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黄金色の町

メロディをひとつ唇から溢れ落とした時のことだ。周りの雑踏は消え、灯火くらいの明るさで照らされたあの静寂が始まった。歳を重ねるにつれ覆い隠していた本音と立派に組み上げた建前がみるみるうちに紐解かれていく。長い時間をかけた抑圧は怒りや悲しみではなくこの静寂を生み出すほど繊細に解き放たれ、それでいて柔らかく暖かいものだった。

ユイコさんとの出会いはよく覚えていない、その名前を知ったのはLIVE HOUSE Queblickが主催する地元バンドのコンピレーションアルバムに収録されていた楽曲『デパスも効かない』だった。当時ユイコさんはパノラマメロウというバンドをしていた。

コンピを聴いて突き動かされQueblickにライブを見に行った。
実のところ音源がいいバンドはライブがあんまりピンとこなかったり、歌とかもレコーディングで継ぎ接ぎでつくったものだから全然歌えていなかったりと少しがっかりしてしまうことも多々あったりするからこれから演奏が始まるバンドがどのような音を鳴らすのか想像もできなかった。

ギターのハウリングから始まったその30分はあっという間の出来事だった。
あんなに素晴らしい音源を軽く超えてきた、この人達はライブバンドなんだということを確信した。気持ちよくメロディという海で泳ぐユイコさん、共鳴するギターのカズキ。それに呼応するDrのタカヒロさん。なぜか早口言葉でバンド名を言わされているBa.隆之さん。全体的に内容は重めの詩が多かった中でその日の締めの曲が『It beautiful day』という曲で30分の演奏が終わった。

書きながら思い出したけど初めてお話したのはそうだこのライブを見たあとに駆け込んだ物販だった。ライブとは一転してすごく笑顔の栄える人で優しくて少年みたいな明るさを持っていた人だった。

勝手なイメージだけどユイコさんは女の子っという感じより、少年みたいな自由で冒険心溢れる人という印象を当時もっていた。まだユイコさんが25歳とか26歳のときの話。

それから何度かライブハウスで言葉を交わしたり、一度佐賀で共演させてもらったり。いつの間にかぼくの中で『歌声』という生身の人間がくりだす楽器みたいなもので感動させるスーパーマンみたいなヒーローになっていた。

そんなユイコさんと出会って4~5年経つ僕とユイコさんだけど、過去に何度かイベントのお誘いをしたりなんとか弾き語りで共演できないかなとお声がけさせていただいてたのだけど、当時のユイコさんは『パノラマメロウのユイコ』として誇りをもって音楽に取り組んでいたのでソロでの出演は機会に恵まれなかった。(毎度断られていたのだけど、すごく丁寧な文章でなぜソロで出演できないのか連絡を返していただいていてその度にこの人の音楽との付き合い方に敬意も親しみも持っていた。)

約1年前にパノラマメロウが活動休止をしてその半年ほぼライブをしなくなったユイコさんが風の噂でもう音楽はしないし人前で歌うこともないと聞いてすごくからっぽになってしまうような寂しさと悲しさが身体に滞留して残されたCDを聴く生活になっていた。いつ聴いてもあの歌声は柔らかいし体温くらいの暖かさがあった。2018年10月に活動を止めていたユイコさんが動き始めたのは7月の夏のことだった、突如ソロの弾き語りとして活動が再会した、再会してる最中は絶賛日本のあちこちを旅しまわっていたからすぐにはライブを見に行くことができなかった、でもその喜報に胸を高鳴らせていた。伝わるかはわからないけど、マイヒーローの帰還だった。

そんなある日大阪にいるももか氏(日本人形みたいなおかっぱの黒魔術師)からあるライブのオファーがきた、それは大阪でのユイコさんとの共演だった。

すぐに連日関西近郊でライブをできないかユイコさんにオファーした、もうそれはうたをうたう事をもっと知りたいし教わりたかったのと単純にそれが実現したら楽しくなるんだろうなって思っていたから。連絡の返信はすぐに『OK』と返事が返ってきた。前置きが長くなったけれど僕とゆいこさんの旅はこうやって始まった。


■2019.01.19 1日目  福岡⇒大阪
待ち合わせは博多駅、昼の12:00頃に集合して新幹線で移動を開始した。
ユイコさんは今回のツアーで初めて関西で歌をうたうらしく、普段から関西に行かせてもらっている自分がしっかりアテンドしなくてはと気をはっていた。さながら国の重要人物を警護するSP、外の世界を知らない姫を危険からお守りする従者、水戸黄門の側で使える角さん助さんといった具合でユイコさんにもしものことがないように忠実なる旅の案内人として歩き始めた。いっぽうその頃ユイコさんは前日から楽しみすぎてカバンにお菓子を詰め込んで『大人だから700円まででお菓子おさめてきたの』と修学旅行に行く学生のような楽しみかたをしていて、なんて可愛い生き物なんだろう。その存在に尊くなった、ユイコさんをここまで育てていただいたご両親に感謝としか言えない。車内では活動休止してからこれまでのことを聞いたり僕が昨年日本中をいったりきたりしていた旅の話をしたりお互いの近況報告からはじまり、色恋の相談だったり、好きな音楽とか話をしていたらあっという間に大阪についた。こんなに楽しい移動をしたのは正直初めてだった。

