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「潔く柔く」(いくえみ綾)について書いた日本美術史の課題レポートを発掘しました

自分でも把握していなかったのですが、大学2年生のころに書いた日本美術史のレポートのWordファイルをPCの中から発見しました。。。
日本美術史の授業でしたが、講義の中で漫画がとりあげられた回もあったため、少女漫画について語ってもいいだろうと(勝手に)思い、レポートの対象作品にいくえみ綾「潔く柔く」を選んだのだと思います。完結もしてないのに…(2009年12月当時)
ちなみに自分の専攻は英米文学でした。


引用しているアンケート結果のリンクですが、今思うとリンクじゃなくてPDFで添付資料をつけてほしいと思います。しかしマクロミル社のアンケートはまだWEB上に残っていました!!すごい!!!
あと、意外と結論づけないんだな…(だろうか、で終わっている箇所がある)とか、肝心の要点や主張を述べる箇所が言葉足らずだな、とも思います。
でも、2009年の時点で「自己愛」を指摘しているのはなかなか偉いなと自画自賛しちゃったり(映画「愛がなんだ」(2019)の感想で自己愛ってワードをよく耳にしたから)(おそらくふだんアメリカ文学論としての自己愛論が身近だったため自己愛という言葉を自然に使ったのだと思う)、しかもカンナに対して『だめなキャラクター』とか、言うんだ・・・(今はそうは思わない)と自分ながら思ったり。。
しかもいちばんよくないのが、『40代、50代の熟年世代夫婦』(下記、「(2) 作品制作時の時代背景」中)も「現代人」なんだけどなー・・・と今は思う(若さ…)。


いろいろと恥ずかしいですが、、
なにより、10年以上経っても同じようなことをやって(書いて)いる・・・ということが衝撃だったので、記念に公開することにしました。



以下、転載です。



日本美術史B 後期試験問題

今回取り上げる作品:
「潔く柔く(きよくやわく)」いくえみ稜, 集英社, 2004~, 1巻~11巻(最新)現在(※2009年当時)も刊行中

(1) 作品の概要:本作品は、連載中漫画のコミックスである。あらすじ-幼なじみどうしだったハルタ(男)とカンナ(女)だったが、高校1年の夏、ハルタがカンナを想いながらも交通事故死してしまったことでカンナは心を閉ざし、当時仲良くしていた仲間たちとも疎遠になってしまう。一方、小学校時代に自分を慕ってきたクラスメイトの女の子とともに交通事故に遭い、奇跡的に生き残った禄(ろく・男)は、相手の女の子の死に対する罪悪感を背負う。高校時代にその女の子の姉と出会い、心を癒されつつも罪悪感は消えなかった。時は流れ、そんなカンナと禄は社会人になり、ひょんなことから出会い交流するようになる。 全体としてはオムニバス形式で、数々の登場人物からの視点で描かれた話が何話か続いている。

(2) 作品制作時の時代背景:この作品は現在も進行中だが、物語全体の構想が連載開始の時期から成されていたと考えると、2004年、またその前後1~2年における、特に現代人の恋愛嗜好に注目したいと思う。2004年は実は「純愛」がブレイクした年である。映画「世界の中心で、愛をさけぶ」は2004年5月公開、大ヒットした韓流ドラマ「冬のソナタ」は2003年から放映が始まった。このころの結婚観は「理想の相手が見つかるまで結婚しなくてもいい」と考える人(これと「ある程度の年齢までには結婚するつもり」という項目との二者択一アンケート-2005)は1987年女性44.5%男性37.5%だったのに対し、2002年には女性55.2%男性50.5%、2005年には女性49.0%男性46.7%と、理想の相手を求める傾向も強くなったようだ。しかしどんな相手が理想かというと、その条件は厳しいものになりそうだ。2005年の「夫婦円満でいる秘訣アンケート」では、40代、50代の熟年世代夫婦では「相手を尊重する」「お互い干渉しない」「適度な距離を保つ」といった互いに独立し距離感のある意見が多いのに対し、20代、30代の若い世代では「会話する」「共通の趣味を持つ」といった互いのコミュニケーションを大切にし、理解しあうといった意見が多い。これらの数字から現代人は、もちろん昨今の経済状況から相手に経済力を求める傾向はあるが、さらに言えるのは相手の社会的地位や高い能力が自分を満足させるのではなく、限りなく自分と寄り添ってくれ、共感してくれる相手に満足を感じるのではないかと考えられた。

(3) 時代背景を踏まえて、作品に隠されたメッセージを読み解く
まず、読んでいて気になったことは、この話は「好きな相手と結ばれること」という少女漫画的ゴールがないのである。主人公の一人であるカンナは、美人だが、幼なじみを亡くした経験が心の中で疼き、なかなか人に本当の本音を見せることがない。禄はというと明るい人柄のように見えて、他人をなかなか踏み入れさせない。このように「他の人に自分の本当のところは分かってもらえない」という硬いガードを彼らはまとっているのだ。そして作中出てくる印象的なセリフにはこうある。「(人のことを)とてもよくわかるなんて、他人の驕りだ。そんなこと言う奴は信用できない」(8巻)なぜ彼らはこうも頑ななのか。それは自分のことをよく分かってほしいといった方向に現代人の意識が流れているからだろうか、と思い、今回の課題に取り上げたわけである。この意見を支える数字は、(2)で挙げたとおりである。相手の地位やスキルでなく心に向き合うこと、互いを理解しあうことが大事、そしてそれは「純愛」である。無理やりつなげるとこういう理論になる。一昔前の少女漫画のように、相手と結ばれること自体がゴールとなる物語はもう求められてはいないのだろうか。
そして次に展開したいのは、これは自己愛のかたちなのではないかということだ。カンナは自分のことを好きだといってくれる男たちに、興味を示さない。ハルタの事故後のカンナにとって必要なのは自分への愛ではなく、自分の罪悪感の解消、そして重い気持ちを抱える自分への理解なのだ。この「潔く柔く」は始めの方はカンナとハルタは両想いだったかのように読者に見せかけ、しかし11巻に来てようやくカンナがハルタを好きではなかったことが分かる。カンナは「大好きな」ハルタを亡くしたのではなく、「想いに応えてあげられなかった」ハルタを亡くしたのである。両想いであったのならさびしがって悲しむことはできるが、カンナはハルタを好きになれなかった罪悪感を持ったままで、そしてその罪悪感を解消して「自分」を救いたいのである。ここまで言うとカンナは自分のことしか大切に思っていないだめなキャラクターのように思えるが、読者だってやはり「自分」に立ち返って読んでいるから、この漫画も大きな評価を得ているのではないだろうか。(2009年講談社漫画賞少女部門受賞) 現代人は互いを理解するために自分のことをよく熟考しているのではないか。分かりあえる相手と人生を共にしたい、だが分かりあえる相手でなければ別に結婚したくない、そういった考えもアンケート結果に浮かび上がっている。その欲求は自分を満足させたい、しかし自分を一番理解してあげられるのは自分、といった形で少女漫画にも拡大してきた。こういったように、この漫画は、現代人の密な人間関係への欲求、それに相反する周囲の人間への心の壁という、微妙な心理を描き出した秀逸な作品であると思った。(2155字)

参考データ:
M&Wパーソナルコンサルタントの統計データ(※現在ではWEBページなし)
株式会社マクロミル(www.macromill.com)「いい夫婦に関する調査」データ<WEBページPDF

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