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TCG未経験だけど、TVアニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』を全部観た(記憶編〜闘いの儀)

 2024年6月13日、アテムが冥界へと還る後ろ姿を見送って、私の旅も一段落した。TVアニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』全224話、完走――。ちょうど一年前に原作漫画を全巻購入して、原作⇒TVアニメ⇒劇場版へと歩を進む決心をして、ようやくここまでたどり着いた。

 ちょくちょくその他のコンテンツに浮気しつつ、これだけの話数のアニメを一年かけて追ったともなれば、万感の思いがある。ゆく先々で出会う強力な決闘者デュエリストたち、その激闘を彩るアニメーションや演者の熱演に劇伴、そして度重なるアニオリ展開。原作からの改変を多分に含みつつ、しかしあの荘厳かつ感動的なクライマックスの映像化に、令和6年にもなって打ち震えているオタクがいることを、このアニメ版行脚の最後の感想として残しておきたい。

 KCグランプリを経てついにたどり着く最終章「王の記憶編」。闇バクラとの最終決戦を通じて、三千年前から続く因縁やデュエルモンスターズ(原作ならM&W)との数奇な関係、そしてファラオの真の名前と壮絶な過去が明かされる、これまで展開されてきた物語の風呂敷を畳むための長編となっている。

 して、原作の章の映像化とはいえども、アニメ版は忠実なアダプテーションとはならないのもお約束。原作漫画を読み返してみると、アニメ版は様々な追加や変更が施されており、例えばマナは王様アテムとより近しい存在になり、ボバサは性格が幼くなりその成り立ちも変わるなど、挙げていけばかなりの量になるだろう。千年アイテムを生み出すためのクル・エルナ村での非道に対し、アテムの受け止め方はアニメ版と比べて原作版はわりと突き放しているような印象を受ける。

 その改変の最たるものが、現代の海馬がエジプトまで足を運び、闇のゲームに参加している事実だ。原作版ではバトルシティ編で父との決別を描き、そのまま表舞台からフェードアウトしていった我らが社長だが、アニメではセトとキサラ(ブルーアイズ)との結びつきを目の当たりにし、しかもゾークとの決戦では「青眼の究極竜」を召喚しアシストするといった活躍を見せる。そしてそのままシームレスに「闘いの儀」の観客の一人となり、アテムとの闘いに名乗り出る⇒遊戯にその座を譲る⇒アテムが三体の神を召喚したことで勝敗を決し立ち去ろうとするも、遊戯に呼び止められる⇒遊戯を認め最後まで見届ける、というツンデレの重ね着を披露し、場を盛り上げた。

 千年アイテムや古代エジプトでの出来事を“非ィ科学的”と忌み嫌いながら、その実態をその目で見て、セトとアクナディンの関係性に自らを重ね、遊戯とアテムの闘いに的確なアシストを決めていく。当時の海馬瀬人に対する根強い人気を感じると共に、原作ではアテムに勝利できず、別れを告げることも出来なかったことを思えば、アニメ版の描写はある意味で彼の憑き物を落としてあげられる、優しい改変と呼べるのかもしれない。

 全ての因縁に決着がつく「記憶編」だが、このアニメ版でも原作における弱点を払拭できたとは、正直言い難い。物語を閉じるために必要な工程であることは間違いないのだが、カードゲームでしのぎを削っている最中の少年漫画的な熱さ、面白さはやはり減退し、人種差別や虐殺、王座を巡る陰謀や裏切りのドラマは、話数が多ければ多い程全体に暗い影を落とす。ハサンの筋肉粒々なのにファラオマスク、な画はとっても面白いのに、突き抜けたものがないというか……全体的に暗い話なんですよね。

 そのため、本当に胸のすくような瞬間は、記憶編であれば遊戯VSバクラ、そして最終決戦となる「闘いの儀」までお預けになるのだが、この闘いの儀が本当に凄い。アニメにして4話という潤沢な時間をかけて描かれるラストデュエルは、高橋先生のお身体の都合で駆け足となってしまった原作版を大いに膨らませ、これまでの歩みを振り返りつつ遊戯の成長をさらに強調する、手に汗握る決戦となっているからだ。