ももか氏と合流、前日冗談めかしに『看板もって新大阪駅で待っていて』と伝えたら本当に立っていた。少しの観光をしてこの日の会場の歌う魚に着いた。数年ぶりの歌う魚は変わらず長方形の居心地の良いスペースだった。この日を企画したももか氏がどれだけの苦労と気疲れと愛で人々を集結させてくれたのか痛いほどわかる、近年イベンターという存在が激減した中でももか氏は唯一継続的に好きを追求している一人であった。巡り合わせてくれたのは昔から続く古い縁で、そうしてこうやって僕はユイコさんの歌を聴いている。冗談みたいに電車の中で『It beautiful day』が好きだということを話していたらこの日の最後の歌の〆が『It beautiful day』だった。そう出会いの日以来ライブでは聴いていなかったあの大好きな曲が会場に広がった。もうポロポロと勝手に溢れてくるものだから困った。ここにきてやっと実感した。ユイコさんおかえりなさい、やっぱりあなたの歌が世の中にどんなカタチや姿、大きさをしていてもいいから鳴り響く世界であってほしいと僕は静かに想い願った。

■2019.01.20  2日目  大阪滞在

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前日色々なところに大荷物を抱え歩き回ったのもあったのか、はたまた自分自身が1ヶ月ぶりにライブをしたからなのか珍しくぐっすり人の家で眠り目が覚めたらお昼になっていた。僕とユイコさんはももか氏が恋人と住んでいるご自宅に滞在させてもらって1晩すごした。それからご近所を探索してお昼を済ませて、僕は所要があり先に会場に向かった。

この日の会場はcafe.bar&music アトリというお店で、昨日の会場とはまるっきり変わってキャパも小さく音もアンプラグドでやる小さなお店だ。それゆえに限られた音楽好きのお客さんだけで埋まって、最小限の世界で音楽を鳴らすことができる、その距離感は演奏者と音楽とお客さんを精神的にも物理的にも近くしてくれる。

僕はこの場所が好きだ、なんといってもこの場所は人と人が出会って紡いでくれた場所で昨年の放浪中に偶然にも知り合った京都のご意見番のノリさんが企画した『ノリフェス』というイベントに出演してたまたま共演した店主のジョンジョンさんが僕の演奏をみて気に入ってくれてこの場所でライブをさせてもらったのがきっかけ。以来ライブのオフで大阪に滞在している時はここにコーヒーを飲みに来たり遊びにきている。

ジョンジョンさんはこの日程をこじあけてくれたらしく前日は岡山でのライブを終えこの日は本来おやすみにするつもりだったはずが連絡が来て気合で店開けると言っていただいてこの日は実現した。店主も最高に音楽と人が好きでやっているお店で歌わせていただけるのは歌い手冥利に尽きるわけで、ただひたすらにこの日が来るのを楽しみにしていた。
共演はfrom京都『女の子のマーチ』gt/voのsskさん。

不思議な日で、僕は以前福岡でこのMVが撮影された福岡のライブに遊びに来ていた。そこからまたまた京都のご意見番ノリさんと共に寿司屋に行った際にsskさんも同席されそこで盛り上がり寿司で杯を交わしていたのだけれどまさかこの日アトリで再会するなんて思わなかった。

開演。
続々とお客さんが集まり、小さなお店はあっという間にパンパンになった。
この日は僕が最初の音を鳴らした。歌を歌っている時昨年を思い返していた、辛くて寂しくて、行く宛も帰る場所もない、けど止まることも望んでいないからただ朦朧と歩き続けていた日々。空腹と寒さに凍えながらもその日生きることがやっとだったあの日々の中でやっと見つけた小さな幸福が、いつか消えてしまうものだと怯えていた。でもあの時に空腹で死にかけていた時にジョンジョンさんが作ってくれたあったかいご飯も、sskさんのお姉ちゃんみたいな陽だまりの優しさも、色々な縁を結んでくれたのりさん。全部歩いてきた道のりに自分が出会ったものなんだと噛み締めていたら嬉しくて嬉しくって歌い尽くした。

