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【短編小説】復讐の激辛(後編)

 アホロートル。ウーパールーパーという呼び方の方がよく知られているかもしれない。コンビ名にしようと、言い出したのは古西の方だった。
——なんか、お笑いって感じがするし、覚えやすくない?
 田西と古西は今の事務所が経営する養成所で知り合った。
——ぜったいビッグになってやるんだ。
 夢を語る古西に共感し、組まないか、と誘ったのは田西の方だった。平坦な道ではなかったけれど、同期のなかでは、早い時期に名前が売れた。メディアへの露出も増え、ついには名指しで仕事が来るようになった。順風満帆である。
だが、このころから二人の仕事に対する姿勢に違いが出てきた。
名指しで仕事が来るようになったのだから、芸を磨くのはほどほどでいいと考える田西と、売れるようになっても、常に芸を磨くべきだとする古西。
田西は相方のことが、次第に邪魔になっていった。マネージャーに頼んでソロの仕事を増やしてもらった。ボケ担当だった田西の方が、メディア受けは良かったため、コンビでの仕事は激減した。
「もう、別の道を進むことにしないか」
夢を語っていた古西に確かに共感したけれど、もう状況は変わった。だからお互い環境を変えてみてはどうか、そう伝えたかった。
コンビを解消し、後に古西が自ら命を絶ったと聞いたとき、悲しみよりも安堵の気持ちの方が強かった。
——悲しいが、それが古西の選んだ道ならば……。
田西は自分の道を進むことしかできない。止まるわけにはいかないのだ。

 〈激辛サバイバル〉の収録が再開した。
 田西、伊藤の前に、料理が運ばれてくる。蓋がしてあるが、漏れてくるスパイスの匂いが苦戦を予感させた。
 「さぁ、ではオープンです」
 二人が同時に蓋を開けると、そこには真っ赤に染まった料理があった。鶏肉のグリルのようではあるが、溶岩のような色をしたソースがかかっていて、そこから立ち上る湯気に、田西はむせてしまった。目からは涙がこぼれてくる。
 「もうおなじみの〈地獄チキン〉。お店で出しているものの10倍の辛さに仕上げてあります。名付けて〈地獄チキン 激辛サバイバルバージョン〉。さあ。お二方いかがですか」
 「がんばります」と伊藤。
 「楽勝っすよ」と田西。
 「ではチャレンジスタート」
 田西は、まず、チキンを食べやすい大きさにして、よくソースを絡めて口に入れた。辛さを通り越して、痛みを感じた。口呼吸から鼻呼吸に切り替える。どちらもむせることには変わりないが、口呼吸の場合、食べたものを吐き出してしまう可能性がある。さすがにテレビ的にはNGだろう。
 咀嚼する。辛みがにじみ出してきた。飲み込む。グラスから水を一口。水の飲み過ぎにも注意しないといけない。辛みを洗い流す効果があるのだが、軽くリセットしてしまうと、次の咀嚼のときがつらくなる。
 二口目に取りかかる。噛むのも早々に飲み下した。熱いものが食道を経由して胃に落ちていくのが分かる。口、食堂、胃の三カ所で辛みが暴れている。今までの挑戦者はすべてこの料理で脱落しているのも頷ける。
——何が何でも耐えなければならない。意思で苦痛を抑えながら、田西は三口目を放り込んだ。
 
 辛いことは辛いが、苦痛ではない。
 激辛に強いという自覚は、伊藤にはない。辛いものは好きだが、進んで食べるほどではない。ここまでで激辛料理を3品食すことになったが、心配なのは辛さよりも、腹のほうである。ここで勝負がつかなければ4品目がまっているという。そんなに食べられるだろうか。
 田西と違い、伊藤は食べる直前に、チキンをカットして口に運んでいた。皿の上には、ちょうど半分のチキンが残っている。少し大きいが、カットするのは面倒だ。フォークでチキンを刺し、持ち上げると一気に噛みついた。
——おお、伊藤氏、完食だぁ。司会者が驚いていた。
 むしゃむしゃと咀嚼しながら、横目で田西を観察する。余裕がないのは一目瞭然で、一心不乱に料理と格闘しているが、たぶん完食はできるだろう。
 チキンを完食した伊藤は、冷水を一口飲んだ。

 伊藤に遅れて、田西もなんとか完食すると、いよいよ四戦目に突入し、新たな激辛料理がが用意された。一応中華丼との説明があったが、全くの別物だ。白飯を激辛スパイスで炒め、その上に真っ赤な餡がたっぷりとかかっている。どこを見ても赤だった。見ただけで汗が噴き出してくる。
 田西の口は感覚がなくなっていた。辛みはいうまでもなく、刺激すら感じない。ただ、飲み込んだときだけ、食道に熱を感じるだけだった。胃がムカムカする。まるで沸騰しているようだ。吐いてしまえ楽になるのかもしれないが、吐き気はしない。麻痺しているということなのか。もう機械的に料理を口に放り込んでいるような有様で、これがテレビの収録であることすら忘れてしまっている。
 意地である。自分を潰すなどと、のたまったあの素人にプロの根性を見せてやる。
 こうして白飯が、残りわずかになったときに、信じられないことが起こった。餃子が出てきたのである。餃子の上に白飯が盛ってあった。隠してあったのだ。
 田西は餃子を頬ばる。口の中で皮が破れ、餡が飛び出してきた。
 口の中が爆発したのかと思った。これはもう人間が食べることができるレベルの辛さではなく、一瞬で田西は気を失った。

 アホロートル田西は救急車で運ばれていった。
 司会者は伊藤の優勝を称え、望みは何ですかと問いかけてきた。
 アンケートですでに答えてあるのに、テレビ番組の制作っておもしろいなあ、と思いながら伊藤は答えた。
「アホロートルの田西さんのサインをください」

 翌日、伊藤は今回の依頼者と待ち合わせた。顛末を報告する必要があったからだ。
 待ち合わせ場所に指定した喫茶店でコーヒーを飲んでいると、
「遅れてすみません」と老人がやってきた。
「いえいえ、そんなに待っていませんから」
 伊藤は老人に、座るよう促して、やってきたウェイターにコーヒーの追加を告げた。
 老人の分のコーヒーがきて、少し落ち着いたところで、伊藤は話を切り出す。
田西は命に別状はなく、すぐに退院できるであろうこと。今回のことでかなり反省しており、退院したら古西の墓参りに行きたいと、周囲に話していること。
老人はうなずきながら伊藤の話に耳を傾けていた。
「これに懲りて、人の気持ちが分かるようになるといいのですが……」
老人は不安そうだった。これで良かったのかどうか判断ができない、そんな様子だった。
「お父様にいうのも何ですが、田西さんは根は悪い人ではないので、きっとこれから良くなっていくと思うのです」
「そうだといいのですが」
老人は何かを思い出した様子で、バックから封筒を取り出すと
「これ、約束したお礼です。金額確かめてもらえませんか?」
「いえ、もうお礼は受け取ったので、これはいりません」
「でも……」
「サインをもらいましたから、私としてはそれで満足なんです」
老人、——田西の父親は無言だった。いろいろな思いで頭の中がいっぱいになっているのだろうと伊藤は思った。
 「じゃあ、これで失礼します」
 伊藤は立ち上がった。
 「いろいろとお世話になりました」
 老人が頭を下げる。
 「そんなおおげさな」
 伊藤は笑顔で答えた。
 「うちには、他にもいろいろと面白い力をもった奴らがいますから、何かあったらいつでもどうぞ」
 老人に一礼すると、伊藤は去って行った。

(終)

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