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世の中はこんなにも色で溢れているのに

「いいお天気だな」

彼女の家について、車を停めた。昨日の雨が嘘のように今日は、心地よい青空だ。この天気だったら、少し遠くまでドライブもいいかもしれない。いや、久しぶりに目黒のあのイタリアンで、昼間からワインを飲む方がいい休日になるだろうか。
 今日1日の行動について、ぼんやりと考え始めた。せっかくの休みに、せかせかするのは好きではない。休日とは、心を休めるためにあると言いつつも、常に仕事の連絡が舞い込む携帯を操作しながら、僕は、心地よい時間を過ごすための方法を頭の中で想像し始めた。

携帯の画面を眺めていた目の端に、明るい光が動いた気がした。
視線を挙げてみると、車の前には、目の覚めるような鮮やかなレモンイエローのワンピースの彼女が、満面の笑顔で両手を振っていた。

「相変わらず元気だな。」

するりと助手席に滑り込んできた彼女に、そう呟く。
「元気だよ。だってこんなにいいお天気の日にデートだなんて、いいことしか起こらなさそうだよね。」
人生で嫌なことなどひとつも体験したことのないような顔で、彼女は笑った。

確かにその通りだ。天気の良い日は、良いことしか起こらない気がする。そして、それを実行するために心地よい時間を過ごすアイディアを出していたところだった。

「せっかくだから、どこかドライブに行こうか?それとも、」
「ドライブに行きたい!」彼女から迷いなく返答がきた。
「海を見に行きたいな。」

彼女はドライブが好きだ。
デートの約束をするたびに、「どこ行きたい?」と聞くのだけど、彼女の答えは決まって、どこかの目的地ではなく「車に乗れればどこでも。」だった。

一度その理由を聞いたら「きみの運転する車に乗るのが好きなんだよね。」と答えが返ってきた。

「車の匂いも、2速から3速にいれる加速も。ブレーキのふんわりとした優しさも。ステアリングを回す手も、そえらえた腕の筋肉の動きも、運転する横顔も好き。車の運転って、その人の個性が見えるし、車に乗せてもらうって、その瞬間の私の人生の権限全て、委ねている感じがするんだよね。だから、心地いい車に乗せてもらっている時間が一番好きなんだ。」
まるで、好きな食べ物を聞かれた時みたいに、迷いもせず、そう答えた。
「もの珍しいね。運転はしないの?」そう問いかけると、彼女は笑って

「そうね。委ねられるのは重すぎる。」と答えた。

1時間ほどのドライブがすぎ、通りを曲がると、右手に海が見えてきた。助手席で、窓を開けた彼女は歓声をあげている。
いつもどこかで運転をしている僕は、海沿いの道は、よく走る。ひとりでいるときは、日常の大した感動もない代わり映えのない景色だけれど、言われてみれば確かに、この季節の海は、蒼くキラキラと輝いていてきれいだ。海の蒼さを眺めながら視界の端には、カラフルな色が見える。レモンイエローは、初夏の海にはよく似合う色だと思った。

彼女は、いつもカラフルな色をまとっている。
決まった色はなくて、ビビットなピンクのスカート、ブルーのシャツ、カラフルな柄のワンピース、淡いグリーンの薄手のニットとパープルのフレアスカート。思い出す限り、彼女は、いつもカラフルだ。

お気に入りの海沿いのレストランに車を止め、レストランに入ると、運よくテラスの席が空いていた。
この時期は、いやこの時期じゃなくても、1年中僕はテラスの席が好きだ。季節を感じる空気と香りを感じながら、開放的な場所にいると、日常のせせこましい世界から、少しだけ解放された気分になる。

真っ白なテラスに赤いパラソル。青い海にレモンイエローの彼女。
グレーのコンクリートで固められた海沿いの道。道沿いに植えられた新緑。目の前の駐車場には、運転してきた水色のアンティークの僕の車が止まっている。
色があふれる視界に、チカチカと落ち着かないような気がしてきて、目眩がしてきた。
「いつも派手だね」レモンイエローの彼女に、思わずそう呟く。
「派手?」彼女は、笑っている。
「好きな服を着ているだけだよ。似合わない?」彼女は、はっきりと言葉にする。
「似合っているよ。似合っていると思うし、派手だなとも思う。」
「ありがとう。」そう彼女は、また笑った。

テラスを見渡してみると、カップルがちらほらいるのだが、洋服は決まって、黒やグレー、茶色、白といった色合いだ。日本の女の子は、そういう色を着るのが好きなのかと思っていた。

ロゼのシャンパンと一緒に、オリーブと生ハムをつまんでいると
真っ赤なソースのプッタネスカが運ばれてきた。この店のプッタネスカは、シンプルで美味しい。
「汚したら大変」そう言いながら、彼女は器用にフォークでパスタをくるりと巻いて、口に含んだ。
「美味しい。」冷たい白ワインに切り替えて、いつもランチが始まった。
僕は、このたわいもない食事の時間が大好きだ。

