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TVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』で世界とおれは灰になった。

 縁がなかった、というだけのことだった。『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』という映画があって、公開されるやいなやアニメファン映画ファン問わず、観た人誰もが圧倒され手放しで絶賛する声が、タイムラインを埋め尽くした。されど、その評判が耳に届く頃には活動県内の劇場での公開は終わっていたし、何より有識者の「これは劇場で鑑賞しなければ意味がない」という一言が決定打となって、私はこの作品のことを忘れようとした。劇場で観られないなら仕方がない、知らなかったことにしよう、と。なのに、なのに……。

 退路を塞がれてしまった。一切の言い訳が利かなくなってしまった。ゆえに、そこからは必死に追いつくための履修が始まって、おれはスタァライトされてしまった。決して劇場版を観るための義務としてでなく、おれは『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』という作品に溺れ、目を腫らすほどに落涙し、惚れ込んでしまった。もしかすれば、劇場版を観たことで決定的に自分の中で何かが変わってしまうのではないか、という恐怖さえ抱いている。面白かったね、などという言葉では済まないのではないか、これまで摂取してきたコンテンツを差し置いて「杭」になってしまうのではないかと、いずれやってくる処刑の日(公開日)に怯えている。だから、TVシリーズを観た直後の「生」のお気持ちは今しか吐き出せないし、後になって読み返すためにも、自分なりの言葉でまとめておきたい。これは解説や考察ではなく、ただの記録でしかないのだけれど、新鮮な悲鳴というコンテンツとして楽しんでいただければ幸いだ。

【摂取済み】
・TVシリーズ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』全12話
・劇場版『少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド』

 『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』1話を観た時、のめり込むというよりは「取り込まれた」という印象を受けた。聖翔音楽学園に通う若き少女たちが、明日のトップスタァを夢見て切磋琢磨する学園物語、という有り体の物語から一変、後半からは怒涛の情報量がこちらの脳を殴ってくる。地下に設けられた怪しい劇場、CV:津田健次郎のキリン、少女たちが剣や弓で直接闘う舞台「レヴュー」……。こちらの理解が及ぶ前に歌と闘いと感情の坩堝で物語を稼働させていくその攻めの姿勢は、『キルラキル』を彷彿とさせるスピード感に満ちていたし、確かに圧倒された。同時に、『ウテナ』の血を色濃く感じさせる敗北条件に強く心を打たれたものの、制作スタッフにそもそもウテナ関係者がいたというのは後になって知る。

 また、本作の少女たちの一瞬の煌めきを巡る物語は、これまで履修してきた「アイドル」コンテンツにも近い感覚を受けた。学校に通い勉強や部活に勤しむ、といった「普通の」女の子としての人生を捨て去り、演劇に青春という時間をベットする一世一代の博打。それが実るか否かさえ不確定な夢に人生を賭け、栄光と挫折の狭間を行き来する若者たちのドラマ。その命運に激しく心惹かれてしまう私は、いつしか「観客」の一人になっていた。

 そう、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』というアニメの凄みは、TVやスマホの画面でアニメを眺めている我々のような視聴者を、観客という舞台装置に引きずり込んでしまう、その魔力にあるのだと思う。思い返せばレヴューは、演者一人一人の思いや情感が多分に込められた、脚本のない舞台だ。その時々の心情や総合的な演技力によって、勝敗も様変わりするかもしれない。しかも、中には観客の目を意識しない演者二人のためだけの演目(嫉妬/約束)も存在し、演劇としては風変りというよりも「邪道」ではないか、という所感さえ抱く。

 しかし、その違和感こそがレヴューの本質であったのだ。レヴュー単体では物語は成立せず、オーディションに至るまでの演者たちのドラマを知っていればこそ、観客は初めてレヴューで繰り広げられる舞いや言葉を理解することができる。つまり、レヴュー単体では舞台(物語)として欠けている=レヴューに至るまでのドラマを神の視点で見つめることのできる視聴者を最初から観客として想定しているのである。あのキリンを敗者から煌めきを奪う悪者として批判することは不可能だ。彼女たちの青春を担保にした輝き、一喜一憂を楽しんでいる時点で、我々もまたレヴューを望んだ観客の一人なのだから。

 少女たちが笑い、傷つき、その成長に涙する。そして時に、私たちはアニメのキャラクターが壮絶な運命に打ちのめされ、絶望する姿を見て「神アニメ」「覇権」などとレッテルを貼る。マミさんが死んだ時、私の中で『魔法少女まどか☆マギカ』は“面白いアニメ”になった。過激で、刺激的で、残酷であればあるほど、観客は安全圏から「もっと」と声を挙げる。猛獣が解き放たれたコロッセオに熱狂する野蛮さを、本作は暴き立てた。やられた、と思った。内に秘めた仄暗い欲望を、あのキリンは「わかります」と言ってのけた。このアニメは、確かに“こちら”を見据えていたのだ。少なくとも、キリンと大場ななは。

