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育休復帰

育休復帰後、1年ぶりの仕事。


出勤途中に職場から電話があり
勤務前に567の抗原検査をして下さい、と言われた。

まだそんなことやってんのかい、と思いながら検査結果が出るまでジリジリ暑い空気の中外に座っていた(座らされていた)。

これでも十分に不意打ちだった。


無事、陰性だった。

上司は挨拶もそこそこに忙しそうで
「熱はない?症状もないね」と

ん?という質問だったが、それだけ確認され仕事に戻っていった。


部長に至っては「おかえりなさい。まぁね、慣れるまではしばらくパートでね、夜勤も子供が小さいうちはね」と、時短パートで復帰した私に何か牽制でもするような口ぶりだった。

「ずっとパートです。夜勤ももうしないです。」と言うと
「まぁおいおいね」と言われた。

おいおいってなんだ、こっちがオイオイって言いたいぜ。

部長が引き下がらなかったので、
「体調も悪かったので」と言うと
「体調って、産後?」と。

「産後もそうですね、お産が大変だったので。救急車で運ばれたりもしたし血圧も高かったんですよ。夜勤も影響あったかなと思ってます。もう無理はしないようにします」
と伝えた。

「そうなんだ、まぁぼちぼちね」(もう一度 おいおいね、だったかな?)

全然伝わった感じはしないし、緊張して100%は伝えられた感じしないけど、まぁいいや。これが今日の私の精一杯だ。



部署でも部署外でも、
「人がいない」と今日だけで何人から何十回聞いただろう。

人がいないという理由で、パートだったがフルタイムと同じ量の仕事や責務を課せられて仕方なくフルタイムに変更した人。

人がいないと自虐ネタのように言う人。

慢性的な人員不足でみんなげっそりしているよ、と話す人。


つい、その渦に巻かれて話を聞いてしまっていたが

改めて「人がいない」

それってビリーフでは?と思った。


ビリーフリセット流の基礎から考えると、

ないと思うから
ない世界を作り出す
あるものすら見えない

ナイナイ眼鏡を外したら、
人はちゃんといるんだよね。

どうしてそういうビリーフを
多くのスタッフが抱えているんだろう?

でも、これは私の職場に限らず病院、看護、介護、医療界全体にある空気感であり
(もちろんほかの界隈でも)

圧倒的に足りない感じ、
たくさんの課題を抱え、解決が難しい感じ
それをなんとか良い方向に
(というかこれ以上絶対に悪くならないように)
がんばり続けなければいけない
止まってはいけないし止まれない

その先には失望、諦め、挫折、燃え尽き


そして結局「ない」にたどり着く
壮大過ぎるけれど、そんなふうに思えた。

…というふうに私が見えるのは

やっぱり私に「ない」感じが根強いからなのかもしれない。


他人のビリーフを外して、
自分がどう見えたか振り返ってみると

うーん、今日のところは私

「意外と人足りてるじゃん」
「なんとかなってるじゃん」
「できてるじゃん」
「きれいじゃん」
「意外と落ち着いてる」
「まあまあ楽しいじゃん」

というのが正直な感想だった。


でも「ナイネー」「タイヘンダー」と共有できない感覚は寂しかった。
人と私の間に隔たりがみえた。

仕方ない。
あの人もこの人も、私と見える世界が違うのだ。
でも違ってていいのだ。
それに私のような平和ボケも、いていいのだ。

洗濯機のように、
渦に入れば一緒にグルングルン回るけれど

自分に戻る場所をちゃんと作って
自分を取り戻せますように。

私、お疲れ様〜!


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