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アニメ『機動警察パトレイバー』鑑賞録(5)【劇場版2・3】

 はたらくロボットのおまわりさんの日常を描く『機動警察パトレイバー』のアニメ版を観るマラソンも早5弾と相成りました。OVA、劇場版、TVアニメ、そのまたOVAを経て、再び銀幕に帰ってきたパトレイバー、特に2作目にはやられました。以下、感想文を提出いたします。

【機動警察パトレイバー2 the Movie】

1999年、東南アジア某国にて、PKOとして派遣された日本の陸自レイバー部隊が、現地ゲリラ部隊と接触。本部から応戦許可が得られなかった部隊は、一方的な攻撃を受けて壊滅した。ただ一人の生還者である柘植行人(つげ ゆきひと)は、その国の神の像を見つめていた。

2002年冬、横浜ベイブリッジにて爆破事件が発生。その爆撃が自衛隊の戦闘機から発射されたミサイルによるものと報道され、首都・東京は緊張状態に陥る。
同時期、特車二課の後藤と南雲の前に荒川なる男が現れ、柘植の捜索協力を依頼。一度はその要請を拒否する後藤だが、直後に自衛隊三沢基地所属機が発進し、幻の東京爆撃を演出するという事件が発生。これを受けて、警察と自衛隊の対立が明確となった。
刻々と進行していく、東京に演出された「戦争」という時間。なおも権力闘争と責任転嫁に追われる警察上層部を見限った後藤と南雲は、自らの手で事態の収拾に動くと決断。解散していたかつての第二小隊のメンバーを招集し、戦争を演出したテロリストの逮捕に挑む。

 公開は1993年、前回の劇場版に引き続き、監督・押井守、脚本・伊藤和典による社会派サスペンスドラマとしてのパトレイバーが帰ってきました。テーマは「戦争」「テロリズム」「平和」「都市論」とある通り、TVシリーズのような明快なロボットアニメとは真逆のコンセプトで製作されたことがわかります。

 本作の事件の首謀者、柘植行人は、我々日本人が抱く「平和」という空虚な言葉に揺さぶりを仕掛けます。かつての戦争があったからこそ生まれた秩序を享受しながら、その血濡れの過去には蓋をして、他国の戦争を見ては自国の平和を実感するリアル。他国と武力闘争をしていない今は平和だ、これからもきっとそんな日々が続くに違いない。

 そんな普遍的な無意識を、柘植は一発のミサイルで脆くも打ち砕いてみせました。警察と自衛隊という、国民の生命と安全を守る二大巨塔の対立、ひいては内乱の危険性を提示することで、我々の日常が常に戦場と隣り合わせであることを知らしめます。実際に戦場を体験した柘植のリアルと、何となくの平和を享受し続ける日本のリアル。そのギャップが巻き起こす異様な空気感が、作品世界を霧のように支配します。

 日本政府は事態悪化の責任を警察に押し付け、自衛隊の治安出動を決定。東京の至る所に戦車やレイバー、自衛隊員が配備されてゆきます。その風景が日常と同化する様を、写実的な作画で描いた中盤のシーンには、筆舌し難い緊迫感が宿っています。無邪気に自衛隊員に手を振る幼児と、笑顔で手を振りかえす自衛隊員。彼らの存在を気にも留めない出勤途中のサラリーマンたち。寒さに身をすくめ、虚空を見つめる隊員たち。彼らは何と、何のため戦うのか。その答えを得られぬまま、「戦争」という状態が東京を覆い尽くします。

 このように柘植が起こしたテロリズムは、作中の日本、映画を観る観客の双方の意識に語りかけ、我々の日常と戦争が切っても切り離せない関係であること、「平和」という言葉の定義の不確かさを物語ります。そのテーマを支えるのは、圧倒的なリアリズム。アニメ的なデフォルメを廃した作画や、主要キャストを除くアナウンサーや自衛官などの声に敢えて素人を起用するといった演出により、アニメでありながら現実を模写したかのような、独特の世界観を提示しました。