プッタネスカの黒オリーブをフォークにさしながら、「もう慣れたけど、モノトーンの洋服を着ないの?」と、素朴な疑問をぶつけてみる。
彼女は、また笑って言った。

「世の中にこんなに色が溢れているのに、モノトーンしか着ないなんてつまらなくない?」

「確かにね。」
「きみだって、つまらないでしょ?」

確かにそうだった。僕は、型にはめられたような生き方が好きではないし、周りと同調した何かも好きではない。主張のない女の子も同じだ。味のないガムを噛んでるような錯覚さえ感じて、退屈してしまう。
 彼女がカラフルな洋服を纏うように、僕は、いつも僕らしさと自由を求めていて、車だって、味わいのあるアンティークなそれも少し人と違った色の車を選ぶ趣味があった。

世の中は色に溢れていて、白いパラソルも蒼い海もレモンイエローの彼女も、僕のくたびれた青いデニムも、真っ赤なプッタネスカも、濃いめの白ワインも、水色の車も、目の前にあふれる色で、僕たちは構成されていて、この色合いと同じぐらい人生は豊かで、賑わいのある時間になる。彼女も僕の車も、この季節に一番溶け込んでいて、一番人生を楽しんでいるように思えてきた。

以前の僕は、モノトーンのインテリアが好きで、いつも黒いスーツで身を包んでいた。毎日は、充実していたけれど、それは特に何か特別なことではなく、僕は周りに決められた「僕」を演じていたに過ぎない。代々続く家業とそれを継ぐはずの長男。その長男である僕は、反発するように東京で会社を経営していたけれど、それだって、いつも周りの期待している「僕」に過ぎなかった。

一度だけモノトーン彼女をみた。
その日は、珍しく白いコートに、白いニット。黒のシンプルなスカートを合わせていた。グレーの曇り空の冬の日に、通りに立っていた彼女の肌は、蒼白くて、モノクロ写真みたいだった。
「モノトーンなんて珍しいね」そう問いかけると
「着れないときもあるんだよね」と彼女は涙を浮かべたような顔で、笑った。
意外だった。いつも世の中をちょっと馬鹿にしたような笑顔を浮かべて、言いたいことをはっきり言う彼女が、何かに落ち込むことなんてないと思っていた。
そっと閉じた瞳とまつ毛の先がきらりと大きな涙で光ったような気がしたけど、次の瞬間、またいつもと変わらず、笑顔を見せた。笑顔を見せているのにモノトーンの彼女は、レモンイエローのような輝きも、鬱陶しいほどの存在感もなく、ただ頼りなさげな女の子に見えた。

変な言い方であるが、そんな彼女の姿をみて、僕は少し安堵してしまった。
正直、僕は、パワーに溢れて、はっきりと意見をぶつける彼女が、鬱陶しいと思っていたところがある。
僕は持ち合わせていない種類の溢れるほどのパワーを身体に集めて、会えば全力でぶつかってくるからだ。
僕のセンスにはない、カラフルな色を身にまとい、いつも突然視界に入ってきて、チカチカと僕のの目の前に存在感を見せつける。まるで、激しいドッチボールをしているみたいに、僕は必死に彼女のパワーを受け止めなくてはいけない。投げられたボールを腹のあたりでぐっとキャッチするだけで、そのボールはまるでスピンでもかかっているかのようにぐっとみぞおちにめり込む。
そのパワーに圧倒されて、僕は時々、焦りを感じ、その焦りを感じさせる彼女を鬱陶しいと思っていたのだ。


でも、モノトーンの彼女は、ただ普通の女の子だった。

         ◇

パスタを食べながら、次々と楽しそうに話をしているレモンイエローの彼女をそっと見つめ直した。

彼女自身が鬱陶しいほどのパワーは、元から持っていたのではないんだと感じた。あの日何があったのかは、今も教えてもらえないけれど、たしかに彼女は、迫力もパワーもなくなった普通の子だった。

でも、カラフルな洋服を身に纏う彼女は、自信に満ち溢れパワーと幸せの恩恵を受けるのが当たり前のようなようにみえる。

それは、人生を楽しむことを決めたから、色というパワーを身に纏い、自分を防御しているのかもしれない。

元々みんなモノトーンから始まる。モノトーンの世界を色彩豊かにしていくのは、それぞれの生き方と覚悟だ。世の中は、こんなにも色が溢れていて、色を纏わないなんて、もったいない。

「世の中にこんなに色が溢れているのに、モノトーンしか着ないなんてつまらなくない?」

頭の中で、言葉をなぞりながら、僕は、プッタネスカを口に含んだ。

「確かにそうだな。」

蒼い海にキラキラと太陽が反射して、目の中に虹色が浮かんだ。

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