命の灯を見守る仕事

私の本業の看護師の仕事について。


患者さんが亡くなるときの話ですが、
血圧や手足の循環状態、呼吸を見て
医学的に「そろそろかもしれないな」と思うときと
そうじゃないときがあります。

そうじゃないときというのが、患者さんの命の灯が消えそうになっているとき。
「なんとなく」の勘です。
病気を患っているので急変の可能性はもちろんあり
高齢であるほど、昨日まで笑顔でリハビリを受けてご飯をモリモリ食べていた方が
脳梗塞を起こして集中治療室に行くことになる、ということも
普通にありえることです。

しかし血圧も、検査値も、特別変化があったわけではなく
「あ・・・この人」と思う瞬間があるのです。

生命力が弱まっているというか・・・
「なんか今日、すごく寂しそうな表情をしていたな」
「こんなに声が小さかったっけ」
そんな風に、目に見えないけど、主観的でなんとなく感じる印象。
「次に出勤したときに、もしかすると会えないかもしれない」という一瞬通り過ぎる予感。
あくまでも主観ですが、そんなことを感じる看護師さんは多いんじゃないかなと思います。

採血の数値、心電図の波形、レントゲン写真。
血圧、酸素飽和度、呼吸回数。
すべて目に見えて、裏付けになるので
「看護は科学」でもあります。
でも、それらすべてでは語れない命の終わり。
いつ死を迎えるかということだけは、本当に予想がつかないものだなと
働いていると改めて感じます。

ふわっと、ゆるりと、
気球に乗って、遠く高いところに上っていく。
「やっと楽になれた~」と
「ちょっと急だけど、行くことにしたよ」
そういう声が聞こえてきそうな命の終わりを
たくさん見てきました。

その直前を振り返ると、
そういえば寂しそうな顔をしていたな、とか
あの日、何か言いかけた気がしたけど、何だったのかな、とか
珍しくご飯を食べるのが遅かったな、とか
最近だんだん猫背になっていたな、とか
ありありと思い出されるのです。
実はご本人がいちばんその時が来るのを、分かっているのかもしれません。

私は、採血も苦手で、仕事も遅いけれど、
勉強不足で分からないこともまだまだあるけど、

私が気づく「なんとなく」があるなら
それに気づいたとき、患者さんに
「最近、調子はいかがですか?」
「困ったことはありませんか。」
「いつでも看護師がいますから、何でもおっしゃってください」
と声をかけてみたいと思います。
あるいは何も言わなくても、命の灯をただ見守っていようと思います。

灯が消えるとき
病も、モニターも、点滴も、痛みも、寂しさも置いて
気球に乗って高く遠く上っていき、微笑んでいることを願って。

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