 現実と地続きの世界観を強調するためか、レイバーのアクションは冒頭と終盤のわずか二度に抑えられ、第二小隊の登場シーンもごくわずか。実質、後藤と南雲が主役のドラマが展開されます。柘植の目的や思想にいち早く辿り着いてしまうのは前劇場版同様に後藤であり、いつもの飄々とした態度も今作では控えめのシリアスなキャラクターに。一方、かつて柘植と許されぬ関係を持ってしまった南雲は複雑な心境の中、警察官としてのプライドを奮い立たせ柘植の確保に挑みます。

 柘植が剥ぎ取ろうとした“虚構の”平和。しかしそこに暮らす者にとってはそれが“現実”であり、それを守る警察官の使命を、二人は抱いたままでした。しかし、警察対自衛隊の組織対立が蔓延する中で、使命を全うするためには警察組織にはいられない、という矛盾に到達してしまいます。警察官のドラマを描いてきた『パトレイバー』シリーズの中でも臨界点に達した瞬間であり、これ以上の作品は望むべくもない、最終作の予感を漂わせます。

 最早レイバー無くしても成立するほどに独立した世界観とキャラクター。それが『パトレイバー』の映画版として正しいのか、評価は分かれるでしょう。事実、作り手の作家性が強すぎるあまり、キャラクターの個性が一歩下がった印象さえ受ける場面もあります。これまで観てきた作品群の中でも突出した異色作なのは言うまでもありません。それ故に間口が広く、本作単体で鑑賞しても、考えさせられる余地を多数含んでいます。「戦争と平和」を思考するアニメ『パト2』、名作の評判も納得の一作です。

【WXIII 機動警察パトレイバー】

東京湾岸付近で、レイバーの連続襲撃事件が発生。刑事の秦と久住が捜査を進める中、事件発生直前に墜落した輸送機の積荷に不審な点があることを突き止める。その真相を追う二人は、水上コンテナ基地での停電に遭遇。そこで彼らが目にしたのは、廃棄物13号と名付けられた異形の怪物だった―。

 先ほど「パト2は異色作」なんて知ったような事言いましたが、もっとすごいのがありました。第二小隊やイングラムは脇の脇へ追いやられ、物語の主人公は秦と久住という本作オリジナルキャラクター。そしてお題は「怪獣映画」です。初期OVAにも初代ゴジラパロディのエピソードがありましたが、こちらは『ゴジラVSビオランテ』を彷彿とさせる、人間の細胞を宿した哀しい異形の物語。

 本編はオーソドックスな怪獣映画の骨格をなぞり進行します。不可解な連続殺人、未確認生物との遭遇、謎めいた女科学者、生物の習性を活かした作戦、そして哀しい末路。人間に造られた生命体が辿る悲劇性を本作のそれも有しており、一人の母親の愛情が産みだした醜い生物にも、憐憫の気持ちを抱くようになります。

 とはいえ、あくまで人造生物モノの定形から一歩もはみ出さないプロットには別段新鮮味がなく、前2作にはあった作り手の熱量のようなものを、本作からは感じることは出来ませんでした。パトレイバーや第二小隊の取って付けたような扱いも虚しくさせ、最も出番の多い後藤隊長ですら、これまでと別人のように見えてしまいます。

 元は漫画版の1エピソードを映像化した作品(Wiki調べ)らしく、当然のことながら原作の主役は特車二課であったはず。わざわざ昭和75年というパラレルワールドを設定し『パト2』から解き放たれたかと思いきや、なぜこのような煮え切らない作品になってしまったのか。なんとも言及しがたい一作でした。

 ついに劇場版まで制覇してしまいました。当初はただの思いつきだった『パトレイバー』マラソンですが、初期OVAと劇場版2作はBD購入も視野に入れるほどに大好きになってしまいました。機会があれば漫画版や、短編『REBOOT』も観て、完全制覇を狙います。


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