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杉山神社コレクション 2

鶴見川水系に40社ほど存在する、謎多きローカル神社の杉山社。

未だに、どの社が総本社(延喜式内社)か不明です。

総本社の候補(論社)ではないけれど、魅力的な杉山神社を巡るシリーズ第2弾!
今回は、橘樹郡(横浜市神奈川区と川崎市幸区)の杉山社をご紹介します。

第一弾はこちら↓

杉山神社をまとめたマガジンはこちら↓

アド街風のBGM、お好きな曲でどうぞ!


片倉町杉山神社

片倉の地名
『小田原記』の天文6年(1537)の項に「片倉」の記録があり、地名研究で「集落の片方が崖」の意味があるという。(Wikipediaより)

神奈川区は下末吉台地の開析によってできた急峻な崖が多く、平面地図を頼りに自転車で移動すると非常に痛い目にあいます。

神奈川区まちづくりプランより

今回は岸根方面から、できるだけ緩やかなコースで現地入り。

地下鉄ブルーラインの片倉町駅の近く。

高台に沿った小道にはいると、階段と鳥居が見えます。

この日は、とっても暑かった…

新しい感じの社殿(平成3年築)

大物主命は大国主命の別名。大物主命が主祭神なのは、近隣の六角橋社と戸部社、北新羽社。それから町田市三輪の椙山神社。
大国主命はメジャーな神様なのですが、杉山神社の中では珍しい。

戦後、浜町にあった諏訪神社の社殿(諏訪神社は東神奈川の熊野神社に合祀)を移築したそうです。

旧跡は「本宮(元宮とも)」にあったそうですが、現在地に遷座。

明治期の地図には、本宮の地名は見当たらない


六角橋杉山大神

そのまま片倉六角橋線を東に進み、急坂を登って到着。

この日は、参道の木々の剪定作業中でした

木々が鬱蒼として趣がある。

神社への道は、この地域の古道散策路になっています
少し歩くとお社が見えてきた。
参道にも境内にも、大木が残っている

参道が長くて高低差もあり、木々が生い茂っていて魅力的なアプローチ。

おお、両側の大木が二の鳥居のよう
狛犬さま
明治33年とあるけど
木々に護られているせいか、傷みが少ないように思う
神明づくりの拝殿
個人的に好きなタイプの社殿

古くは狭小の境内だったが、徐々に拡張して現在の広さに。社殿は戦災で消失したため、戦後に再建。

杉山「神社」ではなく「大神」という神号。杉山社の中では珍しい。
由緒によると、清誉上人(天正年間(1573-1592)に宝秀寺を開山)が、日本武尊を杉山大明神として祀ったとのこと。現在のご祭神は、大物主命、日本武尊、天照大神。

六角橋の由来

創建年代は定かでない。口碑によると日本武尊東夷征伐の際、武蔵の国橘樹郡から、上総の国へ渡られる前、この地の大伴久応という者の庵に宿泊されて六角の御箸を使い、のちその箸を久応に下されたので、久応は箸の一本に天照大神、一本に日本武尊と書て崇め、のち宝秀寺開山清誉は日本武尊を杉山大明神として祀る。村名もはじめ六角箸村と名付けたが、畏れ多いことであると六角橋と改めたという。

「神奈川県神社誌」による六角橋杉山大神の由緒

また、六角形の木で組まれた橋があったことが由来とする説もあります。

因みに、近隣の「白楽(はくらく)」という地名は、神奈川宿で馬の世話をする「馬喰(ばくろう)」が多く住んでいたことに由来するそうです。「伯楽(はくらく)」は馬の目利きをする人のことで、「名伯楽」は優れた素質を見抜くことから名コーチなどを意味します。

境内社ほか

青面金剛像
住宅化が進んで、各所から移って参られたのでしょうか
稲荷社

地形図など

現在は背後が小学校。後ろの台地上は何かに使用されていたのだろうか?
舌状台地の先端部に座し、参道は結構な高低差


小倉杉山大神

川崎市幸区。加瀬の夢見が崎公園の近くです。

旧道っぽい細道を進むと…

こちらも杉山「大神」という神号。

お猫さまがいっぱい

歴史がありそうな社殿、耐震補強している。

台座が古そうな狛犬
(狛犬本体は?)明治20年代に修理しているらしい
台座には「天保11年(1841)9月吉日 願主 成川藤兵衛」の銘

ご祭神は、テッパンの五十猛命と天照大神!

由緒沿革
当社の鎮座は古く、飛鳥時代、大化の改新によって国郡制度を敷いた頃より祀られており、近年まで境内地にあった神木、樹齢1000年余の二株の古松がその歴史を物語っている。当時、小倉村は、皇室直轄領として栄え、杉山大神は、その村落の守護神として農業生活の中枢をなして来た。戦国時代に至り、北條氏の家臣で、小机城主であった笠原氏の崇敬を受け、しばしば、その代参を迎えた。江戸時代には、小倉村は、旗本松下氏の領地となり、毎年米3俵の寄進を受けて神社は維持された。領主松下氏は馬で参詣に訪れたと伝えられ、近年まで、鳥居前に下馬札が立てられていた。

このような所で、また笠原氏にお目にかかるとは。

創建が飛鳥時代…ちょっと眉ツバですが、近くに白山古墳や加瀬台古墳群があることから、そう安易には否定はできない。

鳥居の向こうには、いかにも旧道らしい道筋が…

神社の前には三方に道が分かれます。南は鶴見から東海道へ、北は小杉から中原街道へ、または丸子の渡しへ向かう道。東へは六郷方面に向かう道。

地理的に見ても、中世に開発された地域の鎮守様という印象を受けます。

【ご参考】この地域の歴史について
さいわいの今・昔

https://www.city.kawasaki.jp/saiwai/cmsfiles/contents/0000025/25828/file45.pdf

最近珍しい地域猫。きっと居心地が良いのでしょうね。


川崎市内の杉山社

かつては十数社存在していたのが、現在は西生田社、末永社そして小倉社の3社だけになってしまいました。。橘樹郡の杉山社は小規模だったため、明治期の一村一社令でほとんどが合祀されてしまったようです。

(杉山社のあった村 →   現神社)
金程村 細山村 →   細山神明社へ合祀
五反田村 →  西生田杉山社
久本村 →   久本神社へ合祀
末永村 →   末永杉山社
有馬村 →   有馬神明社へ合祀
久末村 →   天照皇大神宮へ合祀
井田村 →   井田神社へ合祀
新城村 →   新城神社へ合祀
諏訪河原村 →   諏訪神社へ合祀
小杉村 →   小杉神社へ合祀
上丸子村 →   不明
小田村 →   日枝大神社へ合祀
小倉村 →   小倉杉山社

http://web-asao.jp/hp2/k-kyoudo/wp-content/uploads/sites/22/2015/07/Seminar-33.pdf
麻生のルーツを探る 杉山神社の謎にどこまで迫れるか?


機会があれば、川崎市内の残りの杉山社にも行きたいです!


オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。