒーローショーはその中でもメインイベント。ただ、ヒーローショーと聞くと、どうしても「デパートの屋上でやっているやつ」を連想してしまい、博品館劇場での催しや『THE LIVE』と称される一連のライブも、その豪華版だろうなと、正直に言えばナメていた。映像作品ではない以上CGによる光線技は使えないし、派手な爆発もなければミニチュア破壊もない。そんなものを観て楽しいと思えるか、いわばファンの間で共有される「これはそういうものだから」という暗黙の了解の下で成立する“ヤバい”だと、ずっと思い込んでいた。
で、今何をしているのかと言えば、猛省に次ぐ猛省、謝罪に謝罪を重ね、こうしてキーボードを叩いている。百聞は一見にしかずというが、まさにその通り。長年にわたり、今を生きる子どもたちから、ウルトラマンを観て育った大人たちにたくさんの夢を与えてきた円谷プロが、生半可な舞台を出すわけがないのだ。恥ずべきは己の無知ということで、つい数時間前まで「ウルトラマンの舞台を知らなかった男」なりのレコメンドを書いていき……俺が書く!をやってみるものとする。
さて、ウルトラマンの舞台については、すでに有識者より解説がネットの海に放流されているので、ありがたくお借りします。
今回、映像配信で視聴したのは『ウルトラマントリガー』を主役とする4つのSTAGE。1〜4までナンバリングされてはいるが時間軸上の繋がりが明確なのは1と2で、3と4はTVシリーズの中間と最終回のその後に位置する物語が展開された。そう、今あっさり言い流したが、このLIVEは『トリガー』本編と連動する仕掛けを有している。
……というオタク喜びポイントを説明する前に、まずはSTAGE、つまり「ウルトラマンの舞台」がどんなものかを、素人なりに頑張って解説してみたい。
こちらの映像では断片的に写ってはいるが、メインステージとなる舞台は平面で、バックに巨大なモニターが設置されている。このモニターは実は左右に開く扉状になっていて、ウルトラマンや怪獣は上手下手の舞台裏の他に、このメインモニターの真ん中から現れる、ということもある。
ウルトラマンの舞台で目を引くのは、このモニターを用いた演出だ。作中の舞台を表したり、キャストの映像出演といった「映像を観る」用途としてももちろん活用されてはいるが、その本懐は「必殺技演出の補佐」にある。
先述の通り、舞台となればCGや光学処理は使えない以上、ウルトラマンの必殺技の代名詞である光線技を“本物っぽく”見せるには舞台では分が悪い。それをカバーするように、背部のメインモニターが光線のエフェクトを写したり、変身バンクやゼットが空を飛ぶ際の「Z」の軌跡を表現する。ステージに立つウルトラマンと映像演出が一体になり、観ているこちらは自然と「ゼペリオン光線を放つウルトラマンティガ」を認識できるようになる。舞台は特撮映像より見劣りするもの、という浅はかな事前の想像は早くも打ち砕かれた。
そして舞台のもう一つの魅力とは、ウルトラマンのアクションだ。何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、舞台とは映像芸術ではないため、カット割や編集を施すことができず、観客の前で披露する(スーツを纏ってはいるが)生身の殺陣こそが全てになる、という厳しい場所でもあるのだ。加えて、ミニチュア特撮の表現も断たれている以上、ウルトラマンや怪獣の巨大表現は難しく、それはある意味で「銀色の巨人」から神秘性を剥ぎ取ってしまいかねない。
ところが、そんなハードルを物ともしないかのように、舞台上のウルトラマンは実に激しいアクションを繰り出してくる。スーツの重さを感じさせないようにくるりと空中で一回転しながら蹴りを繰り出し、おなじみのポーズを決める。高低差のあるひな壇状の舞台でも、ウルトラマンは敵の猛攻にやられ落下をも厭わないダメージ表現で、こちらを驚かせてくれる。かと思えば、カミーラやカルミラはダンスを踊るように戦い、偉大なる初代マンさんは「昭和」としか表現しようのない荒々しい怪獣プロレスを披露する。
