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実写版エヴァンゲリオン、あるいは『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

 「スイス・アーミー・マンの監督がA24とカンフー映画を撮って、主役がミシェル・ヨーで、その映画がアカデミーにめっちゃノミネートされてるよ」と言われても、またまたご冗談をha ha ha としか思っていなかった。思っていなかったのに、劇場を出る頃には、なんか泣いてた。エブ泣きした。なんで泣いているかは全く説明できないけれど、落涙した。スゲー面白い。面白いけど、スゲー変な映画だよ!でも俺、この映画のこと、嫌いになれないな……むしろ好きだナ……。

※以下、本作のネタバレを含みます。

 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、ただひたすらに異常だった。その言葉に尽きると思う。あらすじもシチュエーションも、そこから発生するアクションやドラッギーな映像も、全部全部が異常。映倫の指定が全年齢だったので油断していたらペニスバンドやアナルプラグが平気な顔して出てくるし、その活用法もあまりに凄まじいので発声上映だったら叫んでいたと思う。アクションのアイデアに関しても、S.S.ラージャマウリという現人神を超えられまいと常々思っていたのに、まさかの「肩車」が重要なシーンで使われたので思わず立ち上がりそうになり、敵の心を幸福で満たし再起不能にするクライマックスバトルは「人類補完計画って打撃技だったんだ」という意味不明な思考が頭をよぎり爆笑した。ちなみにこれらのリアクションにはすべて「泣き」が同時進行している。もう生理現象すらおかしくなってきた。

 合間合間の映像も凄まじい。マルチバースのあらゆる可能性にアクセスする様は『千年女優』らしいクラクラがあり、カオスが深刻になるにつれて映像の概念も破綻していく。まるでエヴァが『新世紀エヴァンゲリオン』と呼ばれていた頃のヤバさがあったし、目の前で起こっている事象のナンセンスさは『ボボボーボ・ボーボボ』が最も近いと思う。もしかしてA24には「人間はエヴァンゲリオン旧劇場版とボボボーボ・ボーボボとマトリックスとRRRを同時に摂取したらどうなるのだろう」とでも思いついたマッドな社員がいるんじゃなかろうか。即刻クビにするか、スポンジボブの制作チームに回したほうがいい。

真実(マジ)!?

 ただ、この映画がじんわりと染みるのは、これだけ無法を映像にしておきながら、マクロな一個人の納得に終始する物語だったから、とも思うのだ。そういう意味でもエヴァンゲリオンっぽいし、確定申告の時期に鑑賞するのも実に乙なものであった。

 そもそも、エンタメ大帝国ことMCUの影響で、“マルチバース”と聴けば複数の作品がクロスオーバーするための舞台設定として認識するように脳が出来上がっていた。だが、本来の意味ならば一つの選択から枝分かれした運命が同時に存在する、パラレルな概念であるところを本作は意識しており、かえって新鮮味を産んでいた。主人公エブリンが”別の人生を歩む自分”の記憶と能力をダウンロードすることで闘う設定はゲームっぽさがあるし、発動条件が「とにかく奇天烈なことをする」なので常にユーモアに満ちている。と同時に、エブリンは常に"あり得たかもしれない未来”を幻視することになり、問題だらけの今の人生を見つめ直すという課題と直視させられる。

 介護が必要な父、離婚を考えている夫、言うことを聞かずガールフレンドを作る娘。そして目の前には領収書の束と納税期限が迫っており、潰れかけのコインランドリーも奪われそうになっている。どうしようもなく手詰まりになってしまった中年女性に、"あり得たかもしれない未来”を見せつけるのは、こと残酷な仕打ちに感じられる。選択には後悔が付き物だが、選ばなかった結果を直視するのはよりそれが強まってしまう。

 また、娘ジョイにとっても、母の存在は重くて、苦しい。同性愛に理解がなく、仕事ばかりで対話もロクに出来ない母親とは、折り合いが良くなるはずもなく。だからこそ、マルチバースを介して母親と娘、お互いがそれぞれの「ラスボス」になる、という座組が、この映画の本質を物語っている。母エブリンにとっては選ばなかった未来には存在しないかもしれない娘を抱きしめられるか?娘ジョイにとっては自分の本心を暴力ではなく言葉で打ち明けられるか?そんなミニマムな問いをちょっとどうかと思うくらいキマった映像で表現しきってしまう、本作の異常な完成度に、アカデミーも動揺が止まらないらしい。

 なので、本作は「対話」の映画なのだ。マルチバースを軸に、各々がお互いの心の中を見て、自分の位置を見直す。夫はどの世界でも自分のことを愛してくれている。娘は理解してほしいと一人耐えている。じゃあ私は何ができる?と考え、悩み、決断する。倒すのではなく抱きしめることで、世界は、宇宙は、救われる。この結論に至るまでエヴァンゲリオンは27年を費やし、エブエブは一作の映画で全部総括してみせた。

 そもそも、マルチバースを幻視せずとも、私たちの日常はカオス(混沌)で不条理なのだ。領収書と請求書はどれだけ整理しても机は片付かないし、納税の手続きは煩雑だし、人間関係や仕事は上手くいかない。そんな現実に嫌気が差して、何もかも(Everythingを)投げ出してしまいたくなることもある。ただ、混沌の中にも嬉しかったことや喜びの時間が確かにあって、それらが全て「他者を愛する」という気持ちに紐付いているんだよ、というメッセージはその広大な世界観とはチグハグなほどに小さく普遍的で、しかしそれが難しいということを真正面から描いている。難しいからこそ、相互理解に向けて一歩踏み出そうとする人間の姿が、愚かしくとも愛おしい。私がこの映画を『エヴァンゲリオン』と絡めて語らずにはいられないのは、心を傷だらけにしながらも他者の温もりを求め続けた、第3新東京市に生きる彼らの姿を思い出してしまうからだ。

 人生は得てしてカオスなものである。そのことを受け入れて、傷つきながらも誰かと手を取って歩く道を模索する。誰かが愛してくれているという実感は、何にも代えがたいものだし、それがないと私たちは"ベーグル”に囚われてしまう。人の心を補完するのはやはり"”なんだねと、広告代理店じみた感想を自分の心に刻みながら、この映画のことを振り返る。モザイクで隠れたペ○スとかやたら長いゲロとか犬の酷使とかのせいで情操教育には悪い映画なんだけど(なんで全年齢????)、本作が描き出した景色の美しさや愛おしさのことは時折思い出し、LSDじみた映像にトリップしてゲラゲラ笑い泣きしたいと思う。オールタイム・ベスト確定です。大好き。

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