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アラサーだけど髪の染め方がわからない。

 先日、髪を切った。その際、前掛け(なんて言うのアレ)に溜まった髪の毛を見たら、白髪まみれだった。

 10代の頃から白髪が生え始めており、何も気にせずアラサーを迎えてしまったが、すでに看過できない量の髪の毛が真っ白になっていた。家に帰って鏡を見返すと、自分の認識を遥かに超える本数が白く染まっている。身体は正直というか、なんだかんだストレスが積もり積もっていたらしい。

 仕事で人と会ったり、たまに遠征してネット上のお友達と会う機会もあったりして、いつまでも若々しくいたいと思うことも増えた。故に、今の白髪祭りは看過できない。ところが、わからないのである、白髪を染める方法が

 学校という社会において一定数は存在する「イケてない」側に属していたぼくにとって、髪を染めるという行為に興味を抱いたことはなかったし、染めたことをクラスメートに笑われるだろうという予想がつくくらいには、暗い青春を送ってきた。夏休みになると“陽”の者たちが茶髪や金髪にお色直しして、8月30日頃に慌てて黒に戻す様子を見て、「お金を払って自分の髪を痛めつけているなんて」と嘲笑するタイプがいるじゃないですか。あれが自分。あの年代特有の自意識を思い出すと、暴れだしたくなる。

 彼らは、校則に違反している。それでも、「髪を染めたことがある」という人生経験を手にしている。彼らがぼくと同じ立場に置かれても、仕事帰りに薬局によって白髪染めを買い風呂場でそれを実行するか、週末に美容院の予約を取るなどするだろう。一方ぼくは、それができない。自分で染めるなんてもってのほかだし、「美容院 白髪染め」で検索してその金額にビビり散らかし、キラキラしたSNSの投稿にひるむので精一杯だ。品行方正、生徒会役員を務め高い内申点を頂戴し、受験で楽をしてきたツケを、こうして支払うことになった。

 人生、生きているとこういうことが多いと思う。例えば私は、読書感想文がまったく苦ではないタイプの子どもだった。瑞々しい感性で思ったことを豊富な語彙で語るといったことは出来ずとも、なんとなく「大人が喜びそうな感想」を出力する能力に、長けていたからだ。いくつか賞はもらったし、先生にも褒められた。一方、読書感想文が書けずに居残りさせられていたやんちゃ坊主の同級生は、髪染めもピアスもタバコも一通り経験して、今はそれらを卒業して一児の父になった。中学生なのに高校生の彼氏がいたあの子も、モデルとして活躍した後に自分の夢を叶えたらしい。

 学校という狭い世界で、校則というレールを外れることなく、生きてきた。ちょっと身体と精神が弱いことを除けば、あまり手のかからない子だったと自負している。そうして先生の顔色ばかり窺ってきた人生を歩んでいる中で、同じ教室に集う同級生たちは教科書には載っていない経験をして、自分の世界を広げ、たくさんの選択肢の中から今の人生を歩んでいる。就職活動に行き詰った時、自分がいかに井の中の蛙であったことを知ったけれど、同じ気持ちに陥ったことは彼らもあるのだろうか。

 もちろん、彼らとて人生に悩み、選択し、後悔したこともあったろう。むしろ、努力して自分の道を切り開いている分、彼らの方が人間として格が高いと思う。彼らは仕事に、家庭に精一杯の情熱を傾けているだろう。そして何より、彼らは白髪染めで迷わないのだ。ぼくが白髪染めの方法を検索するだけで時間と脳のリソースを消費して、ただ何もしないのとは正反対に。

 こんなことなら、一度でいいから髪を染めてみればよかった。ちょっとしたヤンチャで同級生に笑われ、母親を心配させてみればよかった。そんなちっぽけなことに挑む度胸すら持ち合わせなかったイケてない男子は、今日も鏡を見てため息を吐くのだ。

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