アクションひとつとっても、身にまとうウルトラマンの個性を遺憾なく発揮し、キャラクター像を壊さないよう慎重に磨き上げられたであろうそれらのアクションは、モニターごしで観ていても「スゲぇ」と思わず声が挙がるほど。ひとたび照明が落とされ、またスポットライトが灯る時、10を超えるウルトラ戦士が集結する際の昂りは、オールスター映画を観ている時のそれに何ら遜色ないものであり、むしろ映像作品では出来ない組み合わせやレアなウルトラマンの再臨など、舞台ならではの粋なサービス精神にどんどんテンションがノせられていく。
先の巨大化表現についても、驚きの演出があった。ファイブキングやガタノゾーアのような、ウルトラマンの身長を遥かに超える強敵怪獣もステージに登場するのだが、その身体はスーツや操演人形ではなくなんとバルーンが採用されている。仮にウルトラマンたちのスーツを2mと仮定しても、それを優に超える巨大バルーン怪獣が現れた時は、そのインパクトに絶句したほど。ただしバルーンとはいえ、ガタノゾーアは触覚や足がうねうねと動き、ファイブキングはその巨大な腕が武器になるなど、ボス級怪獣としての「格」を一切損なわないステージならではの工夫と試みは、怪獣たちも主役であるという意思が伝わり、とても嬉しいものだった。
演者によるアクションと映像演出が織りなす、確かにそこにウルトラマンと怪獣が闘っていることを思わせてくれる、至極の舞台。先も少し触れたが、ウルトラマンが大勢登場するのも、舞台ならではの醍醐味だ。
今回視聴したトリガーの舞台は、トリガーを座長としつつニュージェネのウルトラ戦士が多数登場し、トリガーの元ネタであるティガ、そんな彼と同期的なつながりをもつ「TDG」も勢ぞろいするという、複数の世代に優しい舞台になっていた。ウルトラマンの声も“ほぼ”オリジナルキャストが集結しており、演者・声優問わず馴染みの声が聴こえるのも嬉しいし、流石に長野くんの参戦は難しかったもののティガのCVはなんと真地勇志氏なので、ある意味「全員オリジナルボイス」が実現しているのも、某社の春映画に慣れきった身としては贅沢すぎて通風になりそうなくらい。
それだけもオタク大歓喜なのに、「舞台が初出のアグルSVがサプライズ登場」「『ティガを倒すのは俺だ』と言いながらティガダークに戦いを挑むイーヴィルティガ」「お互いヘンなヤツに惚れちゃったね……と意気投合するカルミラとカミーラ」という、公式が最大手を地で行くシチュエーションが盛り盛りで、しかもそれがおそらく「正史」に位置づけられるスゴさ。大きいお友達も思わずスマイルスマイルさせられる、子ども向けのショーだと侮るとうっかり薄い本が厚くなってしまいかねない燃え(萌え)を口いっぱいに詰め込まれてしまう。
そんな舞台と本編との連動要素についてだが、『トリガー』を例にすると、1&2が時勢を考慮してか壇上にいるのはウルトラマンとマルゥルのみで構成されていたが、STAGE3『時空を超えた戦士たち』では寺坂頼我/豊田ルナ/金子隼也/細貝圭らがそれぞれのキャラクターを(フェイスシールドを装着してではあるが)演じ、それに沿ってストーリーも本編との連動が強化されていく。
DVDや配信サービスで観ることのできるSTAGE3『時空を超えた戦士たち』は、実は公演当時はTVシリーズ第22話『ラストゲーム』の放送直後。そのため舞台でもヒュドラムが脱落しており、カルミラが彼を復活させるという展開が用意されている。これにより本編ではやや消化不良だったイグニスとヒュドラムの決着が舞台上で実現するという、ゴクジョーにアツい展開が拝めてしまう。さらに、『ギャラクシーファイト』シリーズで用いられる「平行同位体」の設定を拝借し、こちらの度肝を抜く共闘を実現させてくれたのも、発声を禁じられた現地勢のマスクから漏れ聞こえる驚愕の叫びを幻聴できそうなほどのサプライズだった(故に、家で鑑賞する際は全力で驚ける)。
そして続く完結編となるSTAGE4『僕らが咲かす花』は、なんと『エピソードZ』のさらにその先を描く、『トリガー』もう一つの最終回が展開。しかもそのあらすじは「なぜティガとトリガーの世界は似ているのだろう、という疑問をケンゴが抱いたその時、二つの時空は何者かによって繋げられてしまう」という、オイオイ大丈夫かソレはと言いたくなる爆弾を放り投げてきた。
ティガの真髄を継ぐものとして産み出され、様々な毀誉褒貶に晒されてきた『トリガー』という作品。今でこそ作品のコンセプトには納得と理解を示しつつ、出来上がった代物がそれに見合ったビジョンを提示できていたかは、個人的にも複雑な思いがある。結局のところ、トリガーってティガの何なの??という点は、ある程度ボカされているというのが現実だった。
