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シャニマスのアニメ第1章を観たぜ。

 ドーモ、伝書鳩Pです。

 平素、おれが見ているのはPCのモニターかスマホの小さい画面のどちらかで、家に引きこもってアイドルを育て、コミュを読んでニヤニヤするのが日常だったが、久しぶりにシャバに出て、映画館に行くことになった。映画館に行くために着る服がないとか、席をどうやって買えばいいかわからないとか、そういうゴタゴタはどうでもいい。なにせ、シャイニーカラーズがアニメになって、それが映画館で上映されているのだ。家に居て静観していられるような、そういう生易しい事態ではない。

 シャイニーカラーズがアニメ化する。いずれ来るとは薄々思ってはいたが、いざ目の当たりにすると隔世の感があるというか、長いことこの作品と向き合っていた人ほど、その衝撃は大きいはずだ。スマートフォンの性能がグングン上がり、3Dのダンスシーンもヌルヌル動かせるようになった時代において、シャニマスはテキストノベルの表現力だけでこの群雄割拠に乗り込み、ただただ愚直にその精度を上げていく稀有なアイマスだった。アイドルゲームなのにパフォーマンスシーンを描かなすぎて、コンシューマ機での越境タイトルに参戦した際は出演声優が「自分の担当アイドルの背中を初めて見た」と大騒ぎするくらい、シャニマスは音と文字と2D演出のコンテンツだった。それが今、3DCGアニメになって、地上波で流されるという。

 アイドルの実在感を高めるために様々な試みをしてきたシャニマス運営だったが、ここにきてのアニメ化である。制作はポリゴン・ピクチュアズで、脚本は『アイカツ!』の加藤陽一、監督は『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』のまんきゅう氏と、かなり気合が入った様子の今作。もうこれ以上の前置きは抜きにして、率直な感想を語っていこうと思う。無論、劇場公開版の第1章(TV放送の1〜4話相当)のネタバレを含むし、観ていない奴がこのテキストにたどり着くはずもないので、容赦なくいく。あと最初に言っておくが今回はストレイライトは出ない。なのでおれは冷静だ。

 シャニマスのアニメ化と聞いて、まず何を思ったかと言えば、「ゲームのシナリオをそのままやるのか」ということだった。例えば真乃を主役としたW.I.N.G.に挑むイルミネを本筋にしたり、あるいは代表的なコミュやシナリオを土台にしたオムニバス形式だったりと、原作(enza版)とどういう関係になるのかが、実際に本編を観るまではハッキリしない部分があった。

 その点で言うと、今回のアニメは独自の路線を選んだ。放クラの面々がすでに合宿(『五色 爆発!合宿 クライマックス!』)を済ませている通り、ゲームでの出来事の一部も彼女たちは経験しつつ、しかしW.I.N.G.に挑戦する4つのユニットの日々のアイドル活動をアニメ独自の目線とイベントで描く、ということだ。その中でただ一人、真乃だけがプロデューサーとの出会いから283プロに所属し、イルミネが結成されるまでの瞬間が1話を使って描かれ、まだまだ距離感の遠い真乃-灯織-めぐるの関係性の深化と最初のパフォーマンス披露とが中盤の盛り上がりとなることが予感される。めぐるが「真乃ちゃん」「灯織ちゃん」と呼んでいた頃の関係に、得も言われぬ郷愁をくすぐられ、ここだけで涙した同僚各位も多いはずだ。

 今回のアニメーションは、おそらく『シャニマス』に触れたことのない人に向けて開拓するための施策でもあるだろうし、4つしかユニットがいない283プロから物語が始まり彼女たちにまだ知名度や人気が備わってないことからも、アイドルたちが自分たちの翼で羽ばたけるようになるその瞬間に向けて物語が進んでいくはずだ。……現状の第1章における内容が本当に新規に優しいかどうかは賛否が別れる気もするが、要は本作がここから観ても問題ないシャニマスとして作られているだろう、ということだ。

 そうなると必然、日頃私達が読んで向き合っている『アイドルマスター シャイニーカラーズ』というゲーム、ひいてはそこで描かれる物語や感情の機微と比べると、どうしても「こんなものではないだろう」と思わなくもないのだ。シャニマスという作品が有する、そして全国のプロデューサーが心奪われ続けている、読む者の心を穿ち、時に傷つけてしまうほどの描写を含みながらも「人間」を描かんとする試みと比べたら、今現在のアニメの内容ではどこか物足りない。アイドルの尊さを描く一方で、世界の非情さやコミュニケーションの不和が生み出す歪みに対しても敏感すぎたenza版の劇的さに慣れてしまった身には、1話24分という尺で描ける厚みに限界を感じ取ってしまったのだ。