 そうそう、大場なな。この物語が繰り返し(ロンド)をテーマにしているのは明らかだけれど、彼女の存在は異質だった。仲間たちと同じ舞台を創り上げる喜び、その日々を尊く思い、傷つき夢破れる少女たちの慟哭に耐えられない。仲間を想う優しさや母性に似た温かみは、その裏に傲慢なエゴを忍ばせる。結果として彼女は世界を丸ごと「あのスタァライト」に向かっていく円環に仕立て上げ、何度も何度も繰り返した。

 本作は、何もループを脱することそのものを主人公の目的として描くことはなかった。あくまで「大場なな」という個人を描くための一要素として、ループを持ち込んだに過ぎない。だからこそ強烈で、ショッキングだった。愛する者同士が悲運な運命を遂げる戯曲「スタァライト」を、ななは「嫌い」とまで言ってのけた。彼女は舞台を演じることではなく「スタァライト」を演じるまでの一年間という時間そのものを守りたくて、オーディションに勝ち続けた。少女たちの一瞬の煌めきを尊ぶキリンとは異なり、一瞬を「永遠」に変えようとするなな。風化することも劣化することもない、再生される輝かしい日々。それでも眩しくて、まだ遠い。

 不確定な未来を恐れる。あるいは、終わりなきモラトリアムへの渇望。大場ななの弱さ故に始まった円環は、時間と世界を閉じ込めることで完成する、誰も傷つかない世界。少女たちが血を流さなくていい世界。言い換えれば、舞台少女が死なない世界、である。

 舞台少女の「死」を、私たちは神楽ひかりを通して目にしたことがある。舞台で演じることへの情熱を無くし、「舞台に生かされている」はずの舞台少女が、舞台に立てなくなること。聖翔音楽学園を退学した名も無きクラスメイトも、オーディションに敗北したひかりも、輝きを失ったがために舞台少女として死んでしまった。

 何度も繰り返すが、彼女たちは歌劇に憧れ、自分の人生を投じて聖翔音楽学園の門をくぐったのである。そして舞台少女として死んだ時、彼女たちは「夢を諦めた人」になってしまう。普通の女の子に戻ることも許されず、何もない、空っぽな人として、生きて行かねばならない。

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『アイドルマスター シャイニーカラーズ』
イベントコミュ『アイムベリーベリーソーリー』より

 過ぎ去った時間は取り戻せない。夢に投資した気持ちも時間も、手放したらそれまで。大場ななは、そんな当たり前が耐えられなかった、臆病で等身大の女の子だった。同級生だけでなく、自分の心も守りたかった。他者の煌めきを奪うのではなく、保ち続けるための「運命の舞台」を選んだ。そのために血を流し続けた。

 物語は、大場ななに救済を与える。神楽ひかりが、愛城華恋との約束運命によって煌めきを取り戻したこと。星見純那がななの弱さを優しさとして受け入れたこと。誰からも愛される“ばなな”の孤独な闘いは、仲間との未来を想うことで終わりを迎えた。前に進むことを、ようやく受け入れられるようになったのである。

~未来へ~
アンコールは血に染まるか

 運命。愛城華恋と神楽ひかりが、舞台少女として産まれた日から今日まで続く約束の物語は、輪廻に風穴を変える塔となって、「罪」と「詰み」を洗い流す。ひかりを失い、舞台少女として死にかけた華恋が、髪飾りを燃料とすることで起こすアンコール奇跡。古典たる戯曲に新たな解釈を与え、その続きを自ら演じる「再生産」によって、アタシ愛城華恋に再び火が灯る。舞台少女が、舞台に新たな血を入れ、誰も観たことのない筋書きが始まる。キリン=観客の願いは、女の子二人の強い結びつきによって、達成されたのだ。

 なのに何故、舞台少女たちは血を流しているのだ??再生産総集編『ロンド・ロンド・ロンド』のラスト、完全新作へのブリッジにおいて提示された、悲惨な未来のイメージ。観客の望むがまま舞台に上がり続け、消耗していく少女たちの、痛ましい姿は何を暗示しているのか。回避されたはずの「舞台少女の死」が再び訪れる理由とは何なのか。ループから脱した99期生たちの未来は、どこへ向かっていくのか。

 何も、何もわからない。だからこそ私は劇場版を観る日を処刑の日と呼んでいるのである。殺されるとわかっていて、劇場に駆け付けずにはいられないのだ。観たいけど、観たくない。終わってしまうことを恐れている。大場ななが未来に歩を進められたとして、私にはその勇気がないのだ。

 だからこそ私は何度も「助けてくれ」と叫ぶことしかできない。劇場版を観てしまったらどんな感情になるのかさえ、もう想像もつかないのだから。どんな出来事が作中で起こっても目を逸らしてはならぬことだけを胸に誓い、今はただ静かにその日を待っている。


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