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シャニマスのアニメ第3章を観たぜ。

(カバー画像はフォトセッションでの様子を撮影したもので、本編上映中のスクリーンを撮影したものではございません)

筆者注

 メリークリスマス。そしてハッピーニューイヤー。伝書鳩Pだ。

 昨年から続くシャニマスのアニメの劇場公開、ついに最終章を見届けた。全12話のTVシリーズの先行上映、劇場の大音響で観ることの醍醐味を感じさせてくれるライブシーンだとか、発表当初感じていた3DCGアニメになることへの拒否感が薄れていく感覚ともお別れで、今となっては4月に決まった地上波放送を待ちわびるばかりである。

 ここでは、第3章(9〜12話)の感想をぶっちゃけていく。正直、絶賛一辺倒にはならないし、個人的な苦言も言うと思う。シャニマスのことは愛しているし信頼もしているが、アニメの風呂敷の閉じ方には色々と言いたいことが頭の中で湧き上がる出来栄えであり、場末のnoteだからこそ独りよがりな感想をぶつけさせてほしい。無論ネタバレを含むため、未見の方はご留意いただきたい。

 前回までのシャニアニ―特に第2章(5〜8話)において、「カメラ」を用いてアイドルたちの日々を切り取る、という図式によって物語を進める点について、おれはシャニアニが正しく『シャニマス』の精神を受け継ぐ翻訳であると話した。我々が観ている物語やコミュは彼女たちの人生のほんの一欠片の瞬間であり、たとえ大きな敗北をしたとて人生は終わらず、その後も続いていくということを描くことで彼女たちの実在性を積み上げていく。ゲームではないアニメという媒体だからこそ深く描写することのできた、敗北を受け入れて前に進もうとするアイドルたちの姿に、強く胸を打たれたことは記憶に新しい。

 続く3章、アニメ終盤では、283プロ総勢16名が出演する1stライブが決まり、新曲「ツバサグラビティ」のパフォーマンスを仕上げていく過程が始めに描かれる。と同時に、シャニPは(まだ「シャイニーカラーズ」と名付けられる前の)16人のセンターとして真乃を指名し、真乃はその期待に応えるべく悩みながら奮闘する―というあらすじとなっている。

 アンティーカはメンバーそれぞれのピンの仕事が増え始める、という「ファン感謝祭」を思わせる程には名前が売れ始め、そして何よりも真乃はイルミネとして三人のデビューライブを果たしたばかりで、16人の真ん中を背負う形となる。各ユニットが各々のお仕事に追われる中で、全員が集まって練習できるのはわずか二日間。その時間を強化合宿とすべく『五色 爆発!合宿 クライマックス!』の学校を再び訪れるのは、一年目のシャニマスを知る者には嬉しいサプライズだったかもしれない。

 そうして幕を開ける1stライブ。実際に行われた『シャニマス』の1stライブ「FLY TO THE SHINY SKY」を再現した会場とセトリ(曲の順番は異なる)、オープニングのBGMが映画館に駆けつけたプロデューサーの思い出ボムに火を点け、彼女たちの大きな羽ばたきの瞬間に涙したと思う。尺の都合上ダイジェストになってしまうのが惜しいほどの再現度を誇るダンスシーンは圧巻だし、「果穂の振りがデカくて河野ひよりを感じる」とか、パフォーマンス後に汗で髪の毛は少し張り付くような表現にはとてつもない実在感があり、これは映画館という環境で観て体感する価値のあるシーンであったことは間違いない。

同時に、このアニメ化によって「希水しおちゃんが初めて経験する1stライブの景色」が果たされた、という意味でも、大きく感情を動かされる瞬間でもあった。

筆者余談

 そんなわけで、シャニアニには大いに泣かされた。「Spread the Wings」が特別な一曲として扱われること、ライブが終わって少し寂しさが募っていく瞬間に「Multicolored Sky」が流れるのも完璧すぎて、イントロで少し声を出してしまったほどだ。また、ED後のサプライズも「そこまでやる!?」ということで、劇場では決して小さくないどよめきが起こっていた。個人的にはついに担当ユニットが本格参戦するということで、“ここから”が正念場である。

 一方で、これまでのシャニアニ全体にも感じることではあったが、物語の起伏の乏しさ、盛り上がりの薄さについても、3章は払拭することは叶わなかった。真乃はセンターを務める重圧を自分で乗り越えるし、例の学校を訪れてもそこは合宿場としてしか機能せず、観客には何日後かも提示されないライブに向けて研鑽を重ねるのみである。

 何も、アイドルたちに喧嘩してほしいとかは思わないし、運営側のトラブルやミスをアイドルが現場でカバーする、といったシチュエーションが無かったことには感謝したいほどでもある。283プロ、ひいては『シャニマス』の地に足が着いた誠実さや、目標に向かって16人が一つの方向を見据えているからこその団結がライブで花咲かせる、その感動のための助走としての合宿シーンには、「きっと声優さんたちにもこんな時間があったんだろうな」と思わせるだけのエモーションが確かにあった。

