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チープなドラマの主人公になった

 1週間前の出来事を思い出してみる。
道端で突然声をかけられた。
「こんにちは。」ショートカットでこざっぱりとした、でもどこかしら気品の漂う妙齢の女性を見つめ返して、どこであったのか頭の中で記憶を探した。「夫がお世話になってます。」笑っているような怒っているような曖昧な表情の女性は、そう言葉を発してから、駅の方へ歩き出した。

心当たりがあるとすれば、「夫」と言っているのが、多分私が付き合っている彼のことだと結論を出すまで、頭の中が混乱して、5分ほどかかった。寝耳に水とはこんなことなのか。いや、まさか、人生でこんな瞬間があるなんて、思いもしなかった。チープなドラマの世界に入り込んだような錯覚さえ覚えて、その場から動けなかった。

20分ほどその場に立っていたかもしれない。ほんわかとした春らしい風が吹いていて、葉桜になった桜並木の通りが、チカチカと幾何学模様に見えた。

「そっか。」
誰もいない道の真ん中で、やっと絞り出せた思考と文字列がこれだった。

情けなさしかなかった。
頭がお花畑のままの半年を過ごしている間に、彼女は、私の存在を知り、一体どんな気持ちでこの場にきたのか。彼の家は遠く、それなのに、わざわざこの場所にこようと行動を移したきっかけはなんだったのか。私に声をかけた時の感情は如何なるものだったのか。

 道徳と感情の真ん中に立たされて、一昔前なら、すぐさま彼を問いただしていたかしれない。でも今更、不倫だの、浮気だの、他の女だの そんなチープな言葉で、相手を責め立てるチカラはない。そんな安っぽい喧嘩などしたくない。自問自答をしなくてはいけない状況に巻き込まれているなんて、なんてアホらしいんだ。

あるのは、現実を何もなかったように無視している自分の感情でしかない。

彼を好きな私の感情は、今突然、ここで混乱を極め、凍結を強制される事態に来ていて、その感情を大切に幸せに抱えて歩いていた36.6度の生温かい個体だけが、ポッカリその場に取り残さそうになっている。

「そっか。」この3文字は、私の心を平静に保ち、感情を見せないための最大の防御だ。人生の中で、父親の訃報を電話口で聞いた時も、大学の不合格通知を開いた時も、信頼していた部下がある時会社を辞めた時も(そもそもこの3つを同列に並べることさえおかしいが)、言葉にできたのは「そっか。」だけだった。

私は、ひとに感情を見られるのが嫌いだ。感情が渦巻く瞬間に何を言えばいいのかもわからない。
感情を表現するのは、誰かに理解されたいエゴではないかとさえ思う。自分の感情は、自分でどうにかしたいのだ。それはそれで、小賢しい考え方だとも思うのだが。

                ◇

日曜日は、今日みたいな晴天の青空で、「何してるの?」と電話のあった30分後には、あっけらかんとした笑顔で、何も知らない彼が到着した。

結局、言葉にできないまま、連絡を取らない数日が過ぎていた。

「いいお天気だから公園でも行こうか。」

高台にある近所の公園に出かけて、青々とした芝生が広がるいつものスペースへ腰掛ける。心地よい風が抜けていて、いつもの通り、私たちは、空を眺めた。

「空がきれいだね。」と彼がつぶやく。

もう何度も一緒に見上げた空だけど、こんなに蒼さが虚しいと思うことは、人生でそうないだろう。そんなことを思ってしまう私はすっかりチープなドラマの主人公気取りだ。

先週の出来事を、もう一人の主人公に伝えようか悩んでみたのだが、どうやっても、言葉にするには、全ての現実が混乱しているのだ。言葉に詰まった私は、結局言えた言葉は3文字だけだった。

「そっか。」唐突に私はつぶやく。
やっぱりその先は、何も言えなくて、ただ黙って空を見つめる。

「いい天気だな。」何も気づかない彼は、のんきに空を見上げていて、私はその姿を見つめて、もう一度つぶやく。

「そっか。」

何の解決もしないその言葉を繰り返す私は、単なるバカな女でしかない。
でも、それを解決する方法も、このチープなドラマを美しく締めくくるストーリーもまだ見えない。


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