二番手sskさんが『春の匂いがした』を歌を歌い終わった時目頭が熱くなった、だって本当に歌詞がそのまんまで取り残されそうで怯えていた日々があったから。

「春の匂いがした」/ 女の子のマーチ

寒さの中で目を閉じて、耳を塞いで泳いだまま、
切りつけるマイナスの風の中に、
優しさを見つけてしまった。

ざわめいた桃色の空気が、
弱いだけの心の奥に傷をつける。

春の匂いがして僕はこわくなった。
取り残された冬の街で、ただ空を見上げていた。

寒さの中で目を閉じて、優しくなんてしないで、
痛いから。

ざわめいた桃色の空気が、
弱いだけの心の中に傷をつけていく。

春の匂いがして僕はこわくなった。
おぼつかない足取りのまま、前に進めないで立ち眩む。

春の匂いがして、
「辛いな」ってつぶやいて、笑うことを少しやめた。
大丈夫の言葉も、声も、空々しくて仕方ないや。

柔らかな風も声も、平気な嘘も、
ここで立ち尽くすには十分すぎる理由で、
柔らかな陽だまりはこの胸を辛くさせる。
まだ冬の中に立っていたいんだよ。

ユイコさんがトリで歌い始めた、その静寂と緩やかな幸福が溢れるこの空間が、このアトリは宇宙にぽつんと浮かんだ惑星みたいで。世界から少しの時間だけ分離された空間な気がしてなんでか世界で今一番幸せな場所のような気がした。

ユイコさんのライブを見ていて不思議な気持ちになった、今自分が尊敬するアーティストが故郷から遠く離れたこの大好きな街の大好きな人々が集っている大好きな場所で歌を聴いている。蒔いてきた種が芽をだし一本の木へと姿を変えたような気がして、時間はかかったけどこんな素敵な夜を作れたのは奇跡みたいだな、大変なことが多かったし、きっとこの夜の2~3時間程の時間の為に僕等音楽家はすり減る気持ちをたまにしながら、へとへとになりながらでもこういう日を知っているから音楽を辞められないんだろうなと思った。この夜僕たちは美味しいご飯とお酒と終始笑いっぱなしで誰も不幸にもならず笑顔で幸福な夜をすごした。


■2019.01.21 最終日 大阪⇒名古屋
近鉄なんば駅から名古屋までは乗り換えせずに1本で行ける、僕は昨晩所要で扇町para-diceにあのあと行ってそのまま泊まっていたので駅で合流することになっていた。少し早めの移動になるので起きれるか不安だったけれどなんとか早起きできたからユイコさんに起きれましたと連絡したら『すごい!えらい!総理大臣だね!』って返信が帰ってきて日本の首相になれちゃうんだからすごい、ユイコさんは褒め上手。
2時間30分ほどの時間、車内でユイコさんはサンドイッチとおにぎりをぺろっとたいらげ『名古屋で味噌カツ食べる』と意気込みを語っていた。ユイコさんは時に少年がウルトラマンになりたい!くらいの気持ちでお話してくれるから素敵、その夢叶って欲しい。

昨日の余韻が凄まじく、まだあのちいさな幸せの惑星にいた事を思い返しながら移動の時間を費やした。その道中僕は改めてユイコさんに今の考えを打ち明けてみた。するとユイコさんが少しの間音楽から離れていた時期のことを話てくれた。ユイコさんって、天真爛漫で少年の心を持った女の子だけど、それでも年齢を重ねることや時間が経過していくと共に変わりゆくことに触れている。この人はまたひとつ違う大切なものを見つけた大人の女性でもあった。

正直このツアーで当初から抱いていたイメージから少し印象が変わってきていた。大雨が降る日、自分のことは後回しでどんだけ自分が傷ついても濡れても雨が止むまで傘をさして、共に雨止みを待っていたユイコさんが今は雨宿りできるような場所でアナタを迎える為に待っている。それは一見距離を置いているように見えるようで、本当のよりどころが何かを知っているからできることだ。そこに佇むというのは色々な経験や感覚がないとできない。ユイコさんの中の少年が無防備に笑顔で笑っている、目の前にいるユイコさんは歳月を重ね世界の仕組みを理解して適切な距離感を知っていて大切なものの触り方を知る女性だ。あの頃大切にしていたあの宝物を大切に持ち続けることによって進めない『大人になる事』を理解も納得もしてしまった以上、ユイコさんは少しの間休憩をする必要があったんだと思う。それ故以前にも増して、音楽に深みがある。あんな天性の歌声の持ち主でも、様々などうしようもない葛藤や苦労にぶつかって、一番信仰していたものの在り方が変わっていって、ユイコさんだってまだまだ長い旅路の途中で、これから様々な価値観や見えてくる世界が変わってゆくのだと思うけど僕は改めてこの人の愛情深くも繊細な柔らかさがどう変化を遂げていくのか見たいと思った。

