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プロローグ 鶴見川遺跡紀行(1)

鶴見川って汚い川?いいえ、200万人の生活を潤す憩いの川です。

前々回の矢上川、前回の早渕川遺跡紀行に続くシリーズ第三弾。

今回は、ついに鶴見川本流を巡ります。
まずは、鶴見川のご紹介から。


一級河川・鶴見川

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鶴見川は、東京都および神奈川県を流れる河川で、その流域は、東京都町田市、神奈川県川崎市、横浜市の3市からなり、一級河川に指定されている。流域の形がバクに似ていることから「バクの流域」を愛称を持つ。
流路延長は42.5km、流域面積は235k㎡。流域内人口は約188万人で、流域内人口密度は全国109水系中第1位の8,000人/k㎡となっている(2004年)。流域の土地利用は、宅地等の市街地が約85%、森林や農地等が約15%で、市街地化が進んでいる。河川水は、農業用水または工業用水に利用されている。
Wikipediaより

ちなみに、H27年の流域人口は約196万人。流域人口密度は8230人/㎦。

【ご参考】
鶴見川マスタープランH27年版


今も汚い川?

かつて、鶴見川は一級河川・汚い川トップ3圏内に常にランクインしている悪名高き川でしたが、最近ではそのような話題は耳にしなくなりました。
と言うのも、近年多くの川が環境基準を達成しているため、汚い川ランキングを公表していないのです。(ついでに言うと、ドブ川と一級河川の区別がつかない状況で発表しても、市民に誤解を与えるばかりですからね)

では、鶴見川の今の状況はどうなっているのか?

関東地方一級河川の水質現況2019(国交省・関東地方整備局)より

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リンク先資料の表10を見てみると、年平均のBOD(※)3.0mg/L以上の地点が2カ所ありますが、全体的には2.0以下の地点が多く、環境基準(類型C:5.0mg/L)も11年間連続クリア。多摩川の中下流域と比べても遜色ありません。
※BODは河川の有機物による汚濁の指標。

鶴見川の水質の経年変化グラフ

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国交省関東地方整備局・河川の水質ページ内
関東地方一級河川水質の経年変化グラフより

亀の子橋・大綱橋ともに、かつて鶴見川流域でBOD値の高かった地点ですが、平成20年以降、安定して低い値を継続しています。

つまり、現在の鶴見川は、流域人口密度日本一でありながら環境基準を満たし、地域の自然環境を豊かにする立派な都市河川なのです。これも、地域住民の努力、流域工場の汚水処理技術の向上、行政と環境ボランティア団体の啓蒙活動の賜物です。

さて、川の状態も分かった事だし、河口からスタート!

貝殻浜

ここは、京急生麦駅近くにある鶴見川河口干潟、通称「貝殻浜」。

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白っぽい所は小さい貝殻が砕けて、砂状になった浜です。

地域の親水公園

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ここから海側は、明治以降の埋め立て地。

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今昔マップさんによると、貝殻浜も近年の埋立地みたい。
白く見える道は旧東海道、海寄りを通っていた。

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この時間帯は引き潮で、護岸用の石籠が丸見えでした。貝や生き物たちのお家になってます。

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小さな浜辺ですが、地域の環境学習やイベントに利用されているようです。


生麦事件碑

平安時代以降の歴史にはあまり興味はないけれど、歴史的大事件なので撮影。

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本来は別の場所にあったのが、キリンビール工場前に移設されたそうです。


生麦八幡前遺跡

遺跡と言っても、今回は京急線沿いから旧花月園競輪場の高台を撮った写真だけ…。

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奥に見える高台の上に遺跡があるようで、ここもJOMONウォーターフロント・ハイランド物件。(現在リアルでマンション建築中)。
旧花月園競輪場の再開発に伴って発掘調査された遺跡で、縄文と弥生後期~古墳時代までの住居跡が発見されたそうですが、調査後に滅失。
【ご参考】 生麦八幡前遺跡(かながわ考古学財団)