 過激であれ、登場人物を激しく追い込めと願い、作品にラベリングをする行為がシャニマスの描く価値観に最も反しているので、これ以上は深掘りしてはならない。ならないが、「シャイニーカラーズをアニメ化する」という行いに対して今の完成物がどういう方向を向いて作られたものなのか、それを見定めるにはもう少々の話数を追う必要があるということを、今回の第1章から感じ取った。ここまでのパンチの弱さがどう解消されるのか、次の章に期待がかかる。

 ゲームをトレースするのではなく、別の方向を向き始めたシャニアニ。今回の第1章で印象的だったのは、「アイドルであるため」の問いかけと、その答えに向き合った各ユニットのエピソードだ。

 思えば、恋鐘がミュージックビデオ制作を切望したのはライブに来られなかったファンに自分たちのパフォーマンスを届けるためだったし、甘奈はイベントの進行をしながらも喧嘩してしまった姉弟の笑顔のために動き回り、果穂はヒーローイベントを心待ちにしていた子どもたちをガッカリさせないために自分たちがヒーローになると決断する。そこには常に「ファンのため」という意識があり、自分たちを応援してくれる人や地域の人々のために奮闘し、その努力が実を結ぶ瞬間が描かれた。

 その様子を見たプロデューサーが、彼女たちそれぞれに違う「」を見出すというプロットが、冒頭に投げかけられた天井社長の言葉へのアンサーになっている点で、ここまでの4話は綺麗に結ばれている。アンティーカは観る者の心に火を灯し、アルストロメリアはたくさんの笑顔の花を咲かせ、放課後クライマックスガールズは周囲の人々を巻き込んで大きく事を動かすパワーがある。同じ事務所に所属していながら、それぞれが全く違う魅力とエンパワーメントを兼ね備え、それはただひとすじに「ファンのため」に発揮されてゆく。まだまだ彼女たちは駆け出しアイドルだが、いずれ芸能界を大きく席巻する大きな存在になる……なんてことは同僚各位もご存知のはず。

 なればこそ、続く第2章で焦点が当たるのは、残されたイルミネーションスターズの色とはどんなものなのか、あるいは三人の少女たちがどんなアイドルになりたいかという問いとその答えにあるのだろう。未だ真の意味で打ち解けていない三人が、周囲を照らす星になれるのか。無論その答えは、名曲「ヒカリのdestination」と共に打ち出されるであろう。

 enza版は5周年を迎え、もう間もなく新アプリ「シャニソン」もリリースされる。シャニマスというコンテンツは「積み重ね」こそが意味を為す重層的なシナリオで数えきれない感動を与えてくれてはいたが、その反動としてこれから読み始めるハードルが異様に高くなっている、と常日頃から感じていた。そこへきて今回のアニメ化、ゲームへの導線となりうるかはまだ保留だが、彼女たちの「アイドルになっていく/なったばかり」の姿を見られて、ずっと懐かしさで涙腺は緩みっぱなしだったし、ファンの笑顔のために一生懸命な彼女たちの姿が地上波や配信などで多くの人の目に触れられて、少しでも「いいな」と感じてもらえるかもしれないと思うと、そのことがなんだかとても嬉しい。と同時に、W.I.N.G.に優勝できずアイドルと一緒に涙を飲んだ日々や、それぞれのアイドルへの思い入れが深まったタイミングでユニットの物語にフォーカスした「ファン感謝祭」を読み進めた際の喜びがぶり返してきて、どうしようもなく懐かしかったのだ。

 公私共々に忙しくなっていくにつれて、ソーシャルゲームに割ける時間と体力はどんどん減っていったし、シャニマスのシナリオが素晴らしいが故に咀嚼するにはカロリーが高すぎるための敬遠が続いていた時期があったため、今回の鑑賞に際し後ろめたさがあったのも事実。だが、劇場を後にした今、シャニマスが好きだ、という気持ちを思い出せて、個人的にも救われた一作となった。そんな出会いが少なくとも劇場であと二回、地上波放送で毎週味わえるかもしれないと思うと、不思議と足取りも軽くなる。

 イルミネの一番好きな曲は、今も変わらず「トライアングル」。もしかしたらこの曲が流れる回もあるかな、なんてことを考えながら、第2章を待ちわびるとしよう。なお、私の願いは「第3章ラストのCパートで『街頭モニタに映るイルミネのダンスを見上げるあさひの無表情』で終わる」だ。当たったら、褒めてくれ。

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