 ただ、あくまでそれは「シャニマス一年目の再演」に留まるだけで、そこに情動を喚起させられるかは視聴者それぞれのコンテンツへの思い入れや情熱に依存してしまい、万人向けに薦めやすい作品にはどうしても仕上がらない。作品全体の感情の波がフラットゆえに、「何が面白いのか/泣けるのか」が共有され辛いのだ。されど、ここであえて障害や乗り越えるべき敵などを配置して劇的に盛り上げようとしても、アイドルたちの人生を「物語」にしてしまう―『ストーリー・ストーリー』における霧子の感性に反してしまう、というシャニマスでしか発生し得ない問題が浮上してしまい、解決策が見当たらない。

 物語の起伏の無さを象徴するのは、実質的な主役を務める櫻木真乃のドラマである。283プロ全員の真ん中を務める重責を感じ、灯織とめぐるの支えを受けながらも、成りたい自分の姿を歌詞の中から探り当てる。それ自体は感動的だし、もしかしたら関根瞳さんが実際に当時感じていたものが参照されているかもしれないと、そう感じてしまう瞬間はある。

 惜しむべきは、「センター」とはどんな役回りで、シャニPが何を期待して真乃に託したのか、の部分が現状の作品では伝わりきっていないことが、最大の問題ではないだろうか。具体的にセンターは何をすべきか、あるいは他のメンバーにはないライブでの役回りがあって、それを果たすために乗り越えるべき“真乃だけの課題”が挙げられるとか、そういった場面がないため真乃が感じている重圧を観客は察することしか出来ない。これでは、感情移入に波が生じてしまう。極端で意地悪な切り取り方をすれば、「ライブで最初に挨拶をすることが“センター”の努めなの?」という風に見えてしまったことを、ここで白状したい。

 きっと我々が観えていないところで『Catch The Shiny tale』のような出来事があって、真乃が真ん中にいる意味をイルミネの二人やシャニPが考え、色々な助言をしたのかもしれない。真乃が他のユニットのアイドルを見て自分に足りないモノを見据えたり、その尊敬の気持ちを高めながら、それでもセンターに指名された意味を真摯に受け止めたのかもしれない。そうした描かれていない「行間」を読み取れるのはシャニマスを追ってきた(それこそ“わざわざ”劇場に駆けつけるような)プロデューサーだけであって、「描かれていない」以上このアニメ内では完結しない外部からエモーションを取り出して感動しているに過ぎず、折角のクライマックスに「何かが欠けているような」という印象は最後まで拭い去ることは出来なかった。

 アニメと観客との間のディスコミュニケーションを象徴するもう一つの出来事が、「Spread the Wings!!」の追加である。現実の1stライブを模して、かつ16人で歌うのであればこの楽曲は外せない。だが、完成したアニメではやけに唐突に、それこそ「どこか見逃したか?」と一瞬困惑するほどにシャニPから突然提案され、彼女たちは満場一致?でセトリに加えるのである。

 「ツバサグラビティ」を16人で披露することがこのアニメのゴールでは無かったのか?というハシゴを外された思いもあるし、何よりStWの追加に対する「シャニマス最初の楽曲にして、16人で歌うべき全体曲だから」という文脈を読み取れるのもまた、既存の原作プレイヤーのみなのだ。泣きはすれど、この泣きそのものを共有できるのはシャニマスを熱心に追ってきた同士だけで、そうでない方と同じテンションで本作を語り合うことの難しさを感じる程に、事前の期待―原作のシナリオが膨大に積み重なってしまったがゆえの新規へのレコメンドの難しさを打開する入口になってくれるのでは?―が脆く崩れ去ってゆく。

 シャニアニを全て見届けて、後は地上波放送を待つのみ。この作品が今後どういう受け取り方をされるのか、本来クリエイター側が心配すべき部分を勝手に背負い込んでソワソワする自分の何様なんだ感を抑えつつ、先述の身勝手な事前の期待が叶わなかったことがシャニアニ全12話への個人的な総括になってしまい、なんだか悲しい。「まずはこのアニメを観て!気になったらシャニマスやってみて!」と言えれば嬉しかったけれど、本作の外の文脈を共有できない相手に、かつ週1放送によって連続性を失った状態でも興味の持続を担保できるとは思えない状況でこのアニメを薦めることの難しさに、ずっと惜しさを感じている。

 結果として、「自分はシャニマスの何がスキなのか」をもう一度見直すきっかけになったと思う。忙しさを言い訳に以前ほどenzaにログイン出来ていない現状から、少しずつ気持ちがシャニマスに揺り戻されるだけの情動があり、その一点においては救い足り得た今回のアニメ化。ただ、大好きな作品の映像化なればこそ、その際の取捨選択や重点の要所が食い違ってしまったことへの自分の見る目の無さ、あるいは身勝手な失望については、ここだけに吐き出させてほしい。少なくとも、16人のアイドルの輝きがこうして「作品」として残る意義を受け止めながら、本放送を待つことにしよう。

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