そうこうしているうちに着いた名古屋でユイコさんが味噌煮込みカツ鍋を食べている姿をみて、でもやっぱり少年みたいな人だと僕は思って笑ってしまった。

名古屋の鑪ら場は鈴木実貴子ズのお二人がやっているお店で、もう4年くらい前から名古屋でお世話になっている。ユイコさんと周るならやっぱり慣れ親しんでいる場所でやりたかったというのもあったけど、この場所でユイコさんが聴けるってどれだけ幸福な事なんだろう。それくらいここはうたうたいにとって歌に集中できる雰囲気がある。
そしてここに出演する共演者さんはだいたい好き、独自の感性を持っている人々が集う。(この日共演のmuuiさんとそらしのさんもまた素晴らしいアーティストだった)

ユイコさんにとって初の名古屋、初めての場所、今までと違ってはじめましてがとても多い場所になる。暖かい飲み物を飲みながら2Fロフトに腰掛けユイコさんのライブを観た。この数日ライブを共にしたから気づいたこと、ゆいこさんがあんな天然な雰囲気の持ち主で、その雰囲気が染まって会場が馴染んでいると思っていたけどそれは間違いでユイコさんはその日のお客さんや会場に漂う雰囲気だったり、どれも細かく見て、それに合わせてライブをしている。どういうことかって、全会場同じような作業をしてユイコさんの世界に引き寄せているのではなく。ユイコさんからその場所の世界に馴染んで行っているわけで、人をすごく見ていないと出来ないことだし、職人のように場に漂う空気を見極めないといけない繊細な世界での手作業になる。あの暖かですこし懐かしくもなってしまう空気はこの人だからこそできる技なんだとハッとした。すごいライブを見せていただいた後に、そうかこれで今日は最終日なんだなと実感した。長かったようであっという間の数日で、その中でどれくらいの事を教わったんだろう。少なくともその教えの成果をだすには、僕には音楽を鳴らすしか持ち合わせていなかった。この日僕は名古屋で初めてトリでライブをして歌いきった。


夜中にコンビニでお酒を少し買って二人で無事に音楽の旅を終えれた事を乾杯した。僕は今日までのこのライブ連戦の数日のことを話た、ありったけ伝えなきゃって。でもやっぱり言葉にできない、雰囲気とか音楽ってやっぱり言葉にするとチープだけど、これも教わったこと。『伝えたい事はちゃんと言葉にする』って事をした。どれくらいのことを伝えられたのかはわからない、けれど全部話を聞いてくれた。ユイコさんはたまにお姉さんみたいに優しく見守ってくれる。きっとお姉ちゃんがいたらこういうふうに話をしたりしたのかなって思った、ユイコさんはたまにずるいくらい大人のお姉ちゃんだ。


■2019.01.22  帰還  名古屋⇒福岡
僕はこの日帰ってすぐに福岡でライブだった、だからバタバタと帰らないといけなくて朝の5:30~地下鉄に乗り、そのまま在来線で空港へ向かった。そして中部国際空港から福岡空港へ飛び立った。

飛行機の中でユイコさんと次に共演する日が決まっていた、2/19にKieth flackにて。なんだか、あんなに憧れた先輩とツアーをまわってまた福岡でも共演する。僕はやっぱり不思議に思った、昔じゃ考えられなかった。今回は特に人と人が結んでくれた縁が導いてくれた、決して一人ではできなかったし各地方で協力者がいて、音楽好きの素晴らしいお客さんがいて、仲間がいて。そうだ、今日までのことはちゃんとなにかに残そう、幸せなことはすぐに忘れてしまうからな、いつだって見守って助けてくれる人がいるしその人達をこれからも大切にしていきたい。触れ方もきっとかわってくる、見え方も変わってくることがあるとは思うけど僕は思い返したい。かつてユイコさんという、少年みたいにキラキラしていて、たまにお姉ちゃんのような柔らかな暖かさをもった、それでいて歳月を重ねた大きく根を張った人としばし音楽の旅に出たことを。

これからも憧れと尊敬を胸にしまって。

『朝ごはん、牛丼食べたいね!』


ユイコ(ex.パノラマメロウ)


ユイコ×tunaの音楽の旅を
見守り、支え、手を貸してくれた人達
そしてライブを見に来てくれたお客さん
本当にありがとうございました。
僕は僕で
ユイコさんはユイコさんで
それぞれ歩幅も歩くスピードも違いますが
音楽をこれからも作っていきます。
またアナタの街に行けるよう
次はもっとおっきなハッピーを
共有できるよう
精進していきます。
どうぞこれからもよろしくお願いします。
読んでくれてありがとう。


【新しいアルバムをだしました】

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