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Gibson J-45(前編)

共に旅をしてきた僕のギターとの出逢いと最期を綴りました。
約6,500文字とかなり長文になっておりますので前編と後編にわけております。お時間がある際にゆっくり読み進めてみてください



19歳のある時、僕は生まれて初めてアコースティックギターを買った。

Headway J-45のコピーモデルでカラーはブラック。BUMP OF CHICKENが大好きで、ただ本物は350.000円くらいするもんで同じフォルムで同じ色のものを買った。音なんてどうでも良かった、弾き語りをはじめた時の話。

最新曲(実際にJ-45でRECした曲たち)


僕の認識なんだけど、アコースティックギターとエレキギターはまったくの別物だ。鳴らし方も鳴かせ方も違う。奏者にしかわからない絶妙に気持ちいい音がだせる微妙なニュアンスがある。

それも知らず僕はガシャガシャと弾いていた、今思えばただ音がでていたにすぎない、ふくよかさはない金切り声みたいな音だ。

そんな愛用品がある時、すごく悔しい屈辱的なことがあって叩きつけてしまった、20歳の夏の話だった。内容は書きたくない、ただすごく悔しくてその場で怒りにまかせて。バコッと凹んで割れた。そしてその場にいた当時大尊敬していた人にそのままぶん殴られて店の外に連れ出されて怒られた。「お前が命かけてやってるって簡単に言ってた商売道具をそんな扱いを絶対にするな」と。その人は料理人で、包丁を例えにモノには特別な感情が宿るんだぜとスピリチュアルな話をしてくれた。

雑に扱ったり、適当に扱えば自分に返ってくる。逆にお前が丁寧に愛していけばそれも返ってくる。小学生に教えるような事をすごく丁寧に教えられて自分がしたことに罪悪感を覚えた。ほどなくしてメインギターを失った僕はぼろぼろの友達から貰った骨董品(ビンテージと呼ぶにはふさわしくない)を使うはめになった。

それでもライブは増えていく、やらないといけないことも、曲も作らないといけない事も。ガムシャラだった日々は何一つ成果を残す事なくすぎていった、ただ一つの事を除いて。

とある日、地元久留米の先輩に呼び出されて路上に出向いた。あの頃西鉄久留米地下道と呼ばれる駐輪場前の地下道が路上ミュージシャンの拠点だった。そこで待っていたのは頑丈なハードケースを抱え煙草を吹かしていた先輩だった

「正直お前はすぐ音楽辞めると思いよったけど、お前がそこまで熱を注ぐちゃ思ってなかった、勘違いすんな、これをお前に渡す事を。渡すことに理由がある事を、今沢山弾いてくれる奴に弾いてほしい、だからこれを貸してやる」

そう言われてハードケースから1本のギターが取り出された、それがGibson J-45との出会いだった。

後編へ続く⬇︎


おまけ記事⇩


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