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2021.08.30

2021,08.27
真夏の炎天下の中草むしりをした、滝のように流れる汗と身体の節々が悲鳴をあげていた、学生の頃は白球を追いかける球児で丸一日中暗くなるまで野球をする生活が毎年の夏の過ごし方で(それも小学4年生から高校3年生までずっと)外で過ごすことなんて慣れたもので力強くグラウンドを駆け抜けていた。しかしそれは昔の話であって今年で28歳、野球生活を終えて10年は経つ。よくもう若くないという言葉を使うけれど、自分の体が思った以上に動かなかったことに驚いた。熱中症の軽症状に見舞われるし、足腰は痛いし、鍛えてきていた身体は今じゃみるに耐えなくなっている。

ミュージシャンの活動はアスリートのような側面があるけどここ最近の僕の生活は一昨年からデスクワークがほぼ中心になっていた。気が向いた時に運動などをしていた時期もあったが創作の時間に追われて完全に生活リズムを崩した。もちろん昨今の状況を考えたら僕たちミュージシャンは従来通りの活動をかなり制限されて身体を酷使するライブワークは極めて少なくなった。年間200本近くライブをしていた自分ですら今は10本ほどのライブをこなすに留まっている。そんな中で新しい生活を昨年から強いられてよく言えばまだまだ慣れないながらも順応しようと努めている。悪く言えば迷走している状況で自分自身がとても歯痒い。しかし新しい世界に切り替わったことよりこの全世界が立ち止まったこの時代に色々なものを見直した結果僕は今の生活を選んだ。

10代の頃見えていた世界は今じゃもう見えない、あの頃は今見えていた世界は見えなかった。そうやって昔を懐かしむことも浸ることも変わらずにいることも選べたはずなのにどうして今を選んだのかと言われると間違いなく僕等は歳をとっていっているからだ。それは老いたともとらえれるけど、もっと言えば心の中が成熟してきたと感じているのだ。不安定で希望が曖昧でそれでいて実直に信じて善も悪も目の前の光景を自分の解釈だけで吐き出してきた僕が、今一度立ち止まり0からはじめたことによってみえてきた他者との繋がりや、この社会で繋がっている生きていくということ、その中で音楽がどのような立ち位置で人々の心にあるのか。それが今はとても重要で、それは幾多も人を傷つけてきて傷ついてきて期待をしたり期待を裏切ったり生きてきた中で知ったことを経た今だから思うことだ。

変化を恐れはじめたのはいつからか思い出せないけれど、変わることにとても力が必要になってきたと思う。以前のように今日明日で変えてみようとかそういう失敗を恐れない勇敢さは心苦しいけどそんな余裕はない。覚悟を決めてという局面が増えたと思う。それでも失敗することを恐れず僕は音楽を続ける道を模索している。(失敗はもうしたくないけれど)

とは言え焦りばかりが募ると一行も文章が書けなくなってしまうし読めなくなってしまう。心が折れたと思った瞬間も前と比べたら今の方が全然多い。どれだけ準備をしていたって、届きはしないんじゃないかと不安に駆られる。走り出す前、競技が始まる前のあの不安がずっと続いている。


話は戻るけれど、そんな中での草むしりだった。知人のご実家の草むしりをしにいく用事がひょんなことからできて作業用の格好で炎天下郊外の町外れのご自宅に伺ったのだった。

およそ御老体には過酷なほど生えた草は、思った以上に茂っていた、誰かの手を借りないとそのうち荒廃していくのだと予想がつくほどに。草木から発せられる独特な匂いと土の匂いがした、子供の頃に毎日触れていた匂いだ。生き物たちがいて、自然の中に沢山の本来の姿や匂いを発する者たちと再会した。

汗だくになりながら休憩をとった、その家の持ち主である婦人から麦茶をいただいた。喉を通り過ぎる水分がこの夏一番美味しい飲み物に感じて思わず何倍もいただいた。日陰にあるベンチに腰掛け涼しい風が通り過ぎた、火照った身体に触れるたびに心地よかった。太陽は確実に僕の体力を奪っていったはずなのになぜかとても心は元気でいた。久々に飛び交う生まれ故郷の方言に思わず自分が方言混じりに会話していることに気づいた。

僕は今も生きている、泥遊びをしていたあの頃からこの街で育って触れてきたものと共に今の自分が立っている。自分自身のルーツや生活を営んできたうえで語り継がれ刷り込まれてきた遺伝子達が自分を作っている。ずっとなにか別物でいなければいけないと思っていた、ずっと変人や奇人のようなものでいなければ創作は続けられないと思っていた。そうはついになれなかった。けれど僕は音楽から離れているこの場所で僕を知っていっている。

生命の営み、決して絵空事ばかり言えない現実、生きている人間が共有している部分。結局自分が音楽にしたいことはそういうことなのかもしれない。他者を知って、そこに愛し合うことだったり思い合うことを知っている以上僕はそこを抜きにして音楽を作れない気がした。生き続けてきた今、そこがより浮き彫りでてきた気がした。流行り廃りのあるこの世界でずっと変わらず普遍的なものが口ずさんで語り継がれるような気がした。生活に追われていると僕たちは本当に大事なこととか、些細な幸せな事とか、美しいと思えたこととか簡単に見失ってしまうものだから忘れないようにカタチにして残して人の心に残っていくのだ。

すべての草むしりを終えて、無意味だと思っていたこの日を最初っから神様が仕掛けてくれた日になぜだか思えた。

2021年僕にとってこの街での最大の夏の思い出となった。夏が終わる、季節もまた変わる、表情をまた変えるように人が奥底で欲していくものが変わる。それを見逃さないように歌にする、それの繰り返しだと思うけれど今の僕にとってそうある理由をみつけれたことが今年の夏の大きな収穫だった。

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へとへとな身体で家に帰り着くと僕宛に手紙が届いていた、ある人から届いた手紙。

でもその話は次のお話で。



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