 遊戯とアテム、互いが互いを知り尽くしているからこそ発生する、至高の読み合い。原作漫画でもそのエキサイティングなつばぜり合いは十分に描写されているのだが、アニメ版はさらにマシマシなのだ。アテムは危うげなく、前人未踏の神三体召喚を成し遂げる(原作では出していないラーを、ヒエラティックテキスト詠唱込みで召喚!)。しかし遊戯はどんなデュエリストでも諦めてしまいそうな苦境でも、サレンダーを選ばない。

 神にトラップは効かない。バトルシティ編でも散々マリクの口から語られ、それをいかに凌ぐかが課題であった神の攻略。それに対し遊戯は「神の攻撃は神に届く」というウルトラCでそれを成し遂げる。マグネットモンスターの融合と解体、マジックカードの組み合わせを巧みに利用し、オシリスの召雷弾を跳ね返すことで、三体の神をジワジワと弱らせていく。アテムが神を用いてくることを見越したデッキ構築とカードセンスが、「奇跡」を成し遂げた瞬間だ。

 神のカードはそれぞれが強力な特殊効果を持っているが、その強すぎる能力こそが状況を打開するカギとなる。オシリスが初めてその姿を現した原作・アニメ版での名バトル「人形戦」を思わせる、相手の必勝法こそを利用して優位に立つロジック。そんなコンボを、遊戯がアテムに繰り出す、この感動!アテムの背中を一番近いところで見守ってきた遊戯の成長と、彼を冥界に還すことの確固たる決意を象徴する、原作越えのタクティクスが海馬と我々を熱くさせる。

 そしてデュエルも終盤。竜騎士ガイアやデーモンの召喚といった、初期のアニメを支えたバイプレーヤーたちとの再会を経て、アテムはついにブラックマジシャンとブラックマジシャンガールを召喚。マハードとマナの想いがこもった連携の前に、遊戯の攻撃があと一歩届きそうで届かない、絶妙なじれったさ。そして最後に至る、「死者蘇生」のカードを巡る大逆転。イシズがあえて言葉にして語る遊戯の想いもさることながら、アテムを最も知る遊戯でなければ届かなかった(城之内や海馬では勝利できなかった)と思わせるだけの積み重ねがあればこそ、このクライマックスは美しい。

 思えば放送で換算すれば4年、序盤こそ拙いところも目についたけれど、今回改めて胸に染みたのは武藤遊戯/アテムを演じきった、風間俊介さんの演技力の向上である。サイレントマジシャンにトドメの一撃を命じる際の震える声の表現は、遊戯の中の覚悟と戸惑いとが同居する複雑な心境を表現するのに余りある演技で、観ているこちらもズキリと胸が痛む。

 最後の会話も言わずもがなで、勝利したのに涙する遊戯と、そんな彼の真の強さ、すなわち「優しさ」を称え、仲間に笑顔を見せ去っていくアテムの満ち足りたような声色は、長い期間キャラクターと向き合い進化してきた風間氏のベストアクトとして、これ以上考えられない形で物語を閉じる。

 高橋先生の原作が優れているのは勿論だが、観る者の魂を震わせるアニメーションに昇華させたのは、風間さんをはじめとする全スタッフ・キャストの皆さんの力があってこそ。アニメオリジナルキャラクターとも久しぶりに再会することのできるエンドロールにて、不思議と寂しさがこみ上げてくるのは、それだけの濃密な物語を見届けたという意識がそうさせるのだろう。TVアニメ版、これにて完結。重い荷物を下ろして、今は達成感と感動の余韻に浸っていたい。

 と言いつつ、原作漫画をもう一度読み返して、いよいよ旅の終着駅、劇場版『THE DARK SIDE OF DIMENSIONS』に挑みます。あの、最終回を漫画/アニメで二度浴びた身で言わせてほしいんですけど、“続き”ってやっていいんですか!?その真意を確かめるまで、もう間もなく。

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