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遠心分離機の昼

血液を分離するあの機械。
今では外からは見えづらくなっているけども、
昔は割とよく中が見えました。
こちら30年くらい昔の話。

幼い頃ド田舎の病院で検査技師をしていた叔母について行き、
入室カードを貰って合法的に検査室に侵入しました。
そこで初めてあの、ただものっすごい速度でぶん回す機械に出会ったのです。

その当時、おそらく職場に子供を連れて行くなという風潮はあったのですが、
産まれたばかりの下の弟は初っ端から入院した脆弱ボーイにも関わらず、
姉と兄が保育園で貰ってくる菌ウィルス爆弾をこれでもかというほど食らうこととなり、
またもや肺炎で入院していたのです。
その日母は下の弟の付き添い、父は仕事、祖父も仕事、
祖母は弟を見ていたものの
「流石に大分しんどい。どちらか一方頼んだ」
ということで叔母がやりようによっては大人しくできる私を連れて仕事に出たというわけです。
きっと弟であれば絶対にダメだったでしょう。
弟はすぐにどこかに出奔する。
ド田舎なので遭難や川に流される恐れがあります。

さらに叔母は二人しかいない室の室長で、その日は一人で仕事する日。
そして職場はド田舎すぎて緩い。
勿論衛生上ダメな場所には当然はいれませんでしたが、
預かるくらいは全くもって誰にも気を使うことがないから大丈夫!だったというわけです。

幸い土曜日だったので、患者は言うほどおらず採血検査2本で終了という2〜3時間コースでした。
昔の遠心分離機というのはものっすごい速さとは言っても今ほど速くありません。
子供が「まだーねえまだー」と繰り返し急かす程度の時間がかかります。

で、私は「ねえーまだー」言いながらその遠心分離機を眺めていました。
すごい回る。とにかく回る。一定方向に延々と回る。
まぁ当たり前なんですけど、よく回るんですこれが。
で、飽きるんです。
子供なので10分も見ていられません。
飽きたのでお絵描きをしていました。

だけどそんなに居心地がいいわけでもありません。
椅子はクルクル回る楽しい物ではありますが、
シャーレやら試験管やらがぞろぞろ並んでいるので、
そんなところを椅子で回るなんて許されるわけがないのです。
危ない。

つむは明確な前提条件を出されると覚えている物に関してはやたらと守り切る性質を持っていました。
「ガラス割れると危ないから回らないで座ってな」
回るとガラスが割れる。それはとんでもない事態です。
少し前に割れた小さなガラスの破片を踏んでとても痛い思いをしたことを思い出し、
「こんなに沢山のガラスがあるのだから回ったら多分死ぬ」と思い、それはもう大人しくしていました。
ガラスがなければ元気に回っていたと思います。

遠心分離機がクルクル回る。
もっと速くできないのか。
速く!速く!速く!
最速を目指せ!
もっと高みに行きたいとは思わないか!
本気を見せろ!
お前の本気はそんなもんじゃないはずだ!

子供というのはせっかちです。
段々と何故こいつがやたらと回っているのかわからないために、
そしてこいつを回した先に何があるのかもよくわからないためにヤキモキしていました。
おそらくそれらが理解できていたとしてもヤキモキしていたと思います。
最近の機器は凄いですよね。
即入れ即出し、結果もまた明瞭です。


要するに、ものすごく飽きていたわけです。
そんな中顕微鏡を発見しました。
検体があり、既に数え終わったものを見せてもらいました。

しかしつむには「既に数え終わった」なんて叔母は教えません。
数えるミッションとしてつむに与えることにより、
シンプルに言われたことをやたらと律儀に守る性質のやたらと喋る子供を黙らせる作戦です。
叔母は頭がいい。効果覿面でした。

検体を覗き込むとツブツブがありました。
赤血球だそうです。
カウンターを渡されて、数えるように言われました。
つむは大きなミッションを与えられてしまった為に、一生懸命にカウンターをカチカチします。

カチカチ…カチカチ…
え…カチカチ…あれ?…
カチカチ…あっ…

カウンターをカチカチする手がだんだんと数える目と連動しなくなってきます。
そしてどこから数えたかも段々とわからなくなってきます。
意識がフッと遠のくのです。
ちょっと気が狂いそうになってきました。

これはもうダメだ!つむには出来ない!めちゃくちゃだ!
叔母に「失敗した。数え間違えたと思う。もう一度カウンターを0にしてからやり直さなければ」と申告しました。
すると、
「ハハハ!もう数え終わったやつだから大丈夫だよ!真面目にやれたなんて、やるじゃん!」
と叔母からネタばらしがあり、
ホッと胸を撫で下ろした次第です。

今ではおそらく機械測定ですよね。
レアな経験ができたと思います。

この経験からつむはそれなりに単発バイトもしてきたものの、
絶対に交通量の測定だけはしないようにしていたのです。
意外とずっと見て数えることは集中力が必要で、それを1時間やるとしてもかなり疲れます。

そして赤血球の模擬測定が終わった頃、遠心分離機はゆっくりと停止していき、
叔母の手慣れたスーパープレイによりサクッとその後の検査も終了して帰路についたのでした。

検査の仕事は実に地味ですが医師への報告が必要な為、
神経を使う専門性の高い仕事です。
叔母のことを尊敬した日でした。

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