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連載小説 | 週末はサーフィンする #5



▼前回の話


「鹿島さん、なんか焼けました?」

 休憩中、自販機で缶コーヒーを買っていたおれを、後輩は不思議そうに覗き込んだ。

「なんだよいきなり……」
「沖縄でも行ってきたんですか?」
「んな暇ねぇよ……」
 おれは逃げようと歩き出したが、後輩は構わず後を着いてくる。
「じゃあ日サロとか?」
「ちげぇわ」
「じゃあ、なんなんですか?」
「まぁ、ちょっとな……」
「え、なんで隠すんですか??」
「別に怪しいことなんてしてねぇよ……。あ、おれ会議呼ばれてるんだった。じゃな」
「ええ?」

 不満の声を上げる後輩を置いて、おれはエレベーターに乗り込み、『閉』を押した。

 別に隠している訳ではないが……。ずっと引きこもっていたおれが、急にサーフィンを始めただなんて気恥ずかしいにも程がある。

「チン」と鳴って、エレベーターが一階に到着した。

 会社のエントランスを出ると、蝉が一斉に鳴き出した。会社の横は、ちょっとした公園になっていて、緑が生い茂り、風が通って気持ちがいい。おれのお気に入りの休憩スポットだ。

 ベンチに座り、缶コーヒーを開けた。
 目の前には、ガラス張りの高層ビルがそびえ立っている。うちのビルは新しくてきれいだが、窓がない。ずっと室内にいるとなんだか息苦しい気分になってくる。別に換気が滞っている訳ではないけど。
 目の前の木は、気持ちよさそうに風にそよいでいる。

 昨日の波、良かったなぁ〜。

 あれから南田さんの元へ通い始めて、昨日でちょうど三ヶ月。
 と言っても、週末だけなので、回数で言うと10回かそこらである。それでも、乗り方はだいぶサマになってきたし、波に巻かれることも5回に1回に減った。

 確かに、焼けたかもな。

 腕を見るとほんのり小麦色になっている。日焼け止めはウォータープルーフの強いやつをベッタベタに塗りたくって、気を遣っているつもりだったが……。

 最近はもう夏の日差しだ。ジリジリと焼けるような感覚。
 もう7月。これから本格的に焼けることだろう。

 周りになんて言われるやら……。

 しかし、南田さんが言うに湘南は夏が本番らしい。湘南人は夏に動き出す。そんな事を言われると、おれまでワクワクしてくる。

 「ピロン」と、携帯電話にメッセージが届いた。南田さんからだ。

『日曜は10時に駅集合ね』

 日曜日。
 その日はおれにとって、ワクワクなイベントが待っている。
 七里ヶ浜のサーフショップにボードを見に行くのである。

『自分のボードを持つと上達早いよ〜』

 昨日南田さんがポツリと教えてくれた。

『へぇ、やっぱ自分に合うボードでやった方が上達するんですか?』
『ちがうちがう』
『え? じゃあなんでですか?』

『楽しいから!』

 そう、満面の笑みで南田さんは答えた。

『え? そんな理由で』
『そう! 楽しいと続けたくなる、続けるといつのまにか上達する。だから楽しいのが一番なんだわ』

 南田さんはとにかく明るい。その明るさにたまに圧倒されそうになる。

 でも、たしかに一理ある。マイボードを持つなんて、考えたらめっちゃワクワクして来た。そして、そのボードを持って早く海へ行きたい。

 早く週末になんねぇかな〜。

 缶コーヒーを飲み干し、おれは軽い足取りで高層ビルへ戻って行った。

 その店は国道134号沿いにあった。
 いい具合に日焼けして、長年潮にさらされて古ぼけたような木造の二階建ての建物。一階には広いウッドデッキがあり、同じように古ぼけた木製の椅子や机が乱雑におかれている。海沿いに建てられた柵に『Surfshop NALU』と白いペンキで書かれた看板がかけられている。

「ウォンウォン!」

 突然、店の開いた扉から白いゴールデンレトリバーが飛び出してきた。
「うお!」
 おれは驚いて身を引いた。犬は真っ先に南田さんの方へ前足をあげて飛びついてきた。
「よぉ〜ナル〜! 今日も元気だなァ〜」
「バフバフ!」
 犬は機嫌良さそうに頭を撫でられている。