それに対しこの舞台では、反則スレスレの回答を提示してみせた。それはメタ的には商業的な事情や、我々オールドファンが『ティガ』を神格化し続けてきたという歴史があったはずで、それを美辞麗句で装飾したものに一見感じられるかもしれない。ただし、マナカ・ケンゴが発したその想いは、『ティガ』という光を信じ、その胸に宿してここまで生きてきた私達に対するメッセージであると、受け取ってしまった。設定の整合性よりも、光を信じる心を尊ぶ姿勢は、『ティガ』を観てきた者としては感じ入るものがあるし、それを踏まえてウルトラマントリガーであり一人の人間であるマナカ・ケンゴが迎える最終決戦は、TVシリーズ最終回が『ティガ』の復活の上辺だけをなぞってしまったことへのリベンジを見事果たしてくれた。
そしてもう一つ、ケンゴというキャラクターの評価を分けた「スマイルスマイル!」という口癖についても、その出自が明かされた。TVシリーズでは母の口癖を真似たものだと描写されてきたに過ぎなかったが、その言葉に隠された真の想い、それを活かした観客の参加演出に、止めどなく涙が溢れてきた。人々の笑顔を守りたいと願い、自らが笑顔を咲かせることを大切にしてきたケンゴ、成人男性らしからぬその人格に一度は疑問を抱いた日々もあったけれど、顔の半分をマスクで覆わなくてはならなかった時代に笑顔を絶やすまいと諦めなかった『ウルトラマントリガー』制作陣の想いが伝わってきて、心が暖かいもので満たされていくのを感じた。
改めて、俳優・寺坂頼我の鬼気迫る熱演、そして彼自身の持つ愛嬌やチャームがあってこそマナカ・ケンゴというキャラクターが成立するのだと、このSTAGEを観て実感した。彼が会場の子どもたちに投げかける笑顔は、暗い時代にあっても希望を鼓舞するような、そんな明るさを兼ね備えていたように思える。ナツカワハルキ=平野宏周氏が“初めての後輩”である寺坂くんに贈った「トリガーになってくれてありがとう」の言葉の重みが、今なお胸に刺さって抜けないでいる。こうして、『ウルトラマントリガー』は完結するのであった。
ライブの魅力を語るはずが、いつしか『トリガー』の総括(成仏、とも言う)に言及してしまったが、キャストにとっても「卒業」の儀ともなる本舞台シリーズは、作品を見守ってきた我々ファンにとっても見逃せない「作品の一部」なのだ、ということをご理解いただけたら、嬉しい。
このLIVEシリーズだが、都民だけのお楽しみなんでしょ……と思い込んでいたが、『デッカー』編では以下の4会場で公演が実施されていたらしく、間口は複数用意されている。それでも全国をフォローするには至らないが、東京に行けないからといって諦める必要はないのだぞ、ということである。
それから、ライブの生/アーカイブ配信サービスも実施されている他、過去のLIVEシリーズも「ウルトラサブスク」でおなじみ「TSUBURAYA IMAGINATION」ほか、HuluやU-NEXT等でも視聴が可能となっている(2023年7月現在)。また、DVDも発売されるのも恒例となっているが、総じて価格がバグかな?というくらい安くて、ウルトラヒーローが出ずっぱりということなのでお子様へのプレゼントとしても申し分ないコストパフォーマンスですよ奥様。
特撮ドラマのみならず、様々な媒体で活躍するウルトラ戦士たち。その中でも最も観客=ファンとの距離が近い「舞台」においても、ウルトラマンは最高にカッコよくて、眩しいものだった。ちょうどこれから新ヒーロー『ブレーザー』のLIVEも行われるだろうから、今度は現地でそれを実感してみたいし、舞台を観たことがない方々にも、この感動が届いたらな、と思わずにはいられない。
そして、少しずつ「声出し」が解禁されつつある今、ウルトラマンの舞台もより自分たちが参加できる形態が復活するものと思われる。子どもたちの無垢な声援が何よりも尊いものであるし、キャストの皆さんにとってもそれは何者にも代えがたい心の支えになるはずだ。疫病によって「ご唱和」の機会を奪われ続けてきた私たちと公式の、リベンジが始まる。そんな期待を胸に抱き、今夏の予定を検討してほしい。舞台で、待ってる―(神楽ひかり)。
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