この地域でも縄文時代の後、弥生前〜中期まで遺構・遺物は出土せず、その後の弥生後期にまた出土します。この弥生時代の一時期に横浜から人が居なくなるなんて、一体何が起こったのでしょうか?とっても気になる。


昭和レトロなJR鶴見線と国道駅

遺跡とは関係ないけど、以前撮った鶴見線の写真があるので、どうぞ。

海芝浦駅

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隣の建物は東芝の工場。社員と関係者しか降りられません。

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一般の人は、駅に併設されている公園に入ることはできます。
左は鶴見つばさ橋、奥にベイブリッジが見えます。

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京浜工業地帯のオアシス的車窓。

「オールウェイズ昭和」な国道駅

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2つのホームをアーチでつないでいます。
敷地が狭く、太い柱が建てられなかったから?

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レトロな階段を下ると

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「あしたのジョー」の丹下段平がふらっと出てきそうな…

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これまた昭和風情なガード下。ある意味「遺跡」。

鶴見川下流域

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潮見橋のからの眺め。川幅が広い。

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潮鶴橋の上からの眺め、かなりの急カーブ。

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芦穂橋。川が曲がって幅も狭くなった。

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京急と国道15号(鶴見橋)の2本の橋が並行して架かっている。

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鶴見川橋。川幅が狭く蛇行している上、奥にはJRの巨大線路橋。かなり流れに対して負荷がかかるポイントか。
今までの橋に比べて橋脚が細く見える。アーチと太いパイプも使って橋を支えているのかな。

旧東海道の関所
鶴見川橋は旧東海道の通り道。ここから鶴見駅に向かって少し歩くと、江戸時代の関所跡があります。

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ここも橘樹郡。飛鳥時代から1400年もの間「橘樹」だった。

鶴見神社(杉山神社合祀)

そのまま、鶴見駅の方向へ進むと、斜め右後方に参道が見えました。

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創建は7世紀と古く、大正時代までは杉山大明神だったらしいけど鶴見神社に改名。(御祭神は五十猛と素戔嗚)
他の杉山神社とは違って、開けた場所にある。

境内に貝塚や遺跡もあったらしい。

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古墳時代の貝塚?海で生業を立てる人の集落があったのだろうか?

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本殿の奥には富士塚があり、

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頂には浅間社。

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昔は、JR線路上に古墳があったようです。

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富士塚の後には、京浜東北線が走っていました。

【6/30追加】

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http://www.tsurumi.or.jp/activity/img/hotline/474.pdf

なんか、脈絡の無い所から資料が出てきたので、貼っておきます。
祭りの道具ってなんだろう?弥生時代から代々祭りが行われる神聖な場所…どのようなロケーションだろう?


鶴見神社の地形

随分と低い土地に遺跡や古墳があるものだなぁ…と不思議に思い地形を調べたら、神社がかつての自然堤防上に存在し、昔は周囲より高かった可能性があることが分かった(現在も4.5mある)。

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昔は川が直進していて、その跡が自然堤防として残ったのかな?
そうすると、急な蛇行の理由は何なのだろう?氾濫の度にのたうち回って、最終的にこの流路に落ち着いたのかな?

さらに…

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横浜市の地盤Viewでボーリング調査結果を見てみたら、神社の地盤が意外と硬いことが分かった。氾濫低地でも、一様に軟弱地盤という訳ではなさそうだ。
大昔の人が、なんとなく「ココなら安全だ」と知って古墳や集落を築いたとしたら、とってもアメージング。


今回の行程

鶴見川河口干潟から鶴見川橋まで。
今回寄らなかったけど、(流れを背にして)右岸には石原裕次郎の菩提寺の総持寺や魚河岸で有名な生麦、左岸にはブラジルタウンや沖縄タウンなど特色ある街があります。


次回は、あの有名な(?)下末吉台地を旅します。




オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。