 その犬の後ろから、一人の男性がふらっと出てきた。

「おはよ〜、ナンちゃん」
「おっす、シンさん」

 南田さんより少し上の年代だろうか。パーマがかった黒髪ロングヘアを縛り、これまたパーマがかった黒いあご髭がちょろりと伸びている。おそらく店主であろう。にこにこしながらこちらを見ている。
「こちらの子? ボード探してるのは?」
「そうそう。心さんならぴったりの探してくれるかなって」
「あ、はじめまして! 鹿島と言います。今日はお世話になります!」
心さんは「うんうん」とにこにこ頷くと、
「じゃあどうぞ」
と、おれたちを店の中へ促した。

 店内は思った以上に広々としていて清潔感があった。ショートボードからロングボードまで、カラフルなボードがきれいに並べられている。
「うわ、すごい量ありますね……」
「ね、おれも欲しくなっちゃう」
「かっこいいなぁ……」
 ふと目の前のロングボードの値札をみる。

『300,000円』

 高っ! ……え、ボードってこんなに高いの? しかも中古で…。

「大丈夫、それ有名なシェーパーのやつだから。普通に安いのもあるよ」
 心を見透かしたように南田さんが話しかける。
 恥ずかしい……、でも少し安心した。
「おれ、持ってるけど、ガトへロイ。乗りやすいよ〜」
「え……」
 南田さんの倉庫部屋には何本ものボードが置いてあったが、全部でいくら費やしてるんだろうか……。ボードはハマったら沼なのかもしれない。

「どんなのが欲しいの?」
 心さんが聞く。
「えっと、おれ全然わかんないんですけど……。逆にどんなのが合うんでしょうか?」
 ふむ、と心さんはおれの体を舐めるように見始めた。
「えっと……?」
 おれが動揺しているのに構わず、心さんは聞いた。
「サーフィンはじめてどれくらい?」
「えっと、まだ10回くらいで、初心者です」
「ゆったり乗りたい? それとも激しく乗りたい?」
「どっちかと言うと、ゆったり?」
「運動神経はいい?」
「や、そんなに運動も得意では……」

 ふむ、と言って、心さんはボード棚の奥へ入っていき、黒いボードを一本引き出して、おれの前に持ってきてくれた。
「これはどう?」
 黒いボードはそびえ立つ壁のようにおれの前に立っている。
「でか……!」
「初心者にまずおすすめなのは、長くて大きくて重いボードだねぇ」
「長くて大きくて重いボード……?」
 ……なんということだ。おれとしては、もう少し短くて軽いやつがいいと思っていた。
「えっと、これとかだめですか?」
 おれのすぐ横にあった程々の長さのボードを掴んで聞いてみた。
「それは7フィートしかないから乗りづらいと思うよ〜」
「7フィート……?」
「1フィートがだいたい30cmだよ」
 南田さんが助け舟を出してくれた。
「てことは、30cm✕7だから、210cm。2m10cmか……」
「ロングボードはだいたい9フィート以上のものだから2m70以上ってことだね」
「2m70!?」
 ほぼ3mじゃないか……。
「持ってみる?」
「あ、はい!」
 心さんから黒いボードを渡され、脇に抱えるように持ってみた。ずしりとした重さ、幅も広く持ちづらい。なんだか扱える気がしない。
「うーん……」
 おれの困った顔を見て、心さんは店の奥へ入っていった。
 しばらくして戻ってくると、脇にボードを抱えている。
 洒落た深いブルーの色をした、表面の上部に「88」と白く書かれたボードだった。
 シンプルでかっこいい。
「これはどう?」
と、そのボードを渡してくれた。
「あ、軽い。さっきのより軽いですね。なんかちょうどいいかも……」
「スポンジボードなんだけど、重さもしっかりしてて乗りやすい。ベテランの人は二枚目で選ぶ人が多いんだけど、初心者にも扱いやすいボードだよ」
 ボードの面を触るとスポンジ素材と言う割にしっかり硬い。他のスポンジボードよりも丈夫そうだ。なにより、手で持った感じがフィット感がある。

「なんで88なんですかね?」

 面に印刷された『88』の数字がなんだか気になった。
 心さんはボードを撫でながら答える。

88 エイティーエイトは無限の可能性。座っても寝そべっても膝立ちでも自由に波に乗って楽しむのが88のコンセプト。上手い下手関係なく、とにかく"楽しむ"ためのボードだね」

「とにかく楽しむ……。いいですね、それ」

 おれは『88』の文字を見て愛着が湧いてきた。
 いまのおれにぴったりなボードな気がした。

「あと安いしねぇ」
 南田さんに言われて、値札を見ると『52,000円』。これまた手軽な値段である。

 決めた。

「これにします!」

 こうして、おれのマイボードは88の9フィート、シングルフィンに決まった。
 来週末がマイボードのデビュー戦。


 そうなるはず、だったのだが……。


《つづく》

◇第六話◇


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