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沈黙の街

―2020年7月、ストックホルム
 
顔をあげればとんがり帽子。
頭を垂れれば石畳。
 
ここはガムラスタン。
式典でもしているのだろうか、王宮からトランペットの音が響いてくる。
スウェーデンの首都、ストックホルムのど真ん中。赤や黄色の石造りの建物が並ぶ、美しい街だ。浅緑の尖った屋根の教会が街を見下ろし、少し歩けば海がある。
スウェーデンに生まれ、スウェーデンに育った。でも、私は「みんな」とは違う。
私の両親は日本人で、スウェーデン語は話せない。家ではお箸を使うし、イースターも祝わない。夕飯にスウェーデン料理が出てくることもないし、夏にザリガニを食べることもない。でも、なんてことはない。
私はスクールランチで出てくるヘンテコなじゃがいも料理よりも、ママの肉じゃがの方が好きだ。
観光客賑わうガムラスタンで、私がスウェーデンで育ったことに気づく人は、まずいない。カフェの店員も、雑貨屋の店主も当然のように英語で話しかけてくる。まるで、観光客を歓迎するように。
昔は意地を張って、スウェーデン語で返して
いたけれど、最近それもやめた。
 
黒髪で、黒い瞳の私は、ここでは外国人だ。

でもこの夏、この街に観光客はいない。世界中に広がったウイルスのせいで、国境を超えてこの国に遊びにくる人はいなくなった。
いつも通りお店に入っても、みんな私にスウェーデン語で話しかけてくる。カフェの店員も、雑貨屋の店主も。
観光客のいないこの街は、不気味なほど静かだ。
街を歩きながら、何かに似ている、と思った。なかなか思い出せないまま通りを二つ過ぎて、古びた階段を見た時、あっと思った。「冬のガムラスタンだ。」
友達と真冬に肝試しをした時、黒ずくめのエマがここに隠れていて、ひどく驚いたのを覚えている。
あの時も、街は静まり返っていた。暗くて凍てつくような冬のスウェーデンに来る観光客は、ほとんどいない。
「街が冬眠したのかもな。」そう思った。

今日はやけに暑い。
ギターを背負った背中が嫌に汗ばんできて、駅の横の屋台でアイスを買った。
彫りの深い店の人が「Ha det så bra!(良い一日を)」と言ってくれた。浅黒い肌の彼も、きっとルーツはスウェーデンではない。でも、綺麗なスウェーデン語だった。
アイスを舐めながらスルッセン駅を通り過ぎる。坂を登ると、一気に眺めが開けた。水の上にたたずむ美しい都。さっきあんなに近くにあったとんがり帽子がとっても小さく見える。

私は日本人だ。でも、日本を知らない。
日本の学校も知らない。日本人の友達もいない。日本の流行も、文化も。何も知らない。
私が知っているのは言葉だけ。ただ、それだけだ。

ギターのケースを開く。石垣に腰をかけて、街に足を投げ出す。
私は何者なんだろうな。そんな思いが頭をよぎる。
もう一つの人生があったとしたら、どうだろうか。日本で生活する私は、どんな人生を送っただろうか。
この街の「冬眠」が溶けたら、私は外国人に戻るのだろうか。
吐き出したため息を、ゆっくりと吸いこんだ。
 

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